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いいことを話そうとしない。

文章を書く手が止まってしまう時がある。

こう言う時は大体、「いいこと」を語ろうとしている。「いいこと」に囚われると、そこにある現実を微細に歪めてしまう。最初はその違いがわからないのだけれど、この微細さに気づけないと、現実が想像上の観念にすりかわっていく。

僕は、「現実を観察すること」をとても大事にしているので、「いいこと」を話そうとしている時には自覚的である必要がある。創造性の話もいろいろな考え方があるけれど、基本的には観察から始まるのだろうと思う。

微細に対象を観察し続けていると、そこに潜んでいる構造が垣間みえることがある。そうすると、次に何をすべきなのかが明瞭になっていく。創造とは構造から始まり、構造とは観察から始まるのかもしれない。

この意味で、とかく「現実を観察する」ことにフォーカスできるようになる訓練が必要だとつ感じる。なぜなら、不自然だから。人間は思考と解釈が自然とうごめき、概念で現実を包んでしまう人間なので、現実を観察するとは、とても不自然なことなのだろう。だから、科学者には科学の姿勢が求められ、芸術家には芸術の姿勢が求められるのだろう。

いいことを語ろうとしないから始めた文章だが、書きながら、ただ一点、現実を観察すること、にたどり着いた文章だった。

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芸術のげの字も知らなかった素人が、芸術家として生きることを決めてから過ごす日々。詩を書いたり、創作プロセスについての気付きを書いたり、生々…

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