不登校になるのは「悪いこと」ではない 学校教育の矛盾について考える
目次
文部科学省の見解は「不登校は問題行動ではない」
不登校には「定義」がある
一般的に「不登校」といわれる状態には、きちんと定義があるのをご存じでしょうか。
文部科学省では不登校について、
「何らかの心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因・背景により、登校しない、あるいはしたくともできない状況にあるため年間30日以上欠席した者のうち、病気や経済的な理由による者を除いたもの」
と、定義しています。
不登校が「問題行動ではない」という根拠
さらに、文部科学省からは、こんな通知も出されています。
別添4 義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律案に対する附帯決議(衆議院文部科学委員会)
別添4 義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律案に対する附帯決議(衆議院文部科学委員会):文部科学省
ここには、「、不登校は学校生活その他の様々な要因によって生じるものであり、どの児童生徒にも起こり得るものであるとの視点に立って、不登校が当該児童生徒に起因するものと一般に受け取られないよう、また、不登校というだけで問題行動であると受け取られないよう配慮すること。」と明記され、不登校は問題行動ではない、という見解を示しているのです。
現実には「不登校は悪いこと」と思われている
不登校になるとみんな悩む
でも、実際不登校になると、子どもはもちろん、保護者も学校の先生たちも頭を抱えて悩んでしまいます。
周囲の人たちは「あそこの子どもさん不登校なんだって」「かわいそう」「大変だね」「何があったんだろう?」……という感じのリアクションになります。
保護者の苦しみ
子どもが不登校になると、たいていの保護者は大いに動揺します。
「学校を休んだら勉強が遅れる」「成績がつかなくなる」「進学できないのでは?」「このまま一生ひきこもりになってしまったらどうしよう」……などの思いが駆け巡ります。
焦り、悩み、落ち込み、学校へ行くよう子どもを説得したり叱咤激励したり、学校や教育センターに相談に行ったり、病院を探したり、なんとか学校に戻れるよう考えて手を尽くします。
中には、保護者の方も精神的に追い詰められてしまい、うつ状態になってしまうことあります。
子どもの苦しみ
多くの場合「おなかが痛い」「頭が痛い」「吐き気がする」といった身体症状が現れるため、休めると少しホッとします。
翌日には学校へ行こうと思っているものの、当日になるとどうしても玄関を出ることができない、というパターンが多いものです。
さみだれ登校からやがては完全に行けなくなり、行けない自分を責め、自己肯定感が下がってさらに動くことが難しくなってしまいます。
どうして学校に行かなければならないのか
「学校に行くのは当たり前」という固定観念
文部科学省では「不登校は問題行動ではない」と言っているのに、なぜ、多くの人は不登校になると悩み、苦しんでしまうのでしょうか。
そこには、「学校は行って当たり前」という固定観念があるからなのでしょう。
当たり前のことができない=不登校は悪いこと、というイメージになってしまっているのです。
学校に行く理由 その1 : 勉強するため
学校に行くのが当たり前という固定観念の中には「学校へ行って勉強しなければならない」という考え方があります。
確かに学校では授業があって勉強を教えてくれます。でも、クラスのほとんどの子どもが塾に行ったり学習教材を使ったりしている現状で、学校での勉強に期待している保護者はどのくらいいるのでしょうか?
学校の勉強では足りないと思うから、塾などに行くのではないでしょうか。
学校に行く理由 その2 : 人と人とのコミュニケーションをとるため
学校の活動には「社会性を学ぶ」というものもあるでしょう。友達同士や先生あるいは先輩や後輩とのつながりの中で、学ぶことは多いといえます。
ただ、中には人付き合いがあまり得意ではない、という子もいます。また、表面上は普通に見えても、極端に傷つきやすい心を持っている子もいるでしょう。
人と人とのコミュニケーションが常にうまくいくとは限りません。うまく行かなかったときには、子どもは苦しい思いを抱えたまま生活していかなければならなくなります。
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