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家族映画「ボーはおそれている」ネタバレ 考察

僕はミシュランマンが怖い

幼いころ白くてモコモコしたものが怖かった。
ソフトクリームすらミシュランマン見える時があった。
それを忘れた中学生の時、冬休みで調子づいた友達が白っぽい金髪にして白いダウンジャケットを着て遊びに来た。
友達曰く、僕は急に怒り出したそうだ。しばらく経ってその話をネタにされ思い出した。
白い頭にモコモコボディ。僕は友達がミシュランマンに見えたんだろう。
恐れが人を狂わせる。
この世で何かに恐れてるのは僕だけじゃない。
この映画で恐れているのはボーだけじゃない。
人は何に恐れてるんだろう?

産まなきゃよかった vs 産んでくれとは頼んでない

今もどこかで繰り広げられてる親子喧嘩の決まり文句。
言うこと聞かない子供に発せられ、聞きたくないからこう返す。支配したい親と逃れたい子の関係。
逃れたい気持ちがある一方、帰りたい気持ちもある。
布団の中で胎児のポーズをとるのも、湯船につかりたがるのも母体への回帰願望として説明されたりする。
人間は子宮を連想させる場所が好きなんだってさ。
でも一度子宮から出たらもう二度と戻れないし戻せない。
そう言えばこの映画も胎児が世界に生まれるところから始まる。
面白いのは胎児の目線で描かれる。この映画はずっとボーの視点だけ物語は進む。誰が何を考え何をしてるのがかわかりづらい。
でも現実もそうじゃない?

幽霊の正体見たり枯れ尾花

人は分からないものが怖い。
正体不明のミシュランマンは何するかわからない。だから怖い。
僕にとってのミシュランマンはボーにおける全身タトゥーマン。
全身タトゥーマンだけじゃなくてボーにとっては現実全てに恐れてる。
ボーは劇中、何度も「なぜそんなことをするの」と聞く。
非難よりも疑問に近い。全裸の殺人鬼に襲われた時もトニーがペンキを飲んだ時もそう聞く。
僕達なら殺人鬼がすることに意味なんてないし、トニーの非行や奇行は親の興味を引くためだと考える。でもボーはそれも分からない。
分からないことが多すぎるから恐れるものを多くなる。
ボーはまるで子供だ。彼をそうさせたのはもちろんママ。

支配の悪魔モナ・ワッサーマン

ボーの住む世界はママの手配によるものだった。
スラム街の様な町はママが経営する会社「MW」の福祉事業だったし、
トニの両親はMWの社員でボー監視しテストしている。
なぜここまで支配しようとするのか。それは子供が自分が知らない誰かになるのが怖いから。知らないものは怖い。だから閉じ込め管理する。
どうやって?「恐れ」を利用すればいい。
ボーは逆コナン状態だ。体は大人で中身は子供。
鍵が盗まれた後の母との会話で印象的なやりとりがある。

ボー「ママ、どうすればいい?」
モナ「あなたが正しいと思う事をして」
ボー「ママは何が正しいと思ってるの?」

ボーはモナの意思に沿うことが正しいことと認識してる。
正しさすら管理されてる。他の事は何も知らない。
だから日常は恐怖にまみれてる。おびえた子供は親のそばから離れない。その心理を利用する。
とりわけ管理したのは性欲だ。
自宅でママ宛の手紙を書くボーは途中でペンが使えなくなり「love u」と最後まで書けなくなる。
そんな時にでてくるのが初恋の相手エレインの写真。
そのエレインとのSEXで射精すれば死ぬ遺伝があるっていうのが嘘だとわかる。
さらに屋根裏部屋隠されたペニスモンスターはモナが信じさせた化物。
現実でも親が子供を躾ける時にオバケを使う。
絵本の「ねないこ だれだ」がいい例だ。
親子間で共有されるモンスター。その理由はSEXさせないため。
他の女性を愛しSEXすれば家庭を持つことになる。
監督アリアスターはインタビューで
「家庭とは美しい場所であると同時に、檻なんだ」と答えた。
他に檻に移れば今の檻からは出ることになる。
だからSEXさせるわけにはいかない。何としてもだ。

支配の悪魔は念能力も領域展開も使う。

「ハンター×ハンター」の念能力でクラピカが特定の相手にだけ使用し命を賭ける事で強力な技を使う。「束縛する中指の鎖」
モナ・ワッサーマンもボーだけに制約して強力な技を使う。
「束縛する羊水の鎖」
ママが死んだと聞かされた後ボーはなぜかお風呂に入る。
前に書いた「母体回帰」だ。水は羊水の代わり。
ほかにも様々な場面で水が登場する。
そもそもモナ・ワッサーマン(MONA WASSERMANN)って名前、変じゃない?会社の名前は「M.W」
そんで「胎内」は英語で「mother's womb」っていう。
「……おわかりいただけただろうか」
モナが作った家庭という檻は羊水で満たされている。
そこから出ようとすれば領域展開される。
ボーのセラピストはノートに罪悪感と書き込む。
モナは親の愛情に見返りを求める。
それを返しきれないボーは罪悪感を覚える。
その罪とも呼べない罪をモナの領域展開で裁かれる。
弁明の余地はなくボートは翻り水の中に放り込まれる。
母体回帰は成功した。モナの中では。
弁護士は殺され観客は何も言わない。
家族って素敵なモノ。愛されたら同量の愛を返さないといけない。
そんな気運が家庭という檻を作る。
このどうしようもないジレンマが僕は恐ろしい。

備忘録

パンフレットに書いてたけど映画配給会社にM.Wが入ってるらしい。ママは映画すらも支配する。

看板にイエスはあなたの忌まわしい行いをみている。
イエスはモナ、忌まわしい行いはおそらく自慰と売春行為。
ママ性規制に必死です。

トニの父ロジャーはモナのモザイク画の写真の中にいる。つまり社員。
この家は人が良くイメージする家庭を模してる。
親と子、そして番犬みたいな息子の戦友。
グレースはなくした息子の代わりにPTSDの戦友を家族にしてしてる。
でもボーも番犬も息子の代わりになれない。
トニが車に乗せる時「誰の命令だと思ってんのよ」はボーのママの命令。
録画もそのせい。

森の孤児の劇。
親の死、親から解放されたのに自分の家族、子供には人生を賭して自分を探してほしいいう願望がある。もはや呪いだよ。家族って。
劇中の絵で描かれたレンガ道は1939年の「オズの魔法使い」出てきた道と同じ。気絶すると違う世界になるのも一緒。
オズの魔法使いは「わが家が一番」みたいなこと言って元の世界に帰ってハッピーエンド。家が最高っていう固定観念。

タトゥーマンはクモに噛まれる。このクモ何?
十字路の死体何?
飛び降り自殺を撮ってる奴は「飛び降りさせるんだ」っていう変な言い回しをしてる。トニの録画同様これも命令?

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