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街と不確かな壁と世界の終りとハードボイルド・ワンダーランドと私

私の部屋の本棚には、11冊の本が並んでいる。その中で一番古い本は、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」の文庫本だ。大学3年生から4年生になる春休みに大学の生協で買った初めての村上春樹の小説。21歳の私は、その本とユーロパスをもって、何の予定も組まずに3週間のヨーロッパ旅行に出かけた。新千歳空港からの直行便でロンドンのヒースロー空港に入り、そこからパリ、ローマ、ミュンヘン、ベルリン、アルムテルダム、ユトレヒト、ブリュッセル、ベルン。ユースホステルに泊まりながら毎朝、近くのスーパーで買った食パンにジャムとマーガリンをつけただけのサンドイッチを作り、昼間はひたすら町の中を歩き続き続け、美術館を回り、夜になると本を読んで過ごした。お金はないけれど体力と気力と時間はたくさんあった。

それ以来、村上春樹の小説はすべて読んでいる。私は、今を生きる同時代の作家の小説は、村上春樹しか読まない。

あれから20年以上たち、私は45歳になった。そんな2023年の春に発表された村上春樹の最新作は「街とその不確かな壁」。世界の終りとハードボイルド・ワンダーランドの元となった1980年発表の中編小説「街と、その不確かな壁」をもとに書かれた長編小説だ。当時の小説は雑誌に発表されただけでその後に単行本や文庫になっていない。村上春樹が作品の出来に納得していないというのがその理由だ。

『文學界』(文藝春秋、1991年4月増刊号「村上春樹ブック」)「『1973年のピンボール』が芥川賞の候補になって、何か書けと言われたんです。『群像』には受賞第一作を書いたから義理を果たしたし、一つ書けるかなと思ったし、あの話は書きたい話だったんです。(中略)ただ、あれは失敗だったんですね。というのは、ああいうことはやるべきじゃなかったんです。僕はいまでも後悔してる。受賞第一作用なんて書くべきじゃなかった。これは声を大にして言いたい。(中略)あれはむずかしい話なんです。あのころの僕の実力ではとても歯が立たなかったんです。」

ウィキペディア「街と、その不確かな壁」より

40年以上、小説家として物語を紡ぎ続ける中で、あの頃の実力では歯が立たなかった物語を納得のいく形にすることができるようになった、ということだろう。私と影。現実の世界と壁に囲まれ時間が意味を持たない世界の物語が同時に進行する。そして現実の世界として描かれる世界の中でも不思議なことがたくさん起こる。

壁に囲まれた世界で主人公は、自分の影を引きはがされ、毎晩図書館で古い夢を読み続ける。時計塔の時計には針がなく、時間の概念は意味をなさない。

現実の世界の「私」は45歳。今の私と同じ年だ。現実の世界の私と、壁に囲まれた街に住む私。現実の世界に45年も生きていると不思議なことがたくさん起こるし、回収されない伏線がばらまかれたままに人生が進んでいく。そして壁に囲まれた街。大学生のころにはファンタジーの世界と思っていた「世界の終り」。それはきっとどこかにあるのだろうと今の私は思う。


私は少しずつ何かを失いながら生きている。
時間が意味を持つ世界においては、私は時間の進行に逆らうことはできず、確実に老いつづけ、いつか私自身を失うことになる。45年分の時間をすでに私は失い、あとどれくらいの時間を失うことができるのかは、わからない。

そして、時間が意味を持たない世界。そんな壁に囲まれた街で生きることにどんな意味があって、それが幸せなことなのかよくわからないけれど、現実の世界に生きることにどんな意味があって、それが幸せなことなのかも、やっぱり私にはよくわからない。


壁に囲まれた街に生きる私がきっとどこかにいるのだろう。

どちらも本当の私だと、私は思う。


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