私の人生の役割を教えてくれた人
2年前の夏。
たくさんの人に夢を届ける仕事を、最期まで全うした、素敵なディズニーキャストのおじさんが亡くなりました。
10年前、私は大学に入学したと同時に、ディズニーランドのアルバイトを始めました。
配属先は、あの制服がかわいい、西洋の幽霊屋敷です。
当時からファッションに興味があった私はディズニーキャストの面接会場で、制服がかわいいと思うアトラクションを第3希望まで書類に書いて面接を受け、晴れてお屋敷のメイドになることができました。
もともと、ディズニーのアニメーションを小さい頃から見てきたのでディズニーは好きでしたが、パークには年に1回行くか行かないかという頻度だったので、ディズニーオタクというわけでもなく、
キャストのアルバイトをやってみたい!という憧れがあったわけでもなかったのですが、
当時、演劇が好きで、とりわけ演出に興味があった時期で、
ディズニーランドに行ったらどんな怖いおじさんでも笑顔になる、ディズニーの〝どんな人でも感動させることができる〟魅力や演出の秘訣を知りたいと思ったのがきっかけで、キャストになりました。
詳しいことは社外秘なので書けませんが、私があそこで働いて、個人的に感じたディズニーの魅力の秘訣のうちの一つは、キャスト一人一人の、ゲスト(お客様)に夢を届けたいという意識の高さにあると感じました。
もちろん、大まかなディズニーフィロソフィー(ウォルト・ディズニーが掲げた「世界の人々に幸福の場を提供する」という理念)は入社後の研修で学びますが、
研修を受け終えて一人で仕事をするようになった後は、ほとんどがマニュアルではなく、
各々のキャストが自分で「どう振る舞ったらゲストが喜んでくれるか」を考えて実行しています。
〝素敵なキャストさん〟のエピソードは色んなところでたくさん紹介されていますよね。
私も自分なりに色々考えて、ゲストに楽しんでもらえるよう工夫していましたが、特別なエピソードを聞くたびに、「そんな素敵な言葉が言えるなんてすごいな〜!」「そんな行動しようだなんて、思いつかない!」といつも驚かされていました。
そして、そんな〝素敵なキャストさん〟は、もちろん幽霊屋敷にもたくさんいて。
その中のうちの一人に、執事(お屋敷の中では女性はメイド、男性は執事という設定)の役に徹したおじさんがいました。
おじさんは、身長がやや高く、細身の白髪で、50歳半ばにしては少し老けて見えるかなという印象でしたが、
まるで老中執事のような貫禄のある雰囲気で、燕尾服を着こなしていました。
バックヤードでは一匹狼のようにいつも一人で、ほとんど笑わず、口数も少なかったのですが、
表に出てゲストと話すときは満点の笑顔で、
ゲストにアナウンスする時は、夢の詰まった台詞を添えて、
幽霊屋敷へゲストをいざなう亡霊執事が如くの演技をする、本当に素敵なキャストでした。
おじさんは、裏では一匹狼でしたが、2人きりになると突然おしゃべりになるツンデレな一面もあって、
表での素敵なキャストぶりに尊敬する人たちや、裏で2人きりになった時に仲良くなった人たちなど、大勢のキャスト仲間がおじさんのファンでした。
もちろん、ゲスト間でも有名人だったようで、インターネット上で「素敵なおじさん執事がいる」という話題も何度か目にしたことがあります。
そんなおじさんが、還暦のお誕生日を迎えるという年。
とりわけおじさんと仲良くしていたキャストの二人が、みんなでお祝いをしてあげようと企画を立てました。
内容は、おじさんのファンのキャスト全員の写真付きメッセージアルバムと、おじさんがアトラクションのイベントの時期になると必ず毎日身につけるアウターコスチュームの赤バージョン(赤いちゃんちゃんこの代わり)を手作りしてあげようというもの。
その時私はちょうど文化を卒業する間際のタイミングで、「服作りと言えばまやちゃん」とのことで、
赤コスチューム製作の担当を任されることになりました。
実は、私がキャストを卒業する数ヶ月前に、休憩時間におじさんと2人きりになってお話しする機会があって。
私が服飾を勉強していることを話したら今まで見たこともない興味津々な表情で私の話を聞いてくださり、
作品の写真を見せて欲しいと言われ、後日写真アルバムを見せたり、
顔を合わせる度に「学校はどうですか?」と気にかけ、応援してくださるようになっていたのです。
なので、そんなおじさんに私が作ったものをプレゼントできるということは、私自身もとても嬉しい機会でした。
男女多少の違いはあれど、実際に私も本物のコスチュームを着ていたので、本物に近い素材を探し、
柄は手書き、或いはミシンステッチで再現するなど(ディズニーの衣装は基本的にオリジナルで作られているものなので全く同じ生地は売っていないのです)拘り、
パターンも一から引いて、裏地までつけて、ほぼほぼ本物と同じように仕立てあげました。
おじさんの還暦をお祝いすべく、同じ職場の現役キャストのみならず、おじさんを知る多くのOBキャストや社員さん、他部署のキャストまで、250人以上の人が写真やメッセージを寄せ合い、赤コスチューム製作費を出資してくださって、おじさんがどれだけの人に愛されているかは一目瞭然でした。
残念ながら、おじさんにそのメッセージ集と赤コスチュームを渡す日は、私がディズニーキャストを卒業した後だったので、立ち会うことはできなかったのですが、
