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好きとは( ˙-˙ )

区切りの年になり、最近は自分の仕事観や結婚観について考えることが多い。昨日は過去に結婚を考えたことを記事にした。それに関連して、今日は恋愛感情について書いてみようと思う。

おそらく私は人を好きになったことがない。幼稚園児や小学生のいう好きは経験があるので、理解できているつもりだ。それなりに年をとってからの好きは未経験か、私には存在しないのかもしれない。これまでお付き合いした数人とは、「この人なら好きになれるかも?」「もっと仲良くなりたいということは好きなのでは?」という曖昧な気持ちのまま実験的に"彼女"をしていた。

数ヶ月経つ頃には「いや、やっぱ違うわ」と恋愛的な機微が自分にないことが判明して、紆余曲折の末、お別れしている。一応、付き合う前に相手にも恋愛感情の有無が微妙なことを伝えてはいるのだが、本当に失礼な話だと自分でも思う。


人としての好意やスキンシップの温かさは知っている。でもそれは同性に対する気持ちと差がない。女子校育ちというのもあるかもしれないが友達同士の距離感が近かったので、寒い日に腕を組んで歩く、膝に座る・座られる、急に抱きつかれる、お尻を触られる(笑)などのコミュニケーションが普通の光景だった。そういう物理的距離の近さから生じる、ドキドキや心のほわほわする感じは異性に対するそれと同じだ。
自分がレズビアンやバイセクシャルだとは思わない。でも、今まで"彼女"をしているときの感情を恋愛感情だとするならば、私は女の子とも付き合える気がする。(余談だが、もし私が男性か同性愛者なら、理想の彼女はTWICEのサナちゃんだ。あんなに美人で努力家で溢れんばかりの愛嬌、可愛すぎて意味がわからないよ!)

好きな人が偶然異性だったから、恋人という枠組みに入った。そんな感じ。友人の延長みたいなものなので、恋愛映画に感情移入するのがなかなか難しい。それはそれで寂しさもある。
「どうしよう!毎日あの人のこと考えてる🥰」
「振り向いてほしいから可愛くなりたいな🥲」
とか思ってみたかったし、失恋ソングで号泣する経験をしてみたかった。大多数の人が知っている感情を知らないまま死ぬのは少し勿体ない。

相手が同性であれ異性であれ、いつか雷が落ちるような衝撃で恋をすることもあるのかな、なんて学生の頃は思っていたが、まあこの年になっても無いのだから今後にも期待できない。
成就しなくてもいい。おばあちゃんになってからでもいい。恋する乙女を一度は味わってから死ねたら素敵だな。

そんなに好きな人なら理論や感情ぜんぶ放棄して結婚したくなってしまうというリスクもあるけど。80歳で求婚するおばあちゃんもレアで面白いからいいか。笑

私👵「おじいさんのことが大好きです!私と結婚して同じ墓n((入れ歯スポーンッ!」

👴「んぁ゛?!耳が遠くて聞こえないよ!」

👵「(あれ、メガネどこだっけ。何の話だっけな)……リハビリには行ってきたの?」

👴「畑みてくるわ」

楽しそうすぎる。

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