見出し画像

小説「鈴木さんの働き方改革」

鈴木さんはこの道数十年の大ベテランだ。
落ち窪んだ眼球、痩けた頬、蒼白の顔面、佇まいからは悲愴感が漂う。鈴木さんが何の気無しに辻に佇めば、そこは忽ちに心霊スポットとなる。見まごうことなき立派なオバケである。

大正から昭和の時代を生きた鈴木さんは、その根っからの実直な性格と器量の良さから、オバケになってからも良く働いた。あらゆることに気が付き、先回りしては何でもこなし、いつの間にやら閻魔大王様の右腕として地獄の門番の開閉を預かる身となった。すでに地獄には居なくてはならない存在である。その真面目さと勤勉さ故に、地獄の世での徳はとっくに積み終わり、いつ輪廻転生しても良いはずだが、そもそも現世での罪など閻魔大王様どころか鈴木さん自身もあまり覚えていない始末である。

さて、そんな鈴木さんには喫緊の課題がある。この度、閻魔大王様直々に「有給休暇」の取得を命じられたのである。閻魔大王様から命じられて断ることは許されない。
「鈴木さんが休みなんて不安です」
という門番の相方に頭を下げつつ、鈴木さんは極力忙しくない大安を選び、初めての有給休暇を取得した。

しかし、取得したものの、何をしたら良いかが分からない。いつもと同じ時間に目が覚めたし、白い天冠が頭に無いと落ち着かない。仕事のことが気になって仕方がない。オバケ人生初めての有給休暇は、家でいつもの休日のように掃除や洗濯に終始し、ソワソワと終了した。

しかしそんな有給休暇も、月に一度必ず取らなければならなくなると、上手く使わねばと使命感が生まれる。元来器用な鈴木さんである。好きなことを見つけそれに嵌れば拘り、突き詰めるタイプである。
ある時は山に登り、ある時は海へ泳ぎに行く。ある時は釣りに行き、釣った魚を捌いて料理する。

その度に現世では、オバケを目撃する人間が多発するが、有給休暇を終えた鈴木さん自身は、生き生きとしているから不思議である。

ついに、毎月一日だった取得から、半年後には連続十日の取得にまで至る。これには閻魔大王様も、蓄えた顎髭を触り触り、コンプライアンスすれすれに尋ねてしまう。
「えーっと、鈴木くん、どこかへ行くのかね」
「はい閻魔大王様、実はこの度、海外とやらに行ってみたくなりまして。なにせ今は飛行機で何処でも行ける世の中でしょう。しかも私はオバケで運賃も掛からない。折角なので反対の季節のオーストラリアに行って、サーフィンをするサンタクロースなんぞを拝みたいと思っております。」

鈴木さんはその日、定時になった途端に地獄の門を施錠し、さっさと天冠を外し退勤した。

そして十日の後、久しぶりに出勤してきた鈴木さんは閻魔大王様のもとへ顔を出した。その手にはオーストラリアのお土産と、なんと退職願ならぬ成仏願が握られている。
「閻魔大王様、この度は長きに渡る有給休暇ありがとうございました。こちらをお納め下さい。ハイ、コアラのマグネットでございます。それと突然の申し出ではございますが、こちら成仏願でございます。驚かれるのはもっともでございます、ハイ。有給休暇をいただいてオーストラリア旅行をしていましたら、誠に勝手ながら、生きて自分の足で旅をしたくなってしまいまして。土地土地の食べ物を食べることも出来ず、夜しか動けないため美しい景色を見ることも叶いません。味気ないではございませんか。ええ、成仏してみるのも良いかな、などと思ったのです。ええ、今のこの記憶が無くなるのは承知の上でございます。どれ、と思い確認してみたら、とっくに私の地獄での徳は積み上がっているではありませんか。成仏の準備は整っているということで、こうしてお別れのご挨拶に伺った次第でございます。いや、長い間、本当に、本当にお世話になりました。」

オバケとは思えない朗らかな声でそう言うと、挨拶もそこそこに、鈴木さんはさっさと地獄の門を開けて出て行った。

残されたのは、ポリポリと禿頭を掻く閻魔大王様と、同僚の門番である。
閻魔大王様は優秀な右腕を、同僚は優秀な先輩を失ってしまった。
「働き方改革、やってみるものだな…」

そう言い残すと閻魔大王様は、いそいそと自室に戻った。無論、自身の有給休暇の残日数を確認するためである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?