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【小説】ふたえまぶた

 わたしたちは同じ日に生まれた。姉が先で、わたしがその後。

 生まれたときから一緒にいて、同じことを経験して、等しい愛で育てられた。

 顔もそっくりで、おそろいの服で、かけっこもいつだって同時にゴールして、似たような頭の出来で。

 ただ一つ、たった一つ違ったのは、姉が二重まぶただったことだけだ。


 一重まぶたのわたしは、毎朝鏡を見てはため息をつき、長い前髪で目元を隠した。

 二重まぶたの姉は、毎朝鏡の前で楽しそうに鼻歌を歌い、前髪を切りすぎたと嘆きながらもどこかうきうきとしていた。

 目元以外は見事にそっくりなわたしたち。たった一か所の違いなのに、目元が明るい姉は雰囲気も華やかになっていき、目元が重たいわたしはおのずと陰気くさくなっていった。

 気がつけば、おんなじだったわたしたちは別々のわたしたちになっていった。

 顔が可愛くて性格も明るい姉は、同じように明るく派手な友達に囲まれ、賑やかな毎日を送るようになった。男の子との噂もたまに耳にしたし、イベントがあると決まって誰かに呼び出されていたけれど、なぜかいつも断っていたらしい。そんなところがなんだか気取っているみたいで、わたしは気に入らなかった。

 一方地味なわたしは、もちろん友達は多くないし、むしろ一人の方が楽しいし、男の子と話すことなんて係の業務連絡くらいで。成り行きで入った美術部で自分が少しだけ絵が描けることに気がついてからは、ひたすら絵に没頭するようになった。絵を描いているときだけは、姉の二重まぶたが突きつけてくる現実からも、姉と比べられる生活からも逃げることができた。家に帰っても自分の部屋に引きこもり、姉と話すことはなくなった。


 そんなある日、美術の先生から、授業で描いたわたしの絵が賞をとったことを知らされた。中学三年の秋。今まで何をするにも中の下だったわたしが、初めて日の目を見ることになったのだ。

 冬休み前の終業式。体育館のステージ。わたしみたいな人間は、きっと人生で数えるほどしか上がれない場所。
 『伊藤佳代子』と達筆な字で書かれた表彰状を受け取り、後ろを振り返る。進行の先生の言葉に従って拍手をする大勢の生徒たちの視線が、全てわたしに向いている。みんながわたしを見上げている。その光景になんだか胃のあたりが気持ち悪くなって、逃げるように階段を駆け降りた。
 それでも心の中は言いようのない喜びで満たされていた。この絵はわたしが特別な想いを込めた、大切な絵だ。単純に努力が報われたことも嬉しいし、わたしの想いが誰かに受け入れられ、評価されたという実感にも心が湧き立った。


 しかし、それまで影に潜んでいた人間に光が当たるのが気に食わない人間は一定数いる。自分より下だと思っていた人間がのうのうと表舞台に立つのが腹立たしいという気持ちは、きっと大抵の人の中にはあるものだ。

 だからこんなこと、想定内。

「あれっ、あんた佳奈子の妹じゃね? さっき賞状もらってたよねぇ?」

 式のあと、教室へと向かう廊下を歩いているときだった。明らかにわたしを獲物として視界に捉えた女たちが近づいてくる。

「美術の絵でしょ、ご立派よねぇ。ねえ、自分だけ褒められちゃって嬉しい? お姉さんを差し置いてさ」

「いい気分でしょ、佳奈子はあんたよりずっと可愛いしいい子だしモテるもんねぇ。ようやく勝てて清々してるんじゃない?」

 姉の取り巻き約三名。ぐるぐる巻き髮と、おっぱいのでかいブスと、こっちはスマホ依存症か。しきりにスマホをチェックしている。三人揃ってねっとりと鼻につく喋り方が鬱陶しい。この中ではおそらく巻き髪がトップ。こんな奴らとつるむだなんて姉も落ちたもんだなと思ってしまう。これまでは目をつけられないようにうまくやってきたから幸いいじめられたことはなかったけれど、いつ来てもおかしくはないと覚悟していた。

「てか、あんたちょうどその賞状持ってんじゃん! なあに、見せびらかしにでも来てくれたの?」

「ちょっと見せてよ」

「あ、待っ」

 トロいわたしはあっという間に片手の表彰状を奪われる。取り巻きたちは丸められた表彰状を乱暴に開き、内容を無駄によく響く声で読み上げてみせて、キャハハと笑った。何がおかしいのかは理解できないが、馬鹿にされていることだけはわかる。馬鹿はお前らなのに。