後に受けた報告では、おじさんが喜んでくださったこと、赤コスチュームがとても似合っていたこと、社内で写真が撮れないので、まやちゃんに見せるために家に帰ってから着て、写真を撮って送ってくださいとお願いしたら、恥ずかしそうに照れて笑っていたということを聞きました。
今思えば、私が本格的に学んだ技術で、1人の人のために初めて作ったオーダーの服でした。
それから2年の月日が流れ、
おじさんが退職したという知らせが、還暦祝いを企画した先輩から送られてきました。
お知らせを聞いた時は、単純に、「そっか。おじさんも退職しちゃったのか。残念だな。」くらいの軽い気持ちで。
今度は退職メッセージを集めているとのことで、当時仕事が忙しかった私は期限ギリギリに提出をしようと考えていました。
しかし、そんな悠長なことを考えている間に…
キャスト同期の友達から届いた突然の訃報…
おじさんは天国へ召されてしまったというのです。
末期ガンだったようです。
退職の理由もそれで、
それでも誰にも弱音を吐かず、限界まで働き続けて。
事情を知っていた先輩が、退職メッセージ本を渡すまで頑張ってと声をかけていたようですが、
退職して安心されたのか、予定より早くにその時が来てしまったとのことでした。
もちろん、早々から体力的に安全面で機械操作などはできないと判断されていたようで、最後はひたすら外でゲストを案内するというお仕事でしたが、
それでも私がパークへ遊びに行っておじさんを見かけた時はいつも、昔と変わらない笑顔で、ゲストにハピネスを届けている姿を見せてくれていました。
だからおじさんが亡くなったなんて、本当に信じられなかった。
また、あのお屋敷へ行ったら、いつもの笑顔で「ようこそ」と迎えてくれるんじゃないかと、
「鈴木さん、お仕事はどうですか」と、暖かい眼差しで聞いてくれるんじゃないかと、
悲しくて悲しくて仕方ありませんでした。
後に先輩から聞いた話だと、
おじさんはどうやら昔に、自分がやりたいことを諦めたという過去があったようで、
何か夢を追いかけている人を、自分が叶えられなかったぶん、本心で応援してくださっていたのです。
そして、私がキャストを卒業した後もずっと忘れないでくれていた。
私のことも、私の仕事のことも。
それが私だけではなく、みんなにそうで、
だからOBでも多くの人がおじさんを慕っていたのです。
お葬式はご親族だけで、静かに執り行われたようでした。
後日、還暦祝いを企画してくれた先輩2人が、全キャストを代表してお別れをしに行ってくださり、
私はメッセージカードにお別れの気持ちをしたためて、2人に託しました。
そしてその数日後。
先輩から思いがけない報告を受けました。
「最期を看取ったお母様の話によると、
おじさんは私たちが贈った、赤コスチュームを着て旅立ったようです。
貰ったことがあまりにも嬉しすぎて。
そして、最期まで、色んなセリフを呟きながら逝かれたと。」
もう、なんともいえない気持ち。
率直に、嬉しかった。
おじさんの、最期の姿が想像できた。
あの方は最期まで執事だった。
あの方は最期まで夢の国の案内人だった。
それはなんて、おじさんにとって幸せな最期だろう。
そして私は、その最大の幸せのお手伝いができたのか。と。
とても誇らしい。
そして実感しました。
私の人生の役割を。
私の技術は、私の才能は、人を幸せにすることができる。
辛いこともある、辞めたいと思うこともある、いっそ全く違う仕事をしようかと思ったことも。
人のためばかりに時間と才能を使い、お金にならず損してると言われることも。
でも、こうして、1人でも、
私の作った服を、最期のとてもとても大切な時に必要としてくれる人がいた。
私は、そのように人から必要としてもらえる技術・才能をもっているのに、軽々しく捨ててはいけない。
私を応援してくれていた、私のファンでいてくれたおじさんが、それを最期に教えてくれました。
それから、私は会社を退職したり、フランスへ飛んだりと、環境の変化は多々ありましたが、
この仕事を辞めようと思ったことは一度もありません。
スランプに陥って逃げることはありますが。
どんなに辛い状況になっても、お金がなくなっても、派遣で働かざるを得なくなっても、縫製職人であることを名乗り続けますし、必ず製作に戻ってきます。
そして、
私を必要としてくれる人はどんな人なのか、
私の技術でどんな人を幸せにできるのか、
私にしかできない仕事は何なのか、
世の中に貢献できることは何なのか、
自分の人生の役割というものを、
もっともっと深く考えるようになりました。
人生の役割、
それは本当に些細なことでもいいと思うんです。
私はそんな大業を成し遂げるつもりはありません。
人それぞれに大なり小なり人生の役割があって、支え合ってみんな生きている世の中であることは事実だから、
私は自分の役割が何かをはっきりと感じたいと思っているんです。
そして私はこんなことができますよって自分の口で言うことができて、必要とされたいし、助けになりたい。
そう思うことができるようになったのもきっと、
おじさんが気づかせてくれたから。
2018.12.4 まや
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