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それでも、何度でも。

蜘蛛って偉いなぁ、と思うときがある。
糸を編み、周到に張り巡らせて、あとは、刻を待つ。
ときに予期せぬ出来事に襲われて、その美しい棲処を壊されてしまったとしても、淡々と、彼らはふたたび糸を編む。
何度でも何度でも、彼らは愚直に、糸を吐き出しつづける。

それは彼らが、自らが待つことしかできないということを知っているからだ。
生きるために。
彼らには自らが、やるべきことが見えている。



それは、よく考えたらぼくらも同じことだ。
想像し得る限りの困難や問題に対処するべく、日々備えていく。
試験とか仕事とか、夢とか。
迫り来る試練や予定に、ふと訪れるチャンスに。
ぼくらも周到に糸を編んで、網を拡げて、刻を待つ。
欲しいものを、価値を。
そうして獲得していくんだ。

けれど、ときに網の目がすこし粗くて、捕らえたかったものがすり抜けてしまうかもしれない。
抗いようのない嵐に翻弄されて、網が壊れてしまうかもしれない。

そんなとき、ぼくらがやるべきことは。


それでも、何度でも糸を編む。
何度壊れても、網をつくり直す。
場所が悪かったら、変えたっていい。
失敗して学んで、これまでつくった不恰好な網の形を忘れないで、どんどんアップデートしていく。
今は不本意な場所でしかつくることができなくても、まずはそこで最高のものをつくる。
決して大きくはなくても、自分が美しいと思える網を張るんだ。

困難に立ち向かうとき、努力して編んだ糸は頼りなく、網は脆く見えるかもしれない。
それでも、信じる。
一縷の望みでも、つなぐ。
自分の編んだ糸でつくった美しい網を、決して諦めない。

その結果、欲しかった何かを得ることができることがある。
残念ながら、得ることができないことがある。
それはもう、わからない。自分にも、だれにも。
けれど、ひとつだけ言えることがある。


それは、ぼくらが編んだその糸は、つくったその網は、ほかの何にも替えることのできない、かけがえのないものであるということだ。


こんなことは、きれいごとかもしれない。
都合のいい側面だけを見て、美化しているかもしれない。
けれど、それすらも思うことを禁じられてしまったら。
それこそぼくらは、自分のしてきたことを否定するしかなくなってしまう。
無駄だったと。意味がなかったと。
そんなことしないで、光をあてようよ。


何があっても、してきた努力は肯定する。
周りが何と言おうと、認めてあげる。
その積み重ねが、いつかの自信にきっとつながる。


謙虚に、嘘をつかずに、地道に編んできた糸。
それを美しく張り巡らせて、立派な網をつくって、堂々としていよう。
激しい嵐でも、努力して手に入れた強靭な糸は、きっと耐えてくれる。
嵐が去って、美しい水滴のレースを纏い輝く。
そんな日がきっと、いつか来るはずだから。






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