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東京の街を歩く

今週末も東京出張。最近出張が多い。
東京は宿泊料が本当に高くなった。コロナ前は1万円以下で宿泊できたビジネスホテルを今回予約しようと思ったら一泊2万円。会社の宿泊上限を考えるととても無理なので、新橋のカプセルホテルに宿泊してみた。

カプセルホテルは初めてで、寝るだけなので問題ないと思ったけれど、とんでもない。布団は固いし、自分は体がデカいので、身動きが取れない状態で眠るのははっきり言って拷問。おじさんにはさすがにきつかった。

新橋で朝からの打ち合わせを終わらせて、昼飯を食べてあとは帰るだけ。別にやることもないのでさっさと帰ってもよいのだけれど、週末の飛行機がとにかく混んでいて、余裕をもって夕方の便にしたのだけれど前倒しにすることもできずぽっかりと3時間以上時間が空いてしまった。

別にやることもなく、さっさと空港に移動して仕事をしていてもよいのだけれど、天気があまりにも良いので東京の街を散歩してみることした。2時間かけて10kmほどの道を歩く。スマホの地図も見ず、目的地もなし。あてもなくただただてくてく歩く。時間が来たら近くの地下鉄の駅から空港に向かえばよい。東京はどこにいても鉄道でつながっているのだ。

新橋から虎ノ門まで歩き、そこから赤坂を通って麻生台へ向かう。港区立麻生小学校で卒業式をやっていて、子供たちが正門の前で写真を撮っていた。麻生に住むエリート小学生。いかにも聡明そうに見える。田んぼしかないド田舎で大工の子供として生まれ、職人さんたちに囲まれて育った自分と比べると私と彼らは、生まれながらに全然違う人生を歩いているのだなと思う。どちらが幸せなのかは別として。


麻生台ヒルズの中を歩く。東京にきれいな街がまた一つできていた。街ができるまえ、ここはどんな場所だったのだろうか。近くの地下道に小学生の絵が展示してあった。東京タワーの横に立つ東京タワーと同じ高さの超高層ビル。40年たって帰省しても全く同じ田園風景が広がるわたしのふるさとと、麻生小学校に通う子供たちの6年で大きく街が変わっていくふるさと。彼らのふるさとは40年後、どうなっているのだろうか。

麻布台ヒルズ 高さ330m となりの東京タワーは333m
庭の中には奈良美智のタワーも立っていた 高さ7m


地下道の子供たちの絵


麻布台ヒルズから外苑東通を通り、六本木ヒルズと新国立美術館の脇を通って東京ミッドタウンへ。安藤忠雄の美術館21-21デザインサイトに行ってみようと思ったのだけれど、残念ながら展示替えで休館していた。

新国立美術館 黒川紀章設計
東京ミッドタウン 高さ248m
21_21デザインサイト 安藤忠雄設計 三宅一生とのコラボレーション


東京ミッドタウンの裏側にある赤坂中学校がきれいに建て替えられていた。
昔は立派なヒマラヤスギに囲まれた古いけれど落ち着いた校舎だった。

昔の職場が赤坂にあり、この辺りは20代のころの自分の思い出の風景だ。あの頃から変わってしまったもの、古びたもの、あの頃と変わらないもの。いろいろなものが混ざり合いながら、東京は変化を続けている。

あの頃一緒に働いていた先輩、後輩、仲間たち。もう旅立ってしまった、すくなからぬ先輩たちと若くして私より先に旅立ってしまった後輩。


変わり続ける東京の街。旅立つ人たち。
子供たちの未来のことを、ふと考える。


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