「でもあんたさ、これで佳奈子に勝てたと思ってるなら大間違いだかんね?」

 トップの巻き髪が得意げに表彰状をひらつかせる。嫌な予感が頭をよぎる。と思ったのも束の間、巻き髪の両手はぐっと表彰状を掴み、ゆっくりとその紙を引き裂いていった。

「これさえなくなれば、あんたにはなぁんにも残らないもんね」

 言葉を失うわたしを見てか、スマホ依存症は嬉々としてその様子をカメラに収めては煽り、おっぱいでかブスはそこらの汚物もびっくりする下品な笑い声を廊下に響かせた。さっきまでわたしが握りしめていた努力の成果は、みるみるうちにバラバラと床に散らばっていく。

 ああ、やっぱりわたしはあの人に勝てないんだ、とぼんやりとした頭で思った。

 姉にはできなくてわたしにしかできないこと、それをずっと探し続けてきた。ようやくそれを見つけて、ついに報われる時が来たと思っていたのに。姉本人が関わらずとも、姉の人脈、実質姉の力でいとも簡単に踏みにじられてしまった。
 姉は友達が多い。姉は人気者。姉はモテる。たったそれだけのことでわたしの努力は無駄になってしまう。わたしに味方がいないのをいいことに、こいつらにはなんの力もないくせに数でわたしを貶めてくる。数を味方につけた人間には勝てない。どんなに頑張ったって、可愛くなくて友達もいないわたしはこの紙くずと同じにしかなれないんだ。

 立ち尽くすわたしを見てかいよいよ調子づいてきた三人組は、わたしの気持ちを煽るように高い高い声で笑ってみせる。頭に響く。気に入らない人間を陥れてさも愉快そうなこの目。気持ち悪い。絶望のあまり視界が霞んでくる。このまんま倒れちゃっても、助けてくれる人は誰もいないんだよなあ。

 ──すると。

「……何、してんの?」

 今この場に最も来てほしくない人物が現れた。

 紙切れをばらまく友人たちと、その前で固まって動けなくなっている妹を交互に見つめる姉。しばしその空間に訪れた静寂は、決して居心地のいいものではなかった。
 どうせあんたもこいつらと同じなんだ。こいつらと一緒にわたしを嘲笑って、またどこかに行っちゃうんだ──そう思うしかなかった。

「……! 待ってそれ、まさか……!」

 姉は全てを察したらしい。そして光のような速さでこちらに向かってきて、今にも倒れそうなわたしをかばうように抱きしめた。正直驚いた。佳奈子は、わたしのことなんかとっくに……。

「あんたたち……佳代子に、あたしの妹に何してんのよ……っ」

 声を震わせながら、友達であるはずの人たちをきっと睨みつける。怒っていてもこんなに綺麗な横顔だなんてずるいなあ、とあまりにも似つかわしくないことを考えてしまった。

「ち、違うの佳奈子。あたしら、この妹があんたを差し置いていい気になってるから、ほんとのこと教えてあげようと思って」

「何がほんとのことよ! 佳代子があたしを馬鹿にするために絵を描いてるわけないじゃない! ……あんたたち、この子が賞をとった絵を見たの?」

 ──嘘だ。だってあの絵は、完成してから少しの間美術室の前に飾られていただけで、今は県の展覧会に展示するために回収されている。しかも美術室は校舎の隅っこの寒々しい場所にある。美術部員以外、ほとんどの人がその絵を見たことがないはずだ。

「ねえ、佳代子に謝って。それから、今後一切佳代子には近づかないで。この子はあたしよりずっと才能があるし、すごく家族想いなの。こんなことで才能の芽を摘まれちゃいけないの。あたしのためにこんなことしたっていうんなら、もう友達やめるから」

 佳奈子の大きな目に、大粒の涙が溜まる。こんなに悔しそうな佳奈子の顔は初めて見た。
 対するお友達トリオはその圧に返す言葉もなくし、「ご、ごめんなさい」と情けない小声で謝りながらすたこら去っていった。こいつらは私に謝ったわけじゃない。人望のある佳奈子を敵に回すと怖いのを知っているのだ。とはいえ、あまり悪い気はしなかった。

 廊下にはわたしたち二人だけが残された。佳奈子はあいつらの去っていた方向を、唇を噛み締めながらまだ睨みつけていた。わたしを抱きかかえる腕は震えていて、今にも泣き崩れてしまうんじゃないかと気が気でなかった。

 ああ、そういえば佳奈子は泣き虫だったっけ。昔は二人でいつも一緒にいたけれど、ちょっと転んだり悪ガキにいじめられたりするだけですぐ泣いていた。泣きじゃくる佳奈子の手をわたしが引っ張って、なだめながら家に帰って。あの頃はどちらかというと、わたしがお姉ちゃんみたいだった。

 ふと気がつくと、手がひとりでにその頭を撫でていた。昔やってたのとおんなじように。あの頃も佳奈子が泣きそうになると、泣いちゃダメだよ、なんて言いながらわたしが頭を撫でて。
 でも、そうするとなぜか佳奈子は、決まってわっと泣き出してしまうんだった。

