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バレンタイン

私にはユウスケという幼馴染の男の子がいた。
幼い頃は私よりも背が小さくて、泣き虫で、弱虫で、いつも私の後をついて回っていた。
家族同士も仲が良くて、夏休みには海や山に遊びに行った。
お互いの家で誕生日会やクリスマス会なんかもしていた。
バレンタインには、ママと二人で作った手作りチョコをパパやユウスケにあげるのが恒例になっていた。
とはいえ、幼い頃の私にユウスケへの恋愛感情はまるでなかった。

それが高校生になる頃には私よりもずっと身長は高くなり、体格もサッカー部に入ったことで逞しくなった。
元々優しい性格だったユウスケは、女子生徒たちにモテるようになった。
そんな私も少しだけ昔とは違う想いを抱くようになっていた。

それは高校二年生の時だった。
バレンタインの数日前、ユウスケからは『今年も手作りチョコを楽しみにしている』と言われ、私は面倒くさいという態度を見せながらも、内心意気込んでいた。


私には高校生になってから出来た親友がいた。
名前は平田マリ。
高校にあがる少し前、マリは家族と一緒に同じ地域に引っ越して来た。
色白で手足も長く、髪は日本人形のように艶のある黒髪。整った目鼻立ちでとても美人な女の子。
控えめな性格で集団に溶け込むことは苦手なようだけど、思いやりのある優しい子だった。
仲良くなってからは休日にも二人で買い物に出かけたり、映画を見たり、お互いの家でお泊り会なんかもしていた。

バレンタインの前日。
学校が終わると、私はマリと一緒に近所のスーパーに立ち寄った。
もちろん、バレンタインチョコの材料を買うために。
私はトリュフチョコを作ると決めていて、板チョコと生クリームとココアパウダーを籠に入れていると、そんな私を見ながらマリが言った。
「今年も手作りするんだね。すごいね。ユウスケ君にあげるの?」
「マリは誰かに作ってあげないの?」
そう尋ねると、
「私はあなたのように器用じゃないし、あげたい人なんて……いないから」
と少し不機嫌になりながら別の通路に行ってしまった。

マリは異性にもバレンタインにもあまり興味がなさそうだった。

「私も器用じゃないんだけどなぁ……」
そう呟きながら、私はマリの後を追いかけた。

ふとフロアの一角にはバレンタインコーナーがあり、そこで可愛い入れ物とリボンを見つけた。
棚にはおしゃれなチョコレートがたくさん並び、中にはかなり高級なものまで売っていた。
どれも美味しそうだった。
そして買い物を済ませてスーパーから出ると、マリは『ピアノのレッスンがあるから』と言うのでその場で別れた。
私も買い物袋を持って家に帰ることにした。

玄関を開けると、家には私一人。
パパもママも仕事で遅くなると、今朝そう言っていた。
毎年ママと二人でチョコを作っていたけれど、今回は私一人で作ることになっていた。

買ってきた材料をキッチン台に置き、棚からボウルと小さな鍋を二つ取り出し、ひとつは湯せん用の湯を沸かし、ひとつは生クリームを入れて火にかけた。
そして、板チョコをまな板の上に置いて包丁で砕いていると、庭の方からコンコンコンというガラス戸を叩く音が聞こえた。
音のする方へ顔を向けると、庭から立ち去る人の手が見えた。

ユウスケ?

ユウスケは我が家に来る時、時々庭から入ってくることがあった。
それは数年前まで庭で飼っていた犬がいて、動物が好きだったユウスケはよく庭から忍び込んで可愛がっていた。
その名残で、今でもたまに庭から現れては私たちを驚かせた。
だから、私はユウスケがまた庭に来たのだと思ってガラス戸を開けたが、庭を見回しても誰もいなかった。
不審者かもしれないと思った時、私は少し怖くなってガラス戸の鍵をしっかりと閉めた。

