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本と石けんと私〜言葉のピースを探して〜

いつも石けんのことを中心に書いているnoteですが、先日スタッフの子に
「彩子さんって本が好きだからそのことについて書いてくださいよ!」
と言われて、自分が大好きな本について書くって今までなんだか恥ずかしかったのですが、これを機に昔のことを思い出しながら少し書いてみようと思います。

一人っ子の私にとって、本は物心ついた頃からいつもひっそりと側に寄り添ってくれる心の友のような存在。
電子書籍も便利だけど断然紙の本が好きで、ページの手触りや紙の匂い、装丁を眺めているだけでうっとりしてしまう。

最近いろいろあって落ち込み気味なのですが、そんな時にはいつもに増して本を読みます。
大好きな本を読んでいる時間だけは美しい言葉の世界にトリップできる。
私にとっての癒しの時間。

そして昔好きだった本を読み返すと新たな発見があって面白い。
先日、久しぶりに読んでみようと本棚から手に取ったのは江國香織さんの「とるにたらないもの」という日常の中のささやかな「もの」について綴られたエッセイ集。

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その中に「石けん」というエッセイが出てきます

石けん

石けんを水やお湯で濡らし、両手で包んでするすると転がす。
そのときの、手の中で石けんのすべる感触には、ほとんど官能的なまでの愛らしさがあると思う。
それがみるみる泡だって、泡が空気を含み、手から溢れ、いい匂いを放ちつつこぼれていくさま。
そうしながら汚れを落としてくれるなんて、善すぎる。

石けんの仕事ぶりは見事で、潔い。
どんなに泡だっても洗い流せばたちまち跡形もなくなるのに、
肌の感覚は、洗う前と洗った後とではまるっきり違う。
目に見えないぶんだけ、その違いは余計鮮烈にわかる。

石けんは、この上なくシンプルで可憐なかたちをしている。
例外なく物静かだ(私は、饒舌な石けんに、いまだかつて一度も会ったことがない)。
そして、すこしずつ、すこしずつ、溶けて小さくなる。
私にとって、雪の結晶と塩と石けんは、おなじくらい不思議でおなじくらい美しい。

ああ、江國さんの手にかかると、小さな石けんがなんて愛おしく美しいんだろう。
溶けゆくなめらかな石けんの泡と香りに包まれる大好きな感触を思い出す。

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私たちが漫然と感じている感覚の世界を、こんなにも魅力的かつ的確に、ウィットに富んだ言葉で表現できる江國香織さんはすごい。
ぴったりの言葉に出会えると時に鳥肌が立ったり、「そうそう!」と友人と手を取り分かり合えたような喜びがある。

20代の頃、江國香織さんの「きらきらひかる」を読んで衝撃を覚えた。
透明感があり日常でありながらどこか非日常で、湿り気のある繊細で鋭敏な江國香織さんの感性に私は激しく共感し、自分を言語化してくれる言葉を見つけるのにあの頃江國さんの本を数多く読んだ。

私は子どもの頃からちょっと感覚が鋭敏で物事の本質や人の感情や嘘がピンと分かってしまう時がある。
友達に表面上の嘘で誤魔化されてもすぐに分かってしまうから、それ故に傷つくことも多くうわべだけの人付き合いが苦手。
おまけに五感も敏感な方で人が多い場所が苦手で疲れやすい。
小学生の頃はごくわずかな親しい友人と遊ぶ以外は、家でひたすら本とジグソーパズルに没頭する内向的な子どもでした。

中学高校時代は、人の不調にいち早く気づくので気がつけば毎年保健委員で、高校の頃から養護教諭になることを決めていました。

都立校の保健室に勤務するようになってからは、その人よりちょっと鋭敏な能力がすごく役立つようになりました。
休み時間のチャイムが鳴ると同時に複数人で保健室に来室してくる生徒達。
何人かは保健室に遊びに来る生徒なのですが、その中で顔色が悪い生徒を見つけて、どこに痛みを抱えているのか、熱は?脈は?瞬時に見抜いて適切な処置をする。

悩みを打ち明けてくれた生徒に「でも本当はこう思っているんでしょ?」と言葉をかけると、
「先生なんで僕の思ってること分かったの?」とよく驚かれた。

苦しんでいる生徒が本当は何が言いたいのか、重症か否か、迅速な保護者への連絡や、病院受診すべきか、何科に連れて行くか、救急車を呼ぶか、その直感は外したことがなかった。

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かすかに香るラベンダーの香りと、オルゴールのBGM、ふかふかのクッション、本のコーナーを作り、居心地のいい保健室でいつも来室する生徒を笑顔で迎える。
きっと保健室の仕事は私の天職だったのだと思う。

今は、保健室の先生から石けんを作る仕事に変わったけれど、私なりに人に安らぎや癒やしを届けたいという思いは保健室の頃も今も同じ。

石けん作りには選び抜いた上質なオイルと香り、そして蒜山の裾野からこんこんと湧き出る清らかな湧き水を使う。
様々な肌タイプからオイル配合やレシピを考えてお肌にも環境にもやさしいものだけで作り上げた美しい石けん。

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MATSURIKAの石けんは江國香織さんのエッセイに出てくる石けんよりはちょっと饒舌かもしれないけれど、今もどこかで誰かを癒してくれていたらと思うのです。

先日、リピーターのお客様からこんなメッセージをいただきました。

明るい出来事が少なくて気が滅入ることの多い毎日ですが、マツリカのせっけんを注文すること、マツリカのせっけんを使うことが生活の楽しみのひとつです。 これからも末永く作り続けてくださいね。

なんだか色々と大変なことが続いたタイミングだったので、心のこもったメッセージにぽろぽろと泣けてしまいました。
石けんをリピート購入してくださっている時点で応援していただいているのは伝わるのですが、私たちが心を込めて作った石けんがお客様の支えになっていることを、こうして言葉で表現していただくと本当に嬉しいです。

メッセージをいただいたお客様にお礼のお手紙を書きながら、どんなにいい石けんを作っても、思いを届けるために私ももっと言葉にして伝えなくてはと改めて感じました。

そしてまた本棚から一冊の本を引っ張り出す。
三浦しをんさんの「舟を編む」は大好きな本。

辞書編集部が舞台で、気が遠くなるほどの年月をかけて言葉を集めて24万語の辞書ができあがるまでを綴った物語。
個性豊かで愛おしい登場人物達の織りなすドラマに胸を熱くしながら言葉の重要性を改めて思う。

曖昧なまま眠っていたものを言語化する言葉がいる。
記憶を人に伝えるための言葉。
心の奥底にしまっておくだけでは決して伝わらない。

そうか、私は伝えたい言葉を探すために本を読むのだと気づいた。

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ジグソーパズルのピースを探すように、言葉のかけらを求めてまた新しい本を読んでいこう。

なかなかカチッと合うピースが見つからなくて、思いが先走って失敗したり自分の拙い文章が歯がゆくてもどかしいけれど、
これからも本を手に、いつだって自分に正直に、言葉にして伝えていきたいと思うのです。


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