「ごめんね、ごめんね佳代子……っ」

 佳奈子は何も悪くないのに、どうして謝るんだろう。縋りつく佳奈子の頭を撫で続けていると、嫌でも昔の思い出が蘇ってしまう。自転車の練習中に派手に倒れて腕を怪我したとき。蜘蛛が服の上を這っていてびっくりしたとき。パン食い競争でパンが取れなかったとき。お皿を割ってお母さんに叱られたとき。わたしが同じ目にあっても絶対に泣かないぞと歯を食いしばる傍らで、佳奈子はいつだって感情をあらわにしていた。

 だからなのかもな。わたしと違って感情を表に出す佳奈子は、泣くときは思いっきり泣くし、笑うときは思いっきり笑う子だった。その分いろんな人に構ってもらえたし、たくさん愛された。結局はわかりやすい方が好かれるんだ。佳奈子は虹色だった。
 その反面、わたしは泣くのも怒るのも喜ぶのも恥ずかしくて、そしていろんなことが気になって隠してしまった。わたしが泣いたら迷惑をかけてしまう、怒ったら嫌な気分にさせてしまう、わたしなんかが喜んでいいんだろうか、などと考えているうちに、感情はわたしの中で膨れ上がって萎むばかりだった。気がつけば、わたしの中にはモノトーンしか残っていなかった。
 もしわたしじゃなくて佳奈子があの表彰状をもらっていたら、きっとステージ上で飛び上がって全身で喜びを表現していたんだろうな。

 わたしは佳奈子が羨ましかった。誰よりも真っすぐで、素直で、こんなにも鮮やかな色が似合う佳奈子のことが。

「……あの絵、見てくれてたんだね」

 絞り出した声は思いの外震えていた。

「……すごく、すっごく綺麗だった。それから、それからね……すっごく嬉しかった」

 制服が涙の色に染まる。気づいてしまう。ああ、わたしが欲しかったのは、偉い人からの評価でも、表彰状でも、たくさんの人からの拍手でもなかったんだ。

「佳奈子、わたしね、佳奈子になりたかった」

「……あたしになりたかったの?」

「うん」

 涙色が広がる。どんな絵の具を使えば、この色が描けるんだろう。一つずつ滲んでいく一滴一滴を描くには、どうすればいいんだろう。

「でも、あれは佳代子にしか描けないんだよ」

 わたしが欲しかったのは。

「あたしになりたかった佳代子だから描けたんだよ。佳代子はすごいんだよ。あたし、あの絵大好き」

 わたしが欲しいものを何もかも持っているこの人に、わたしを認めてもらうことだったんだ。



 わたしが抱えていた思いを全てぶつけたあの絵。モデルはわたしの顔だ。わたしなんだけれど。

「……あれってあたしの顔でいい、んだよね?」

「佳奈子だけど、佳奈子ではないよ」

「えっ、なにそれー!! あたしが自意識過剰みたいじゃん! 恥ずかし!」

「ほら教室行くよ。先生心配させちゃう」

「むーっ佳代子のいじわるーっ」

 立ち上がろうとすると、佳奈子がぎゅっと手を握りしめてくる。

「ね、昔みたいにおててつなご?」

 ……あざとい。あざといとわかっていながらも従ってしまうわたし。誰かに見られでもしたら死んでしまう。

「彼氏に見つかったらどうすんの。絞め殺されるよわたし」

「彼氏? いないよ。いたこともない」

 今のところ誰もいない廊下で楽しそうに手を繋ぐ佳奈子が、気の抜けた声を上げる。

「だって約束したでしょ。二人ともに好きな人ができるまでは彼氏つくらないって」

「……は?」

 したっけ、そんな約束。言いかけてふいに思い出した。ずっと昔にしたかもしれない。でも佳奈子がそんな約束を覚えていたことにも、それを律儀に守っていたことにも拍子抜けした。つまり、ここ最近は口すらきいていなかったわたしなんかのために、告白を断り続けてきたということなのか。

 もしかして、

「わたしら、相当なシスコンなのかも」

 隣からの返事はなかった。代わりに手を握る力が強まって、得意げにニコニコと笑っていやがる。

「や、やだ!! なんかやだ!!!」

「あれぇ、佳代子ちゃんの反抗期、お姉ちゃんそろそろ終わりだと思ってたのに〜」

「手ぇ離してよぉ!!」

 廊下に響く足音が、おんなじ一つの音になっていく。


 気がつけばキャンバスは佳奈子の色で彩られていた。わたしが憧れて、欲しくてたまらなかった色。でも、この色はわたしにしか描けない。それでいいんだ。それがいいんだ。


 そしてわたしは、密かに心の中で決意を固めていた。

 アイプチしよう。



『ふたえまぶた』


〜fin〜

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