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情報、「味わって」いますか?

とにかく、めまぐるしい。キュレーションサービスにTwitter、ニュースサイトに瞬間アクセスランキング。星の数ほどある様々なサイトに、次々と情報がアップされては消えてゆく。ネット上の大多数の記事の賞味期限ときたら、パックの刺身も真っ青の短さである。

このペースで一年365日、あらゆる種類の情報を仕入れ続け、世の人々は情報を消化しきれているのだろうか。目にしたものをゆっくりと咀嚼し、自分の血肉とする余裕はあるのだろうか。私には、ない。日々の雑事に追われ、それでなくても自転車操業的な毎日を送る私は、記事の上っ面を追うだけであっぷあっぷすることがある。

「書く」ことの敷居が下がり「発信」することの間口が広がったのは素晴らしい。多種多様の意見やニュースをネットで知るのは、刺激的で興味深い。プロのライターではないが、本業で活躍され、なんとも思慮深い、味わいある文章を書かれる方もたくさんみかける。そういう意味ではネット万歳、ネットの恩恵にあずかることのできる時代に生きている幸せを実感する。

ただ、活字の信憑性は、大きく変化した。一昔前まで、新聞・書籍・雑誌など、活字になるものには一定のクオリティーがあった。今のように、誰でも、そして何でも発信できるわけではなく、プロの手がはいった活字媒体に対する、一種の敬意があった。昨今ネット上で目にする記事はピンきりだ。丁寧に裏付けを取っている良心的なものから、デタラメ情報を垂れ流すもの、いかにも自分の意見のように他人の説を述べているものまで、クオリティーのばらつきが目立つ。

だからこそ、情報の大海原においては、読み手の「取捨選択」能力が欠かせない。玉石混淆のネット上から、何を選び、どう読み、どう用いるか、を見極める力をつけないことには、あっという間に情報の波に飲み込まれてしまう。大学時代、「本は踏んで読め」が口癖の教授がいた。その時分はぴんとこなかったが、「活字をうのみにするのではなく、常に自分の頭で考えて判断しろ。活字が常に正しいとは限らない。」という意味だろう。 

せっかく膨大なリゾースにアクセスできるのだから、情報を「見かけた」だけで満足するのではなく、「取捨選択」の手間をかけて「味わう」べき情報を洗い出す。そしてそれらをきちんと「味わう」機会を増やすことで情報をを「知識」化し、自分の血肉としていきたい。


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