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人生、挑戦、軌跡、可能性
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#日記

【会社経営者編】個人事業主からの法人化。一人社長になる。僕の自己紹介。

一年ぶりの記事なので以前の書き方とちょっと違ってたらごめんなさい。タイトルの通り、僕は3年間続けた個人事業主を経て、会社経営者になった経緯を書いていきます。 まず僕について簡単に説明します。 *7年前、僕が25歳の時に仕事が出来なさすぎて仕事をクビになる。 *2年間のニート期間を過ごし、その後、同人作品を作り自分の事業としての種銭を稼ぎ出す。 *27歳の時に年収が60万を超え、個人事業主になる。 *そして去年、31歳の時、3年の個人事業主を経て節税のため法人成りをし

はじめまして。20年ニートの弟の話。

会社を辞めて1ヶ月が経った。 実家に戻り、昼前に起きてご飯を作ったり、花を植えたりして暮らしている。 何かやりたい気持ちもあるのだけど、身体のコンディションのもあってか思うように行動できず少し凹んだりもする。 私には30代の弟がいる。 弟は専門学校中退後、20年近く実家で暮らしている。 特に働いてはおらず、いわゆる“ニート”だ。 ニートは現在日本で100万人いると言われており、本人とその親の高齢化が問題となっている。 弟は車を運転することはできるが、不安が大きく一人で遠出

ニート歴8年を迎えた俺の可愛い弟の話

この記事は記念すべきニート歴8年を迎え、30歳になった我が弟に、自分は一体何がしてやれるだろうかを考えた兄の話である。 弟がニートになったきっかけ大学3年くらいまでは普通に大学に通っていたのに突然不登校になってしまい、そのまま現在にたいる。 実家で毎日ゲームをしながら父のスネをかじって生きている。 まさに親のスネをかじるとはこのことだ、という生き方をしている。 なぜ、そうなってしまったのか本人からはっきりした理由を聞いていないが、おそらく大学生の頃に母が突然死んでしまった

都会型貧困男が田舎で人生をリセットした話し  自己紹介

僕は2019年まで東京のイラスト制作会社で働いていました。 高卒で働きはじめた百貨店の仕事を辞めて26歳の時に幼い頃から得意だった絵を描く事を活かして東京のイラストの制作会社に就職ました。  会社は中小企業で最初の手取りは17万程度。 貯金がほぼゼロの状態で上京してきた為、東京の高い家賃を払って食費、光熱費を払ってしまえば手元には殆ど残らない状態。 しかもリア充に憧れていた僕は飲みの誘いがあればほぼ断る事なく、小遣い枠は全て飲み代に消えていき、当然貯金なんて出来ません

ソフトウェアエンジニアとしてカナダ永住権を取得した体験記

2018年10月にExpress Entryという移民申請プロセスを使って、ソフトウェアエンジニアとしてカナダ永住権を申請し、2018年12月に永住権を取得しました。幸運なことに、申請日から2ヶ月 (58日) で取得できました。 Express Entryは、ポイント制システムです。自分は申請した時にカナダ企業の内定(ジョブオファー)がない状態、かつ無職でしたが、ほかの要素でポイントを補えたので、問題ありませんでした。 申請は、書類をオンラインで提出するだけでシンプルでし

有料
500

アラフィフでいやいや歯列矯正はじめたら、良いことしかなかった話⑤最終話 矯正を終えて思うこと

「おめでとうございます!よく頑張られましたね!」言葉と共に、花束が渡される。ワインレッドのバラを中心に、ピンクやパープルでまとめられた、シックなブーケだ。 サプライズ的なことに慣れていない私は、恥ずかしくて、「ど、どうも…」とペコペコ頭を下げた。 「記念写真を撮りましょう!笑ってくださーい!キレイな歯が、よく見えるように…」 先生の言葉に、反射的に口角を上げてニッコリする私。歯を見せて笑うことが、いつの間にか誇らしいと思うようになっていた。 2020年2月7日。 コ

アラサー無職の自己紹介

発信すること、何かを書くことの練習用として自己紹介をさせていただきます。 職業について28歳、医療系大学院を卒業後に技術営業職として3年半ほど勤務していました。元々甲状腺機能低下症と気管支喘息の持病を持っていましたが、本来が外出好きな性分のため営業職を選択し、一生懸命働いてきました。 転機になったのがコロナウイルスの流行でした。営業職という職業柄仕方ないことではありますが、在宅勤務制度も無く毎日満員電車で往復二時間の通勤をしていました。 「このままこの生活を続けるのか。

【1000万円の自己投資】35歳独身が人生2度目の挑戦するってよ

構想5年・準備期間3年、念願叶いまして2020年の11月から、イタリアのミラノ工科大学大学院のデザインスクールへの入学が決まりました。 初めまして、ゆーやまです。初投稿です。 はじめに無事、留学に当てられるお金も自力で1000万円ほど用意できまして、ストラテジックデザインという修士コースで、ビジネス領域でのデザインを学びます。現代のデザイン経営やスタートアップに精通した分野で、ざっくり言えばデザイン思考とか、そういうやつです。たぶん。 コロナ禍でどうなるか微妙だったもの

20代折り返しの大冒険。編集者兼開拓者、そして表現者への道

「あなたの欲しいものを書いてください」。 小学校一年生の後半に差し掛かった頃、文集か何かにそれを書く時間があった。 わたしは迷わず、「牧場」と書いた。 広がる草原の向こうには低めの山脈が見え、その曲線から視界に入りきらないくらいの空が広がる、そんな場所で暮らしたいという想いから「あ、それって牧場だ」と思って書いた記憶がある。 牧場なんて、7歳のわたしは見たことがあったのか定かではないけれど、その頃から、広くて大きなものに包まれて暮らしたいと、漠然と思っていたのだろうか

学生デザイナー、20歳の1年間を振り返って

20歳の1年間は1番と言えるくらい自分の中では濃い時間でした。 大学生活、長期インターン、海外デザインワークショップ、イベント企画開催、就活。 何をしていたのか、どう成長したのかを自分で日記的な振り返り綴っていきます。 3月 : HERPで本格的に働き始めたUI/UXデザイナーのインターンをさせていただき始めた。 今だから言うと正直超大変だった。(言い換えると成長できた) やったこととして、3月はHTMLメールの実装を任せてもらって、初めて実務作業でコードを書いたり