その時、キッチンからお湯が溢れる音がした。
慌てて戻ると、沸騰したお湯は鍋から溢れ、火にかけていた生クリームは焦げていた。
生クリームは完全にやり直しとなった。

刻んだ板チョコをボウルに入れて湯せんで溶かし、その中に温めた生クリームを流し込む。そして、それをヘラで混ぜようとしたその時、今度は廊下にある家の電話が鳴った。
私はほんの少しだけチョコと生クリームを混ぜて、電話の元に急いだ。
しかし、電話に出ると聞こえて来たのはFAXの電子音。
受信ボタンを押すと、音を立てながら用紙が一枚印刷されて出てきた。
それは便利屋の広告。
私はため息をつきながら、
「こっちは忙しいのに勘弁して!」
と破り捨てた。
玄関のインターフォンは鳴らず、さっき庭にいたのが誰なのか不明なままだった。


キッチンに戻ろうとした時、床に落ちる金物の大きな音がした。
嫌な予感がしながらキッチンを覗くと、そこにはまるで床に投げ捨てられたかのように落ちたヘラと、床にチョコレートを撒き散らしながらひっくり返ったボウルが無惨な状態で転がっていた。
ボウル拾い上げると、どろりとしたチョコレートがさらに広がった。
どうしてボウルが床に落ちたのか、考えてもわからない。
これほどの不運は初めてで、床を掃除しながら涙が出てきた。
材料も、ココアパウダー以外に残っていない。
今年は諦めようかと一瞬思ったけれど、ユウスケの顔を思い浮かべるとやはりそれは出来ずに、私はまた板チョコと生クリームを買いにスーパーに向かった。

つい数時間前にマリと来たスーパーで、私はまた同じ物を籠に入れてレジに並んだ。
そして、スーパーから出て家に向かって歩いていると、スマホに一通のメールが届いた。

『お前ら、相変わらず仲がいいな(笑) スーパーで寄り道か?』
ユウスケからのメールだった。

『近くにいるの?』
そう返事を返しながら、私は周囲を見回した。
けれど、ユウスケの姿は見当たらない。
『いや、もう家だよ。部活が終わって、さっき自転車でスーパーの前を通ったんだ』

『声かけてくれればよかったのに』

『俺はサッカー部の奴らと一緒だったし、お前も平田さんと一緒だったろ。邪魔しちゃ悪いなと思ってさ』

『マリとは数時間前に別れたけど。今いるのは私だけ』

『あれ? お前の横に平田さんらしき人が見えたんだけどな。見間違えだったかな』

『ちょっと、怖いこと言わないでよ』

私はスマホを握りしめながら周囲を見回したが、マリの姿はどこにもなかった。

『悪い(笑) まぁ、チョコレートは楽しみにしてるからよろしくな』

メールはそこで終わった。
帰り際、私は気になってマリにメールを送ってみた。

『今、何処で何してる?』

返事はすぐに返ってきた。
『家で音楽を聴いているけれど、どうかした?』
『なんでもないの。ごめんね』と私は謝りのメールを送った。

やっぱりユウスケの見間違いのようだった。

家に着いた私は、今度は失敗しないように十分気を付けた……はずだったのに、チョコを刻んでいた包丁の刃を無意識のうちに指に押し当て、そのまま刃を手前に引いてしまった。
痛みとともに指先から赤い血が溢れて来た。
私は慌てて傷口を口に押し当てた。
危うく、チョコに私の血が混ざるところだった。
傷口は脈を打ちながら、指がジンジンと痛んだ。
薬箱の中にあるはずの絆創膏は見当たらず、傷口からは血が滲み出てくる。
とっさの判断で、私は傷ついた指にキッチンペーパーを巻いた。
白いキッチンペーパーに、赤い血が滲んでいく。

