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湧き出ることをやめない泉のような。

たぶんぼくは、自分が望んできたものをすこしずつ手に入れている。
後悔していることだってたくさんあるけれど、今は何とかこうしてまともに仕事をし、人生の転機を与えてくれた人と出会い、新しい生活をはじめている。
noteだって、最初は何日も何日もかけてやっとひとつの記事を書きあげていた。
できたときの喜びと充足感は何ものにも替えがたく、しかもだれかが読んでくれている、スキという形でそれを教えてくれる、そんな素晴らしいご褒美をもらって、そして今は毎日のようにそれを繰り返し、素敵な世界観をもつ人たちと交流をさせてもらっている。

これはきっと、とてもしあわせなことだ。
だれかと共に生きたいと思い、ずっと大切にしたいと思える世界がある。
だれもが無条件で手に入れられるものではないものだと思う。
ぼくは今の、この自分をとりまく環境に感謝しなければならない。
それは、十分理解している。





はず。
なんだけど。

んー!
もっと欲しい!
もっと欲しい!!
もっと欲しいィィ〜ッ!!!

と、どうしても思ってしまう。

パートナーとの時間がもっと欲しい。
もっと話したい。一緒に出かけたい。
部屋を快適にしたいし、いつもキレイに掃除していたい。
もっと時間をとってnoteを書きたい。
もっと人のこころに届くものを、本心から書きたい。
もっと読んで欲しい。スキも欲しい。
もっと勤務時間を減らしたい。でもお金は欲しい。
もっと寝ていたい。

もっと、もっと。

たくさんたくさん、望んでしまう。
もう満たされているのに、さらに多くを望んでしまう。
きっともう、満たされているのに。

理不尽や矛盾に怒りを覚える。
輝いている人に嫉妬を感じる。

満たされているのに、そんな感情さえも抱いてしまう。

何でこんなに欲が尽きないのだろう。
そんな自分のこころに、いつも思い悩む。

でもそんな自分の苦しみや悩みは、どこからか人が持ってきたものではなくて、ずっと昔から自分の中にあったものだ。

もっとおこづかいが欲しかった。
もっとバスケがうまくなりたかった。
なんであの人はあんなに性格が悪いんだろう。
なんであんな人が成功しているんだろう。

しあわせだと思うこともあったけれど、ときにこんな欲や怒りや妬みとともに過ごしてきた気がしている。

人は人、自分は自分。
ちいさな頃から母にそう教えられてきた。
それはきっと正しい。
正しくて、そうあるべきで、みんながお互いを尊重しつつ、それぞれのしあわせを追求していくものなんだ。

湧き出ることをやめない泉のような、そんな欲の源をだれもがきっとこころに持っている。
それとどう向き合って、自分と折り合いをつけていくのか。
それは、現状のしあわせをどれだけありがたいものとして受けとめることができるかにかかっている。

望んで登った高みでも、またきっと同じ悩みに遭遇する。
それをしっかりこころに留めて、内なる声の中から正しいと思えるものを選び取ろう。


ぼくは今、とってもしあわせだ。







煩悩。
それが今日、108個めのnoteのテーマでした。
ぼくらを煩わせ悩ませる、消えないこころ。

煩悩は、消すことはできないんだそうです。
ぼくは、それはなんとか抑えつけて克服して、乗り越えていくものだと思っていました。
それがわかったら、なんだか楽になった気がします。

欲も怒りも妬みも、どうしたって生まれてきてしまう。
ならば共に生きよう。
どうにか向き合って、どうにか折り合って、抱えて生きよう。


そろそろ梅雨明けです。
ようやく夏本番。
ぼくにとっては30代さいごの夏になります。
一生の思い出を、つくれるようにしたいなぁ。

ではではみなさま、すてきな夜をお過ごしください。







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