見出し画像

私がADHDと診断されるまで

noteのフォロワーさんの記事を読んで、私も記録に残しておこうと思った。
(Twitter辞められたようだけど、お元気だろうか…?)

私の場合、ADHDとの診断を受けたのは30歳頃のことだった。

もともと、ケアレスミスが多かったり、忘れ物が多かったり。いわゆる「そそっかしい」と表現されるような人間で、最初に疑っていたのはアスペルガー症候群だった。
知的に遅れはない、でも何かが人と違う…そういう人たちをカテゴライズする言葉として知ったのは、いつの頃だっただろう。

その頃、よく見ていたブログのことを思い返してみると、おそらく2007年頃だったはずだ。

こんな調子で、変なところだけ記憶が良いのも、人と違う部分だと思う。教科書や資料集の隅に載っていたコラムの内容だとか、学校の先生が授業中に話した雑談だとか、やたら鮮明に覚えている。そのくせ、日々の忘れ物や予定を忘れることは多い。

アスペルガーや発達障害、そういう言葉でネット検索をすると、どういう特徴があって、どんな風に対策をすればいいのかが分かったので、自分なりに困り事に対処して、工夫して生きてきたつもりだった。

それが、職場の上司に、年末の定期面談で言われたのだ。
「ミスが多すぎて、任せられる仕事がない」と。

個人的に、そう言われるほどミスで怒られたり、注意を受けたりしている自覚がなかったので、相当ショックだった。

それに、その話が出たのは「最近、仕事量が少ない」と相談している流れ。その返事として、そうは言っても任せられない、と返ってくるなんて、思いもよらなかった。

今になってみれば、何かと体調不良で休んだり、定期リハビリで休んだり、その年の初めには抑うつ状態と診断されたことも、上司が私への対応に困っていた要因かもしれない。

それにミスが多い、の件にしても、社会保険関係の事務を引き継いだものの、あまりに複雑な業務に、なかなか先輩から独立できず、結果、他の人に引き継ぎ先を変えてもらう、なんてことも起こっていた。

ミスが多すぎる、と言われて、まず私がしたことは、主治医への相談だった。上司にこう言われた、自分でも、名前を知ってから疑って、長年ネットで調べていたことを伝えた。すると、あっさり、診断名にADHDが加わった。

あまりにもあっさり過ぎて、自分から疑っていると言ったのに、内心では、あれ、否定してくれないんだ…?と思ったっけ(笑)

診断を受けたからと言って、その瞬間から自分に何か変化があるわけでもなく、単に薬が1種類、増えただけ。仕事のミスが減ることを期待したけれど、朝起きるのが楽になるという思わぬ作用があったので、服薬を続けている。朝の起きられなさにも、長年悩んでいたので。

この投稿を目にした誰かが、共感したり、普通じゃないのは自分一人じゃないと、希望を持ってくれたら、と願っている。そして、どんな言葉で自分を定義しようが、自分は変だとか、自分はおかしいと思う必要はなくて、自分に合った工夫や環境があれば、困り事は減らすことができると伝えたい。もちろん、それを見つけることが難しいのは承知の上で。

最後に、星野源さんの『喜劇』の歌詞を引用して締めようと思う。

生まれ落ちた日からよそ者
涙枯れ果てた
帰りゆく場所は夢の中
……
劣ってると言われ育った
このいかれた星で
普通のふりをして気づいた
……
あの日ほどけた淡い呪いに
心からのさよならを

『喜劇』より

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?