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この表現の自由の場で。

ほぼ書き終えたnoteを、さっきお蔵入りにすることにした。
書いたのは、先週の3連休最終日のこと。上野公園に行って普段と違う花見の様子を見てきたこと。そして、その晩に上野公園近くのホテル「水月ホテル鴎外荘」に泊まってきたこと。

昨今の状況から察してもらえると思うけれど、ここも例に漏れず宿泊のキャンセルが相次いでいるため、現在曜日やプランによっては和室でも1万円を切る価格で宿泊できる。温泉もふたつあり、別途料金はかかるけれど、夕食の鴎外懐石も最高だった。ホテルの所有する鴎外荘は、森鴎外が小説『舞姫』をはじめとする作品たちの執筆活動を行った旧居。これを無料で見学することができ、しかも写真撮影も可能。この素晴らしさを伝えたい、そう思って書いたnoteだった。
ただ、今の状況下でこれを出すことが適切なのか。それを考えはじめたら、公開ボタンが押せなくなってしまった。「わたしの執筆スタンス」のnoteにも書いたけれど、やっぱり読んだ人がつらい思いをしないように。これを不快に思う人もきっといる。その可能性をすこしでも排除するためにも、ぼくは今のタイミングで、これを公開することはできなかった。
こんなこと、べつに大したことじゃない。この騒動が収束してから出せばいいだけの話だ。みんなそう思うだろう。でも、ぼくがこれを悩んだのにはちゃんと理由があって。

私どもは、5月いっぱいで閉館させていただくことになりました。

旅館併設のレストラン「沙羅の木」での夕食の最中、女将さんがご挨拶に見えた。一見客にまで挨拶なんて申し訳ないな、そう思いながらお話を伺っていたら、このことの報告だったんだ。
さすがに鴎外荘は譲渡先を検討しているらしいけれど、ホテルは閉館。この騒動が収束を見るころには、このホテルはもう存在しない。それを思うと、とてもやりきれない思いが湧き上がってきた。

おすすめなので、ぜひどうぞ。
こんなことが言えない事態になるなんてね。
この表現の自由の場で、書く内容を選ばなければならない状況(これはあくまでぼくの考えとしてであって、もちろんみんなそれぞれの価値観で決めること)。行動のみならず、表現にまで自粛を強いられ萎縮してしまうことになるとは正直思っていなかった。
そうは言っても、このnoteですでにだれかの興味を引いてしまっている可能性だってあるわけで。中途半端に過ぎることを書いているのは自覚しているけれど、残念なことを残念だと表明すること、それは許してほしい。

見えないものに、こうして身体もこころも拘束されていくような感覚。こんなものに、ぼくらは負けちゃいけないんだ。
今朝はかなり落ち込んでしまった。でもまたここで元気をもらって、次からはまたみんなが笑顔になれるようなことを書いていきたいな。

さいごまで読んでくれてありがとう。
鴎外荘、趣のある日本家屋なので、写真だけ共有させてください。

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ヘッダー写真は、部屋を仕切る襖の絵の部分を切りとったもの。

今日もみんなが、穏やかに過ごせますように。
どんなに気持ちの晴れない朝でも、それだけは願っている。いつも、これからも。





追記
ぼくが水月ホテル鴎外荘の存在を知ったのは、このホテルについて書かれていたnoteを読んだからです。現在そのnoteは非公開になっていますが、共有してくださったからこそぼくもこうして経験することができました。ここにお礼の言葉を書かせていただきます。





いただいたサポートは、ほかの方へのサポートやここで表現できることのためにつかわせていただきます。感謝と敬意の善き循環が、ぼくの目標です。