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ソーラン節の花嫁

2ヶ月で3キロ太った。体重計の上で思わず、「しにて〜」と声が漏れる。あまりよろしくない言葉のチョイスだけれど、この瞬間の感情を的確に言い表すには最もふさわしい言葉だった。

でっぷりと横に広がった尻(うちの猫といい勝負)、尻とほとんど幅の変わらない太もも、子供のようにぽこんと膨れた腹。見苦しい。お風呂の鏡に映る自分の姿が、あまりにも見苦しくて悲鳴を上げた。いつだ、いつからだ? いつから私はこんなに情けない身体で生きていた──?

「来とるなあとは思いよったんよ」
夫はようやく気づいたか、という顔で言ってのける。もっとはよ言うてよ!とお尻をばるんばるんさせながら抗議したものの、「いよいよやばくなったら言うけえ」とのらりくらり。いよいよやばくなってからじゃ遅いのだ。夫みたいにいくら食べても太らない罪深き人種にはわからないのだろう、一度増えたものを減らすことの苦労が。

さて、由々しき事態だ。なにせ、私は新婚である。結婚式はまだ。記念写真も済ませていない。つまり何もかもがこれから、というとき。ぴちぴちふわふわの幸せ太り♡なんて言ってる場合じゃない。
私は人生二度目の絶望に打ちひしがれていた。一度目の絶望は成人式の前撮りのときで、当時の私は人生最高体重を記録していた。だから私の二十歳のめでたき前撮りの写真は、墓まで持っていくと決めている。あの日のような惨めな思いは、もう二度としたくない。

心を鬼にして、私は自らに毎晩の筋トレを義務づけることにした。筋トレは長らくサボっていたので、お尻とお腹を攻める筋トレだけでもしんどい。だけど今瘦せずにいつ瘦せるんだ、とそのたびに自分を鼓舞した。
筋肉痛が心地よくなってきた頃、ふと鏡を見るとお尻の横幅が減っていた。歩くたびにばるるんと揺れていたあの振動も心なしか減っている。喜んだ私は調子に乗った。もっと瘦せたい!もっと筋肉を痛めつけたい!私の思考は完全にマゾヒズムに染まっていた。筋肉は裏切らないので。


もっとひどい筋肉痛に見舞われるトレーニング……と想像をめぐらせたとき、ふと高校時代の学園祭を思い出した。

私の母校は文化祭の各クラスの出し物で、1年生が合唱、3年生は演劇、そしてなぜか2年生がソーラン節をやることになっていた。文化祭と体育祭が同時開催だというのに、2年生だけは朝から晩まで体育祭のような準備期間。万年文化部の私の身体はボロボロになり、経験したことのない激しい筋肉痛に見舞われ、最終的に無の境地に達したのだった。

そうだ、ソーラン節をやろう。
あれ以上に効く運動を、私は知らない。

その日の夜、高2のクラスのソーラン動画をスマホの中から引っ張り出す。かつての自分たちの動きを真似しながら、そうそうこんな感じだった、と懐かしさを感じたのは最初だけで、あっという間に体力が限界を迎えた。なにせこのソーラン発表は、5分間にもわたるフルコーラスなのだ。まだ続くん!?もういいよ!と画面の高校生に向かって叫ぶ24歳。

2週間あまり続けてきた筋トレメニューの体力の消耗など比でもない。5分間に何度も腰を落とした太ももはブルブル震え、汗が毛穴という毛穴から噴き出し、生まれたての子鹿のようにしか歩けなくなった。恐るべしソーラン節、恐るべしJKの体力。

ここまで書いて、どこかで見たことがあるなと思ったら。

なんと、つるさんもソーラン仲間だったのだ(勝手に謎の仲間認定してすみません)。しかもつるさんは朝一の(!)会社で(!!!)ソーラン節をしていたのだから、その意識の高さには平伏したくなるほどだ。私なら朝から営業終了閉店ガラガラである。

それにしても、高校生の頃はあんなに嫌だったのに、どうして大人になると無性にソーラン節をやりたい衝動に駆られるのだろう。この身にうっすらと流れる漁師の血が騒ぐのだろうか。いや私のルーツに漁師がいようがいなかろうが、とにかく私は人生一瘦せたいのだ。

そしてソーラン節で瘦せた女として、とびきり美しい花嫁になってみせる。

(翌日から筋肉痛で地獄を見たのは言うまでもない。皆さん、いきなりの激しい運動は控えましょう)


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