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さりげなく、優しく。 #わたしの執筆スタンス

前回のnoteには、とても多くの反応をいただけたみたいでうれしかった。きっとたくさんの人が、みんなどんなスタンスでnoteを書いているのか気になってるんだよね。でもこれって、いくら仲がよくても付き合いが長くてもそう気軽に訊けるものでもない。人によっては企業秘密みたいなものだし、逆に言えば、好きな人のコレ正直知りたくなかったみたいなこともあるかもしれない。

いち書き手として、ぼくはまだまだ学ばなければならないことが多い。人の書き方を教えてもらったくらいで上達するなら苦労しない。それはわかっているけれど、PCに向かってため息まじりに天を仰ぐとき、BSキーを押し続けて画面をキレイに掃除するとき。寂しいなぁ、みんなこんな感じなのかなぁ...なんて孤独を感じて思ったりする。
ストイックに、画面にかじりついてこそ。
書いて読んで、書いて読んでの繰り返し。
正解はそこにしかないのかもしれない。
それでも、ねぇ。近道しようってんじゃないんだから、訊いてみてもいいじゃない?ダメかなぁ。もう訊いちゃったけどね。

もちろん。
訊くだけじゃ申し訳ないからぼくも書く。
前置きが長くなったけれど、今日のテーマは #わたしの執筆スタンス です。

さりげなく、優しく。

ぼくがふだん書いているのは、ほぼすべてがエッセイか日記です。あとは、短い物語をいくつか。スタンスと呼べるほど、何かが定まっているわけではありません。けれど、一貫してこころがけていること。ここでは何回かこの話をしたことがありますが、それは、「さりげなく、優しく」です。

読んだ人が、つらい思いをしないように。それは、かなり意識して書いているつもり。悲しいことや手厳しいことを書かない、ということではなくて、悲しいことや問題に思えることでも、どうにか柔らかく落としこもうと言葉を選んでいます。それはちがう、と言うのは簡単。でもきっと、それを読んで快く思わない人もいる。だから、必ず対案や解決策を一緒に提示する。こんなふうに考えたらもっとよくなるんじゃないかな。それをセットに書くこと、忘れないように気をつけています。
と同時に、丸くし過ぎると何を書いても結局「何かちょっといい話」で終わってしまう。そのバランス、難しいけれど、伝えたいことがぼやけて内容を犠牲にしてしまわないように、ということも、大切だと思っています。

※ちゃんと批判をする、厳しくする、それが優しさだという方もいらっしゃると思います。でもすくなくともnoteの街の上では、ぼくはそれは考えていません。あくまで柔らかく、否定しない、尊重する。ぼくはここではそれを優しさだと定義しています。

だれに向かって書いている?

色んなパターンがあります。

・特定のだれかを思いながら書いている
・ターゲットを大ざっぱに定めて書いている
・だれへということではなく思ったことをつらつらと述べている

こんな具合に。
ただいずれの場合にせよ、自分に(も同時に)宛てて書いているものが多いのかなと思っています。
補足します。

・すこし落ち込んでいるだれかへのメッセージのようで、実は自分もそんな状況。自分自身のことも励ましたいから書いている
・だれかの置かれた状況にたいして思うことを、自分が当事者だった場合のことを考えて書いている

など。
...こう書くとすごく利己的で嫌な人間みたいだなぁ。ちょっとヘコみそう。
でもこれは事実で。
ぼくはつよい人間ではありません。日々ちょっとしたことで落ち込んだり、何も手につかなくなったりします。なので、書くことで自分の気持ちも上に向かせたい。「だれかを思って」はもちろん正直な気持ちですが、同時に自分もできるだけごキゲンになれるものを書くようにしています。
優しい人だと、よく言ってもらえるけれど。こんなふうに、そうじゃない部分だってしっかり持っているんです。

あとこれに関しては、「勝手にアンサーnote」というマガジンをやっているのですが、ここでは相手がだれ、ということを明確にせず、読んだnoteにたいして思ったことを文字通り「勝手にアンサー」したnoteを収録しています。下記リンク、お時間ありましたら覗いてみてください。

目指したい姿。

これは時間を経るうちに変わっていくこともあるかもしれませんが、先ほど書いたように、やっぱり「だれが読んでもつらくならない」ものを書く、ということです。
一つの文の、隅から隅まで言葉を見直す。誤字脱字の発見、それもありますが、どこかひとつのささいな(ように思える)言い回しがだれかを傷つける恐れがないだろうかと。そんな可能性を、すこしでも減らすために。いろんな人がいます。だから、どんなに気をつけても、どんなにこころを尽くしても、その可能性がゼロになることはあり得ません。

5か月前、これもとあるここで出会った友人への「勝手にアンサーnote」なのですが、このnoteにぼくはこう書きました。

だから、ぼくらの矢は。
まあるくまあるくしておこう。
柔らかく、しなやかなものに、しておこう。
大丈夫。
射抜かなくたってきっと、だれかのこころに届くから。

決してつよい言葉をつかわなくても、届くところには届く。ぼくはそう思っています。人それぞれのスタンスがあるから、そうあるべきだということではなく、あくまでぼくの場合、ぼくの目指すところ、という話です。ここにはたくさんの人がいます。ぼくの想像の及ばないような世界を知っている人が、たくさんいます。
自分の常識の範囲内にある言葉を疑うこと。過剰なくらいがちょうどいい。それをくり返すことで、自分の常識の範囲が拡がっていく。常識のレベルが、すこしずつ上がっていく。ぼくはそう信じています。

おわりに

何だか崇高な理念を振りかざしたような、キレイごとのような文章になりました。でも、こうしてある意味自分にプレッシャーをかけること。これってとても大切なことだとぼくは思っています。そして何より、ここで書いたことは大まじめにぼくが目指していることです。創作だから、好きなことを書けばいい。たしかにそうです。でも、ここに書く以上人に読んでもらうことが前提にあるわけで、SNSだろうと何だろうと実社会と同じ。やっぱりマナーや気配りは必要なんです。みんなが気持ちよく過ごすことのできる空間を、ぼくらはその一員として、目指さなければならない。それを実現できるように、互いを尊重しなければならない。こんなこと言ったら息苦しいかな。でもね、みんなが笑顔でここにいること、それがつまらないと思う人なんてきっといないと思うんです。
そのために、何ができるか。
それを考えた結果と、自分の書きたいこと、表現したいこと。
それが決してすくなくない範囲でリンクしていたら素敵なんじゃないかな。どうですか。やっぱりキレイごとかなぁ。
でも、目指すのはタダだから。やってみて損はないと思いますよ。もちろんぼくもまだまだなので、一緒に一歩ずつ進んでいけたらうれしく思います。

だいたい3,000字、今回も長くなりましたが、お付き合いありがとうございました。
#わたしの執筆スタンス 、よかったらぜひ。
かぎりなくゆる~く募集していますので、考えを寄せてくださるとうれしいです。
それでは今朝は、このへんで。
ありがとうございました。
水曜日、みんなが穏やかに過ごせますことを。






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