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エッセイ「ララバイ札幌」

実は今月、札幌を離れた。転勤である。
今は東京の、とある町の、とあるアパートに居る。

産まれは釧路、物心ついたのは北見。たまねぎとハッカの町。今は塩焼きそばと焼肉の町らしい。北海道以外の地で暮らすのは、今回が初めて。

北見の後はずっと札幌。小、中、高と札幌で過ごし、江別の大学へはバスと地下鉄を乗り継いで通った。就職も札幌で少し働いて結婚し、夫の職場に近い町の部署へ異動させてもらった。戦闘機の音が五月蝿く、加えてとても寒い土地だった。

車の運転が出来ない身としては、札幌以外の北海道の町で暮らすことは、とても難しいと知った。そして自分が、誰かと一緒に暮らすことが、とても苦手だということも。

「ひとを殺してしまうかもしれない」という恐怖で、車の運転が出来ないように「自分が削られて死んでしまうかもしれない」という恐怖で、ひとり身勝手に札幌に帰った。

それから色々あって独身に戻った私は、尚も札幌に居続けた。傷は浅くはなかったけれど「こんなものはかすり傷だ」と言い聞かせてきた。

札幌。

好きとか嫌いとかを、既に通り越している街。
骨を埋める故郷と決めている。世界中のどこで死んだとしても、テレビ塔を目指して、魂は絶対に札幌に戻って来ると信じている。

転勤の辞令は12/1。奇しくも「小説でもどうぞ」が初めて掲載され、翌日には「札幌市民文芸の集い」で憧れの万房さんに会えた。

「2024年の市民文芸は、応募資格無くなってしまうのかもしれない…」と思いつつ、辞令自体は6/1だったので、5月中に投函すれば良いや!と、狡賢い思考が働いた。

一生懸命書いた。前作「さよならピンターダ」は読者の存在を考えないで、カタルシス的に書いたけれど、今回はちゃんと、意思を持って、「こういうことを書きたい。どう思いますか?」というスタンスを持って書いた。書き上げた後は数日体調を崩した。テーマが重すぎたから。

札幌で、いったん、やるべきことは終えてきた。
今は次のステージに進むとき。

慣れない気温の、慣れない町の、慣れない部屋の片隅で、不安に押し潰されそうになりながら、そう言い聞かせている。こんな自分も、いつか、何かの小説のネタにしてやる。

ララバイ札幌。またいつか。
その時まで、どうか、元気で。


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