バス理論「誰をバスに乗せるか」

2020.08.04
当日更新をしていこうと決めた次の日から早速翌日更新。有言実行って一番難しいことですな。まあそれはさておき。
朝からバイトをしました。流れとしては午前中にデータの打ち込みや梱包などの単純作業をして飯食って会社の概要だったりこれからのことについて話ていくという感じ。ただこの午前中の作業がまるで修行のようです。2時間くらいパソコンに向き合ってカタカタするのですがこの時の自分は人間じゃない。感情を持たずにただひたすら手を動かすだけ。働く環境は自由にしていいのでラジオを聞いたりお笑いみたりしながら作業してていいんだけどそれでも本当に死にそうになる。まだはじめて3回目くらいなのに本当に嫌になります。

でもこれは通過儀礼なのかなと。絶対にその先のことをやるにつれ必要なことだし、不思議と苦痛ではない。そりゃ気持ちも入ってないし楽しいかと言われたらそんなことないしやりたいことなんかではない。それでも苦痛じゃないのは一緒に働いてるひとに対する感謝があるのかなと思います。彼らは自分のことを100%信じてくれてるし、頼ってくれている。そんなことを感じてると苦しい、だったり辛いなんて思わないんじゃないかな。
仕事を選ぶ上で大切な基準がなんだか見えたような気がしました。何をやるかももちろん大事だけど、誰とやるか。だから「誰と何をやるか」が大事なのかな。その「誰」とは自分と真剣に向き合ってくれるひと。どんなに社会的地位があったり成功者であってもそこがないと自分にとって幸せじゃないんじゃないかな。

これがいわゆるバス理論ってやつらしいです。ジム・コリンズの「ビジョナリーカンパニー2」で取り上げられてるのですが、組織をバスで例えた時に目的地をあらかじめ決めてそこから誰を乗せるかを選ぶのと誰をバスに乗せるのかを選んでから目的地を決めるのか。
前者だと目的地にいくまでの途中で降りていく人がいてそこの座席に必要な人をまた探さなくてはならない。そうすると最初に決めた目的地が違った時に車内の雰囲気が悪くなってしまって悪循環に陥る恐れがある。
でも最初にバスに乗る人を選ぶと最初のいい雰囲気のまま目的地を変えたりすることができる。最初は箱根に行こうと言っていたのに途中でやっぱり軽井沢に行こう!とノリで決まっちゃう感覚。圧倒的に後者の方が楽しいし、素晴らしい目的地に辿り着けるのだとジムさんは行っています。

僕もこの意見に賛成です。やっぱり何かをするには絶対ひとりじゃできないし、それが大きいことであればあるほどいろんな人の協力が必要になってくる。そうなった時にまずは人を選ぶことが大事なのかなと。自分の価値観や志と向き合って、それと真剣に向き合ってくれる人。時にはケンカもしたり距離が離れてしまうことはあれどもそれでもやっぱりお互いが必要で結局は戻ってきちゃうような存在のひとを自分で探して集めていくしかないのかなと思います。

そのあとは自由が丘でご飯を食べに行きました。僕の大好きな人たちです。思わず甘えてしまう部分はあるけどそれも認めてくれる人たち。楽しかったなあ。本当に楽しかった。人間の温かさを感じました。
その人たちに還元すると共に社会にもこれを還さなくちゃいけないんだな。うん。めちゃくちゃ抽象的なことを言ってしまったけど伝わる人には伝わってる。自分が大切だと思うひとは本当に大切にしようと思えた1日でした。