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先生へのラブレター

敬愛してやまない先生がいる。

大学時代の教授である。分野でいえば中古の歴史学。平安時代辺りの専門家だ。私は文学部の国文学科生(実際の学部名は違うが便宜上)だったが、先生は社会学部の歴史学科の先生だった。学部が違うから本来、接点は少ないはずであった。出会いは、一般教養の講義の中でどれを選ぼうかとなった時に「この先生、名物先生らしいよ。授業、面白いって!」と友人の勧めで一緒に選択したのが始まり。

見た目は、少し目付きの悪い、中肉中背の還暦過ぎの男性。仕立ての良いスーツ姿は教授然とした雰囲気で近づきづらそうだった。しかし、講義が始まると印象が一変した。軽妙洒脱とはこんなトークを指すのだろうか。自著のテキストを中心に語られる学説は面白く、引き込まれた。後々、一般人を対象とした講演会を開けば、いつも満席にしている著名な教授だと知った。先生の専門分野が、私の興味のある分野(私は3回生から中古の和歌文学を専攻した)と被ることが多かったこともあったが、先生の話は本当に興味をそそられた。

先生は憧れの存在になった。先生並みの脳味噌が欲しい。あの知識量が私の頭にあったなら、どれだけ世界が面白いだろうと思った。私は先生の講義の「追っかけ」を始めた。学部が違うから、受けられる講義は限られているが、全てを受講した。広い教室で前方の席に座り、熱心に講義を受けた。

当時、先生からの私の印象について聞いたことはないが、決して悪くはなかったと思う。「今夜、新聞社主催で講演会があって、道長の『この世をば〜』の宴について話す」と余話で語られたのに対し、講義が終わったあとに「先生、今日の講演会、面白そうですね。知っていれば申し込みたかったです」とこぼすと「来るか。受付で僕の名前を出したらいい」事もなげに言われ、講演会に入らせてもらったことがあった。実はその講演会も満席で、私のために目の前で新たにパイプ椅子が用意されたのを見て、軽い気持ちでとんでもないわがままを言ってしまったと青くなったのを覚えている。

社会学部主催の、2ヶ月に1度、神社仏閣を巡る勉強会にも参加した。会の顧問の1人は先生だった。先生の口から語られるあれやこれやを聞くフィールドワークは楽しく、興味深い時間であった。

非常に楽しい大学生活だった。先生との一番嬉しいエピソードは、平家物語の一節を固有名詞を中心に解説するというものだった。通常、学生が発表し、先生が補足を行い、また次の学生の発表が始まる。が、私の発表が終わったと同時「完璧。何も補足することがない。次!」と言われたのだ。あの時は、嬉しさで心が打ち震えた。

そう言えば、先生のゼミ生からこんな話を聞いた。ゼミで某県の古刹に行った時、現地での先生の解説をたまたま居合わせた地元のバスガイドさんが耳にして、造詣の深さに感嘆し「あのお方は一体何者ですか!?」とゼミ生に詰め寄ったそうだ。

勉強は好きだったが、進学はせず4年で卒業し、就職した。先生は私の卒業年に定年で退官された。大学で一番広い教室が用意されていたにも関わらず、先生の最終講義は立ち見がでるほど盛況だった。先生とのお別れであった。

就職して、半年。印刷会社で企画営業として一生懸命働いた。和歌文学とも平安時代とも無縁の世界だった。そんな中、大学の卒業生向けメルマガに、先生の講演会の案内があった。え、先生の講演が聴けるの!と驚き、懐かしさがこみ上げ参加を決めた。

久々の再会であった。講演会の前にチラリと顔を合わせた時、先生は私を覚えて下さっていた。

「今は何をしている?」

「印刷会社で企画営業をしています」

「そうか、君は……院に行かなかったんだな……」

しみじみと仰られた。色々思うところがあり、私は進学を諦めて納得の上で就職を選んだのだが、この「……」の間に、院進しなかった後悔がとめどなく押し寄せたのは言うまでもない。

先生の講義は相変わらず面白かった。そして、先生は退官され授業こそもってはいないが、2、3ヶ月に一度、社会学部主催の催しに顔を出されているのを知った。時間が許す限り、その催しにも顔を出すようになった。先生は催しの場で「この子は研究者だから声を掛けてよ」と他大学の先生へ紹介して下さったり、とある研究会へ誘って下さった時は、自分の弟子だと紹介して下さった。無論、私はもう研究者(大学生は研究のセミプロなので研究者でも良いと思うが…)ではないし、先生のゼミ生でもないから正式には弟子とはいえない。しかし、先生の期待に応えたい、大学で学んだ知識を錆びさせてはいけないと、時々は歴史書や古典の書を開くようにした。

残念ながら、昨今の疫病のせいで、催しの一切がなくなり、半年ほど先生にはお会いできていない。学問の場以外で顔を合わせる事がないので、昨今の動静を知るよしはない。また軽妙洒脱なトークを拝聴したい。出会いからずいぶん時間が経った。先生は年齢的にそろそろ後期高齢者だ。先生、どうか息災で。まだまだ私は多くを教わりたい。

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