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なぜ"憎まれっ子"は"世に憚(はばか)る"のか〜人とは違う何かを持つ〜

憎まれっ子世に憚る

他人に嫌われるくらいの人の方が、世に出た後に、幅を幅をきかせることができるものである

そのように辞書には書いてあります。
社会で成果を上げる人というのは、
他人に嫌われるくらいの力量が必要、
そういうことだろうか。

これだけでは何となくフワッとしていて、
何となくの雰囲気での理解になりそうな言葉だったので、出会った瞬間に"ん?"となりましたが、
少し考えてみて、前回の投稿と重なった部分もあったので関連づけながら書いてみたいと思います。
興味ある方は是非この記事を読んだ後に、
ご覧いただければと思います^ ^

憎まれっ子=マイノリティ

個人的には他人を憎むとか、そーゆう感情には恐らくあまりなったことがないんですが、
強いていうならば、"嫉妬"といった感情がそれに近いのかなぁと思っています。

要は、好くよりも嫌う方向に他人を認識する思考ですよね。
人間は自分と似た性質を持つ人に好意を抱き、異質なものを感じると嫌悪感を抱きます。
それは別に人だけではなくて、モノでも場所でも料理でもそうですよね。

じゃあその"他人"は、
なぜそのように認識されてしまうのかというところに注目していきたいと思います。

憎まれるということは、何らかの優れているところがある

皆さんはどのような人に"嫉妬"や"憎さ"を感じるでしょうか。
要は"羨ましい"だったり、"あの人は持っているのに、自分は持っていない"、
そのように、他人と自分とを比べて他人の方が優れていると感じたときに、そのように認識するんじゃないかと思っています。

シンプルに考えると、みんなからそのように思われるということは、その"みんな"と比べて、羨ましがられるような何かを持っているということであって、"みんな"と比べて優れているものを持っているわけですから、将来的に世に憚るのは筋が通っているというか、そーゆうものですよね。

それが優れているというのは、
決して成績が優秀とかではなくて、
その人の個性だったり、他の人とは圧倒的に違う何か。
同じ人が何人もいたら、変えが利く人間の一人になってしまいます。
憎まれっ子は変えが利かないわけです。

だからこそ憎まれる。

要は、憎まれるような人間になるということは、
決してネガティブな場合だけではなくて、
個性を爆発させているマイノリティという解釈だってできる。

それが、憎まれっ子世に憚るがまさに表している。

そう思っています^ ^

今回は『なぜ"憎まれっ子"は"世に憚(はばか)る"のか〜人とは違う何かを持つ〜』について書かせていただきました^ ^

また、あしたね😊✨

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