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『好き』が分からなかった私が、いま『好き』を題材に描く理由~毒親育ちのイラストレーター~


私は、自分の『好き』を素直に感じる難しさを、いつも感じています。

いつも「『好き』に囲まれた日常」をテーマにイラストを描いている私ですが。

実は、私自身は、自分の「好き」に時々自信を持てなくなることがあります。


絵を描くこと自体は、小さいころから自発的にしていたことなので、迷わず「好き!」と言えるのですが、同時に、作業しているときや、趣味にいそしんでいるとき、好きなことをしていることに後ろめたい気持ちになってしまったりするのです。また、時々ふと「私は本当にこれが好きなの?」という思いになり、どこが好きなのか考えて確認してしまうこともあります。


これは幼少期からの親からの言動の影響がたぶん大きいです。私はいわゆる毒親育ちです。ちょっとしたことで、自分のしていることについて「もしかして、これ間違っているのでは?」と思ってしまいます。これはこびりついた呪いのようなものです。


「好きなものを選んでいいよ」と口では言われても、選んでから「このほうがいいよね」と軌道修正されたり、「あなたはこれが好きよね?」と言われたり、親の顔色を見て望まれていることや、ため息などの不機嫌を感じとって答えを選んだり。
手伝いを自発的にやらないと怒られ、『わざと(やらなければならないことを)無視しているんだろう』と言われたり、不機嫌なときは目についた別のことで責められたり。
親の意にそぐわないことをしたり(世間一般的に悪いことをしたわけではない)正直な進路希望を出したとき(別に変な進路を希望したわけではないけど親の理想と違っていた)にはそれを『問題』と扱われて長時間家族会議を開かれたり。
私が好きなものやしたいことを、持つこと、すること自体を、親の言う通りに動く対価として扱われたり。(私のしたことが親の意向と違ったために、集めていたCDを売らされるなどしました)

いつも子供の気持ちよりも親の都合や希望、そして世間体が優先されていました。
私の中には「お出かけなどのイベントを心から楽しんでしまうと後で親の機嫌が悪くなる」というジンクスがあって、何事も心から楽しまないように気をつけたり、テレビを見ながらご飯を食べているような団らんの時間でさえつねに親の顔色を伺っている、なんてことをしていた子供時代でした。


そのためか、私はずっと自分の意見が持てず、自分の気持ちをうまく言葉にすることができませんでした。
自分の信条に近いことが書いてある本を繰り返し読んだり、時には親に読ませようとしたり。
あるときには自分の本音を言おうとすることもありましたが、いつも涙が出たり言葉に詰まったりしてしまい、そのたび親は自分たちがどんなに子どもたちのためにしているかわかっているか、と説教するか、長くなるこちらの話に面倒くさそうにしたり、眠そうにしたりするだけでした。

私が親を毒親と呼んでいる、と知ったときの親の言葉は、『私のこと毒親だって言ってるんだってね。お母さん悲しい』でした。
なぜそう呼ぶに至ったのか、私の気持ちをわかろうとはしませんでした。


少しずれますが、そのような育ちの副作用か、些細なことまで自分のせいに感じてしまうことがあります。極端に言えば、例えば「一軒家で自分が2階の自分の部屋にいるときに1階のキッチンで母が皿を落として割った」ようなことさえ自分のせいのように、責められているように感じてしまうのです。人の顔色を伺う癖が抜けず、ちょっとしたことで、嫌われた?と思ってしまいます。また、人に頼るのが極端に苦手で、甘え・わがままと頼ることの境界線が正直、わかりません。また、相手に「yes」以外のことを伝えるのにものすごく抵抗があります。

親は今になって「好きなようにしていいんだよ」と言いますが、「本当にそう思ってる?信じていいの?」と思ってしまいます。小さいころから学生時代にかけて植え付けられた価値観の方がどうしても未だに大きく重要なのです。

そのような積み重ねのせいか、好きなことをしているときにいつもどことなく後ろめたさを感じるのです。好きなことをしていて幸せなはずなのに、好きなことをしているから後ろめたい。この正反対の感覚がセットなので、好きなことをしていても心から喜べない。この感覚がずっと払しょくできないでいます。また、本当にこれが好きなのかと自信がなくなることもあります。

だから、なのか、絵の中では執拗に、とりつかれたように、「こころゆくまで『好き』を追求している光景」を描き続けているのかもしれないです。私の作風である『温かく穏やかでチルい日常』は、私が、あるいは私の中のインナーチャイルドが、『欲しかったもの』なのだと思います。
よく、絵を描くモチベーションは欠乏だとか言われることがありますが、私の場合は多分「好きを自信をもって貫ける日常」が欠けています。むしろ欲しているのはただの「日常」かもしれません。まったくの緊張感なく親と一緒に家の中にいる、親に素直に甘えたり頼れるという感覚が正直わからないからです。いつも無意識に「親なら何て言う?」と考え、わざわざ「いやいや、今は好きなものを選べる」と思考して打ち消す、疲れるルーティンを繰り返しながら、私は日々描いています。


自己紹介。初心に帰るために自分でもたまに観る動画です


心がしんどい時にいつも読んでいる本

私の座右の銘の一冊

イラストレーター・松峰(まつみね)の活動

私の絵のメイキングを掲載して頂いた技法書

トークに和みと癒やしを、LINEスタンプ『もふもふ秋田犬スタンプ』


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