やさしさの論理

「やさしさとは、ある行為を受けた人の心の中に存在するものである」

深夜のファミレスで、【やさしさとは何か】について議論し合っていた大学生たちは、そういう結論に至った様子だった。他にどんな意見が飛び交っていたのかを全く思い出せないほどに、鮮やかな結論だった。その結論を導いたのは、グループのリーダーらしき青年だった。彼は、つぶらな瞳の奥を輝かせながら、真面目な顔で、慎重に言葉を選びながら話した。

「今、皆の話を聞いてて思ったんやけど。。」

彼の話はこんな前置きから始まった。

「例えば、俺が同じことを二人の人にしたとするやんか。。でも、それをどう受け取るかは、その人次第やと思うねん。ある人は俺がやさしい、って思うかもしれへんけど、もう一人の人は、別になんとも思わへんかもしれん。だから、結局、ある行為が〔やさしい〕かどうかは、〈その行為をした人〉が決めることじゃなくて、〈その行為を受けた人〉が感じとることであって、、、んで、、何かをしてもらった時に〔やさしさ〕を感じることのできる人が〔やさしい人〕なんちゃうかな、、って俺は思うんやけど、、俺の言うてる意味わかる?」

その場にいた皆が静まり返り、「納得」の表情を浮かべていた。彼は皆の表情を見て話を続けた。

「で、俺はよく『あの人やさしいな』って気づく人やねん。よう気づくねん。。」

そこまで言った彼の瞳はいたずらに輝き、口許はニヤリと弛んでいた。皆も話の次が読めた様子で、ニヤリとしながら前のめりになって彼の言葉を待っていた。

「で、結局、、、俺は〔やさしい人〕やって話な!!」

予想通りのオチに、彼も皆も爆笑した。「て、お前の話なんかい!」「結局全部持っていくんかい!」と口々に突っ込んだ。しかし、最後のオチまで、皆納得していた顔だった。きっと彼は本当に〔やさしい人〕だったに違いない。いろんな場面で、一人一人に労いの言葉をかけ、表情を見ては「大丈夫か?」と声をかけるような青年だったに違いない。きっとあの場にいた誰もが、彼の〔やさしさ〕を知っていたからこそ、彼の言葉には説得力が宿っていたのだと思う。

「『〔やさしさ〕とは、ある行為を受けた人の心の中に存在するものである』ってことでいいですか!?」

そう気持ちよく締め括った彼に異論を唱える者はなかった。その場にいた皆が、互いの〔やさしさ〕を感じ、感謝しながら過ごしている事が見てとれた。深夜のファミレスが、温かい空気に包まれていた。とても印象深い夜だった。

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あの夜からもう20年近く経つ。あの青年は、あそこに集っていた子たちは、今も〔やさしい人たち〕に囲まれ、〔やさしい時〕を過ごしているだろうか。

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