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誰かを思って奉納された花火は、また誰かの思いに繋がっていく 〜片貝まつり体験記〜

日程固定の片貝まつり。ようやく訪れたチャンス

数年前からずっと気になっていた片貝まつりに訪問しました。

世界最大の正四尺玉が打ち上げられる花火(その土地では煙火という)をこの身体で感じたいとずっと思っておりました。

いくつか動画はYouTubeやらでみたことはありましたが、どうも動画だとその大きさや衝撃が感じられないということと、日付固定のまつりのため、ずっとチャンスを伺っており気付けば数年経っていました。

越後の三大花火として山の片貝(/川の長岡/海の柏崎)と数えられるほど山の方で行われており、余裕を持って行けるタイミングをずっと待っていたのです。

それが2022年ようやっと金曜〜土曜というタイミングが訪れ、そしてマツリズムとしてもその土地の担い手と交流させていただくことができ、なんとも奇跡的なタイミングで伺うことができました。

正四尺玉は確かに有名なメインどころの煙火ですが、あらかじめ担い手の方に話を伺って訪れてみれば、それ以外にもまつりにおける町内会、町の暖かみというか、家のつながりというか、年齢の重ね方というか世代というかを大事にされているまつりだなぁとひしひしと感じました。

例えば通常25歳以下は町内の地域によっていくつかの組に分かれ縦の繋がりが生まれ25歳以上になれば地域の繋がりよりも同級生で集まり横の繋がりがメインになったり。

25歳以下の組織(町内の地域)では世代間での世話、20歳手前くらいの子たちが小学生たちの面倒をみながら、祭囃子を演奏しながら家々を巡っていく様子が見られました。「上の子が下の子を見る」といった組織としての一体感があり「優しさ」を感じられました。

そして25歳以上になったとしても、地域を出た人でもこの日は土地に戻ってきたり(子供ができたり)、決まった年齢で打ち上げるべき煙火があり、それを目的に集まったりしているようでした。

地域で大切にしているものを大切にしていく、そういう素地が煙火というもので途切れることなく文化づくられているようです。

大人も子供が参加してる町内会についていきながら各場所を回る
これがあるから町内での家の関係性も深めに感じる

間近で「感じる」花火の衝撃

そしてメインの煙火(花火)を桟敷席で見させていただきました。基本的に煙火は奉納の形で個人でも団体でも奉納することで打ち上げることができるようです。それらの煙火は全て番付表と呼ばれるプログラム表のようなものに集約され、ほぼ全ての煙火にメッセージと順番が記載されており、実際にそのメッセージの読み上げと共に指定の花火が打ち上がるのでした。

ひとつひとつに添えられたメッセージを読み上げられて丁寧に上がっていく様は、奉納という形式にふさわしく奉納した思いがきちんと花火という形で昇華されていくようです。

中でも60歳の還暦を迎える方々の連続60発にもなる正三尺玉、尺玉の連発打ち上げは間髪入れずにずっと連続であがり続け、そこに60年の思いと意志の強さみたいなものを感じられ、感慨深く感じられました。

煙火に加え、あのメッセージの読み上げ、盛り上がり現場でしか感じられない臨場感だと思います。遠くからではなく、ぜひ桟敷や町内の中から見てほしいものです。

そして世界最大の正四尺玉はその期待通り、(三尺くらいから体を揺らすほどの爆発の音と衝撃がくるのですが)感じたことのないレベルのビリビリ感(衝撃)を感じるものでした。


尺玉を連続してあげる還暦の奉納煙火

誰かのために、みんなと一緒に。町に根付いた文化としての祭り


という文章にすると簡単なものになってしまいますが、その正四尺玉以外にも、町の文化、何を大切にしている、という意味において、単なる見せものではない花火というところが新鮮に感じられました。

もっと言えば、その何を大切にしているか、個人が感じたところでは「世代や人のつながり」という概念になるかと思うのですが、その「世代や人がつながるための祭り」という意味において、とてもよく機能している祭りだなぁと感じたのでした。

商業的や観光的ということではなく、適度に「人が集まる」ところに配慮がなされている感じがありました。人が多すぎるということもなく、つまりは儲けてやろうという息の荒さもなく集まりやすく自分達のためにお祭りをやってるんだなぁという印象。とはいえ排他的と感じるようなことではなく会場のアナウンスでも「また来てください!」みたいな爽やかさもあり、距離感が心地よく感じられたのでした。

とはいえ今回は特に、事前に担い手の方から町内の話を聞いていたおかげで、完全に外ではなく内の視点も持って参加できたところがとても良かったなと思います。あらかじめ話を聞いていなければ、メッセージの読み上げもこんなに感慨深くは感じることはできなかったはずです。

あとは浅原神社秋季例大祭奉納大煙火、が正式名称でありますが、煙火の打ち上げ場所でもある浅原神社に参拝する方(おそらく地元の方々?)がとても多かったのが印象的でした。

ともかく個人的には祭り(というか煙火)がしっかり町の文化として根付き、祭りの目的と手段が同時に成り立っている町の「文化」を感じる祭りでした。

誰かを喜ばせたい、誰かのためにやる、みんなが集まるためにやる、そしてそれをやることが誇りであり、きちんと目に見えて喜ぶ人がいる。それが花火というシンボルになることで成り立っている、ような現場でした。

ぜひまた行きたいな〜(奉納したいな〜)と思うのでした。いつまでも煙火職人たちの技術と町の気概が受け継がれていくことを願います。誰かを思って奉納した花火は、そのメッセージ性、花火の技術の高さを目の当たりにすることで、また誰かの奉納したい気持ちを生むんでしょうね。


神社入り口から撮影。
規模、ロケーション、成り立ち、など
漫画に出てくるようなノスタルジーも感じられる祭り

書き手:ゆっぽん

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