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きれいな活字の夢 本の奥付

本の奥付には

本のタイトル
発行日(印刷日と共に版のバージョン:初版とか、第2刷とか、第2版とか…)
著者名
発行人名
発行所
著作権保護の©表示
国際図書コード(ISBN)

などが記されている。
これらは必須だが、近年では

編集者やデザイナー
装丁者
協力者

の名前が乗っていることも多い。

著者のプロフィールや、著作の履歴(以前に出版されたものの改訂であるとか)などが記されていることも多い。また、参考文献や注意喚起(いつ現在の情報で編集されているかとか)が書いてあることがある。

そこに記述されていることは、とても大事なことである。
確かに保証し、署名されているということに等しい、と思われているし、
じっさいにそういうことになっている。
だから本は偉大であり続けるのかもしれない。

私は、
著者のところに名前が書かれているものもあるが、
大方は、発行人のところに名前が書かれている。

そんな本が、15歳から59歳の今までに積み重なって1万数千点にのぼる。
なんと多くの本を(とても自分の手に負えないくらいの数を)「発行」してしまったのだろう。
その一点一点に、誇りと責任を感じる。それにしても毎晩寝る前に唱えてもつきないほどの数になったものだなあ、としみじみすることもある。

倉庫には、そんなの本の多くが仕舞ってあるが、
なくなってしまったものも多分相当ある。
大事なものなのに、なぜ、なくなってしまったのかわからないものもある。
先日高円寺のバーで40年ぶりに再開した詩人から、あのとき出した本がないか、と尋ねられた。えっと・・・、多分倉庫にあるかと。と曖昧な返事。
荒木経惟さんの写真を表紙と口絵に起用した、19歳の私が作った彼の詩集である。

発行人というのは、
本に関して、すべての責任をおう立場だ。それは何十年経っても継続する。

著者が表現したその内容や思想はもちろん、デザインや造本、流通状態、品切れや増刷の判断、改訂や絶版、ひいては2次的使用、電子版、海外版にいたるまで、すべてを把握し、判断しつづけなければならない。

そんな発行人とは、どんな思想やスキルが必要なのか、案外知られていないし、答えなど定まったものはないのかもしれないとも思う。

しかしまがりなりにも45年近く発行人をやってきたわけだから、発行人の中でもそろそろベテランの域に入っていると言っても叱られないだろう。

そのベテランが今日は打ちひしがれている。ベテランだからといって一目おかれないことも多いのだ。一目置かれることに知らず知らず慣れているとけっこうショックである。発行人の気概を感じられない人もいるわけだ。

もちろん、そういうあいまいな理由で一目置かれることは願い下げだが、発行人の仕事をわかろうとしない人とする仕事には疲弊させられる。

そんななかでも。最善を目指すのは、私のサガでもあるし、発行人の使命。なにせ本は8インチフロッピーディスクやレーザーディスクよりの長持ちするメディアであることは、すでに証明されているわけだ。

きょうは、日本書紀でも枕元において寝よう。きれいな活字の夢でもみたいものだ。





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