なんてついていない日なんだろう。

そう思わずにはいられなかった。

ようやくトリュフチョコを作り終えた頃、両親が仕事から帰ってきた。
指を切ったことを伝えると、
ママは『あんた最近怪我が多いわね』と呆れながら薬箱を開けた。

「絆創膏切れてるよ」

「そんなはずないわよ」
ママが薬箱を開けると、そこには絆創膏の箱があった。

「ほら。あるわよ、ここに」

そう言って、ママは絆創膏を一枚取ってくれた。

「さっきはなかったのに……」

「ないはずがないのよ。誰かさんがすぐ怪我するから、ママ絆創膏は多めに常備しているんだから」

私はママから受け取った絆創膏を傷口に巻いた。

夕食が終わり、私は二階の自室に戻った。
机の上には、リボンがかかった可愛い箱が二つ置いてある。
パパとユウスケに渡すチョコレート。

指の傷がヒリヒリと痛む。
ママの言う通り、何故か最近生傷が耐えない。
ユウスケや他の友人からはそそっかしいと笑われる。
心配してくれるのはマリだけだった。

「また、心配かけちゃうな」

何気なく、私はスマホを片手に窓の外を眺めた。
外はすでに日が落ちて暗く、電灯の明かりが灯っている。
ふと家のそばに立つ電柱に、誰か立っているのが見えた。
その人影は、よく見るとこちらを向いているようだった。
そして、私にはそれがマリに見えたのだ。

「え、マリ? あんなところで何してるんだろ」

私はそう思い、マリに電話をかけた。
何度か呼び出した後、寝起きのような声でマリが出た。

「マリ、そんなところで何しているの?」

私がそう尋ねると、マリは『調子が悪くてベッドで横になっていた』と言った。

変な連絡ばかりしてくる私を、怪しんでいる様子だった。
電話を切った後、電柱の方を見ると人影は消えていた。

その夜、私が寝ていると自分以外の息遣いが聞こえてきて目が覚めた。
ぼんやりとした薄暗い部屋の中で、髪の長い女性らしき人が背中を向けて立っていた。
髪型からしてママではないことがわかった。
私は驚いて体を起こそうとしたが金縛りにあったようで体は全く動かず、声も出すことができなかった。

髪の長い女性は肩を震わせながら、何か呟いているようだった。

「消えろ…… 消えろ……」

黒髪の女はそう呟きながらゆっくりと振り返ると、その顔は角が生えた般若のように恐ろしい顔をしたマリだった。
その目を見た私は、そのまま意識を失った。


次の日。
目を覚ますと、部屋には誰もいなかった。
全身に汗をかいてベッドから起き上がろうとしたが、どうにも体が重くて起き上がれない。
身体がみるみるうちに熱を帯びて、腹痛に襲われたために学校を休むことになった。
私はひどく落ち込んだ。


一時限目が終わる頃、マリから電話がかかってきた。
私の事をとても心配している様だった。

昨夜見た人影。
あれはマリだった。
けれど、それを本人に聞くことは出来なかった。
だって、約束もないのにあんな真夜中にマリがこの部屋にいるわけがないのだから。
きっと悪い夢を見たんだ。


お昼過ぎ、今度はユウスケから電話がきた。
「つまみ食いのし過ぎか?」とか「拾い食いでもしたのか?」と散々バカにされた。
そのうえ何人かの女子生徒からチョコを貰ったと自慢してきたものだから、頭に来て「私が作ったチョコは自分で食べるわ」と言ってやった。
すると、ユウスケは「怒るなよ」と笑いながら、
「帰りに取りにいくから。プリンでも買っていくよ」
と相変わらず優しくて、下がり始めた体温がまた上昇した。

電話の向こうでチャイムが鳴るのが聞こえた。
電話を切ろうといた時、ユウスケが驚くことを言った。

「そういえば、平田さんからもチョコレートをもらったんだ。結構高そうなチョコでさ、ビックリしたよ。気を使わせちゃったかな」

マリはバレンタインなんて興味もなさそうだった。
誰かにあげるなんて、一言も言っていなかった。

マリは義理チョコだと言っていた。
たった一人にあげた義理チョコ。
ユウスケの事が好きなのかと尋ねると、マリは私の目をまっすぐ見て『違うよ』と言って微笑んだ。
その笑顔が少し怖かったが、その後もマリは私にとって大切な親友だった


しかし、それから私の周りでは不可思議なことが頻繁に起こるようになり、私の家族やユウスケもかなり長いあいだ悩まされた。
それがマリの生霊の仕業であるとわかったの、もっとずっと後のことだった。

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