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舞田 穂留です。 戦国期の北海道 小説

はじめまして。

舞田 穂留です。

歴史小説を書いています。


本作の舞台は北海道です。北海道で歴史モノというとアイヌが浮かびますが私の小説にもアイヌやエゾといった言葉が出てきます。取材を経て書いていますが、アイヌ言語や史実に違いもあると思われます。歴史に齟齬のないお話を書きたいです。

時は15世紀から16世紀。歴史好き諸兄の多くが通る道、koeiの歴史シュミレーションゲームをご覧になられた方ならご存知と思いますが、ゲームの中で日本の北限が北海道南端に設定され、登場する城は松前城、登場する人物は蠣崎家の当主とその子ら、というのが多い北海道です。アイヌではコシャマインの名が出ますが個人として登場は基本ありません。(ゲーム中の顔グラフィックにはアイヌ系と思しき濃系の顔が用意されてはいます。)

当地に興味が出た私は、まずはインターネット上の文献を読み、衝撃を受けます。蛮族だとばかり思っていた蠣崎家(これはkoeiの顔グラフィックの印象が強いのです)が、れっきとした武門の棟梁であったこと、アイヌを撃退し蠣崎家が当地を支配したと思っていたのが、実は全くの反対であったこと、端っこの片田舎だと思っていた北海道に16世紀にはかなり繁栄した湊があったこと、などなど驚きの数々でした。

当時の北海道は渡島と呼ばれており、米が収穫出来ません。そのため海運が渡島に暮らす和人(日本人)にとっては命綱です。暮らせる人間の数も限られてくる、さらに渡島には元々暮らしているアイヌが数多くいました。私は16世紀中期の渡島の人口を3万人ほどと考えました。和人1人に対してアイヌが5人、1:5の人口比です。海運だけで維持できる和人の人口は5千人程度、季節性の流民も多く土地柄農民は少ない、戦に動員できる和人兵力は多めに見積もって渡島全土で1000と考えました。これでも他国の総人口に対する動員率よりはかなり高めです。(農民が少なかったので男女比で和人の成人男性がかなり多かったのではないかと推測しています・)

元々の住民アイヌは米なしでも生活できました。数は和人の5倍、2万5千、これは江戸時代に調査されたアイヌの人口とほぼ同じです。技術革新が起こらず、江戸後期に和人との接触で天然痘等の疫病が流行する前のアイヌ人口は数世紀間一定であったと推測しています。北海道は広いですが当時は開拓されておらず90%以上が森林です。昼間でもヒグマや狼などの獣達が闊歩する土地でした。(江戸時代に木材不足から北海道産の木材が流通しますが戦国期に北海道からの大規模な材木輸送は皆無であったと仮定しています。)

厳しい北海道の気候、これは当地で暮らしてきたアイヌであっても和人と同じであろうと思います。道内全域に万遍なく散らばっていたというより、冬の厳しい内陸部や北部、東部にはそれほどの数は住んでおらず、気象条件的に暮らしやすい南部、狩猟がしやすい沿岸部に偏って暮らしていたのではないかと考えました。

住みやすい土地の条件が南部に偏っていた戦国時代の北海道、本土から進出してきた和人と多くのアイヌが暮らす渡島南部で和人とアイヌの諍いが起きたのは自然の流れだったと思います。もともと渡島には鉄器がありませんが15世紀に入ると和人商人が持ち込んだ鉄器がアイヌにも流通し、マキリと呼ばれる刀を多くのアイヌが持っていました。昭和に撮影されたアイヌの長は立派なマキリを持っていますが、これは日本刀そのものです。平時はマキリを使って狩猟や獣達相手に戦っていたアイヌ達、和人の武士相手にも存分な戦をしています。15世紀半ばに起きたコシャマインの乱において、和人の拠点”道南十二館”のうち十までがアイヌに落とされた結果を考えれば、相当な戦力だったと考えていいと思います。

和人の資料は豊富だったので書いていて勉強になることばかりでした。蠣崎家中は上方と同じ武家社会の世界です。将軍を頂点に(名目上とはいえですが)当地を支配するため守護職や家の格、名というのは渡島でも同じでした。蠣崎家も血統によって渡島和人を治めることになります。そこには戦国期の習わしに漏れず下剋上の風が吹き荒れます。

鉄砲の伝来が1543年、渡島に入ってくるのはいつだったのだろう。この辺りを考えながら書きました。

5000人の和人で25000人のアイヌを支配することは出来なかった時代、渡島で生きる和人の視点で物語は進みます。

#歴史小説 #北海道   #アイヌ


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