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読書感想文「世界一わかりやすい医療政策の教科書」

今回は,2020/06/01 に出版された,カルフォルニア大学ロサンゼルス校 内科学 助教授 津川友介先生 による「世界一わかりやすい医療政策の教科書」の読書感想となります.


1.   全体を通しての感想

なかなか一言でまとめるのは難しいですが,私なりの言葉でいうのであれば,「非常に野心的な良本」でした.

この言葉だけだと意味不明ですよね.
どういうことかといいますと・・・

この本は医療政策学に関しての本なのですが,この医療政策学は
・医療経済学
・統計学
・政治学 / 決断科学 / 医療経営学 / 医療倫理学 / 医療社会学
といった形で多くの分野からなる学問です.

そして,医療政策学を理解していこうとすると,これらの学問の理解とその関係性をおさえることが必要になってきます.
本書は,これらの分野を可能な限り平易な文章で,かつ,250 ページ程度に全内容をうまくおさめているという点で,筆者の野心(良い意味で)を感じることができる本でした.

そもそもですが,
日本は世界に類をみない形で急速に高齢化が進んでいる国で,医療政策は日本の社会問題の中で最も大きなテーマのひとつです.
厚生労働省によると 2019 年の医療費は約 43 兆円(下図参照: 厚労省各種資料をもとに Maxwell が作成)で,そのうち,国の財政負担は約 17 兆円です.日本の一般会計税収が約 60 兆円程度ですから,医療費だけで税収の 30% 近くもかかっていることになります.右肩上がりの医療費に労働人口の減少という追い打ちもかかることで,税収における医療費の割合は今後も増加傾向にあるのはまず間違いないでしょう.

医療政策の教科書 1


そういった状況下で,我々も医療政策というものにもっと興味をもち,議論していかなければならないと思いますが,なかなかその入り口に立つのは必要な知識も多く,簡単なことではないと思います.

本書はその入り口に立つための入門書としても最適だと思います.これほど広範に多くの分野の内容を盛り込んだ分かりやすい本はなかなかないと思います.

本書は各章が上で述べた医療政策学の構成要素である各分野に対応していますが,ここでは,医療経済学・統計学・その他という形に分けて,簡単な感想(のようなもの,もしくはまとめっぽいもの)を以下に述べてみたいと思います.
(実のところ,本書は医療経済学と統計学だけで書の半分以上の頁を使用しています.それだけ,この 2 つの分野が重要であるということなのかもしれません.)


2.   医療経済学

ミクロ経済学の需要・供給の概念を出発点として,モラルハザードや逆選択・リスク選択といった保険分野ではお馴染みの内容を解説しています.

また,医療保険の仕組み・支払い制度や自己負担率の社会的な医療保険実験など,医療保険を設計するにあたって必要となる要素の解説もされており,さらには,将来的に医療保険をどうしていくべきかという問いに必要となる医療費の増加要因・医師誘発需要・医師不足問題といったトピックも扱っています.

この章では,
・医療保険の概要
・どうして現在のような医療保険制度になっているのか
・今後の医療保険制度はどうあるべきか
に対するイメージが掴めるのではないかと思います.


3.   統計学

章の最初の方で,統計学を
・因果推論
・予測モデルの構築
・記述統計
に分けて説明していますが,この分け方は昨今のデータサイエンスの隆盛をしっかりと意識していると思います.
データサイエンスが特に得意とするのは予測モデリングの構築ですが,時にはモデルに使用する特徴量間の因果関係は二の次になることもあり,それでは医療政策に役立てるのが難しいのは言うまでもありません.
その点を踏まえた上で,この章では特に政策に重要となってくる因果推論に紙面の殆どを割いています.

Rubin の因果モデル,キャンベルの因果推論,Pearl の因果ダイアグラムに始まり,操作変数法・傾向スコア・回帰不連続デザイン・分割時系列デザイン・差の差分法と,因果推論の代表的なトピックが盛りこめられています.

操作変数法と傾向スコアの部分では,実分析における TIPS なども書かれており,因果推論を勉強したことのある私でも学びになる内容がありました.

また,線形回帰の発展版である,一般化線形モデル・混合効果モデル・一般化線形混合モデルなども紹介されており,データの特性に応じてモデルを選択することの大切さにも言及しています.


4.   政治学 / 決断科学 / 医療経営学 / 医療倫理学 / 医療社会学

これらの分野は私にとっては門外漢も良いところでしたので,どの章も勉強になりました.

定量的にエビデンスベースでよいと考えられる医療政策を練ることができても,それを実行にうつすまでには色々なハードルがあり,そのハードルを理解するためにはこれらの分野を理解しておくべきであることがよく分かりました.

特に私にとって馴染みが深かったのは,決断科学でした.
データサイエンスの世界ですと,モデルによって予測をして終わりではありません.予測した結果をビジネスに活かすためには,コストアロケーションなどの資源配分を求められることも少なくなく,決断科学というのはまさにそれに近いことを医療政策の領域で行う学問である,といえそうです.
とはいえ,ビジネスの世界とは異なり,医療の世界は単純な収益だけで物事が判断できる世界ではありませんので,その点は注意が必要かと思いました.

ちなみに,本書で紹介されていた以下の論文(Cohen 2008)によると,予防医療の 8 割には医療費抑制効果はないそうです.非常に驚きですし,なんらかの介入によって将来医療費を抑制しようと考える場合,こういったことも意識していかないと判断を誤りかねないですね.



5.   載っていない内容

私自身が統計学以外は疎いため,ここでは統計学の観点で述べるのみに留めたいと思います.

本書では紹介されている統計学の細かな理論は基礎からはカバーされていません.例えば,線形回帰の項目もちゃんと理解するのであれば,以下のような統計学の基礎的な参考書を読む必要があると思います.一方で,こういった基礎的な事項をおさえている方であれば,特に問題なくすらすらと読み進めることができるものと思います.

まぁ,高々 250 頁という,決して多くはない頁数に必要なものを全てつめこんだ本ですので,読者の方で別途カバーをすべき場所は統計学以外の章でもあるものと思います.
が,それらをカバーした上で再度この本を読み込むことで全内容がよりクリアになって,医療政策への理解が深まるのではないでしょうか.


長くなってしまいましたが,医療政策を理解したい・今後の日本の医療が不安だし何か自分も議論に参加できないかなど,少しでもこの分野に興味のある方には非常にお勧めの本です.

是非,興味のある方は読んでみることをお勧めいたします.
最後まで読んでいただきありがとうございました!

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