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松之介の『noteを楽しむ』共同運営マガジン

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【noteや生活を楽しむ記事の共同運営マガジン】🌕 共同運営マガジンに参加希望の方は、鶴城松之介の記事にコメントをお願いします🌕 皆に読んでほしい記事、宣伝したい事、参考になる記…
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#自己紹介

松之介と共同運営マガジンをやりませんか?『松之介遊園地の来園者マガジン』について

皆さん。 『松之介遊園地の来園者マガジン』を一緒にやりませんか? 僕の作った共同運営マガジンです。 いつも読みに来て頂いてる方も『来園者』という形で『松之介遊園地』の参加者になったら楽しいんじゃないかな?と思いましたので、作ってみました。 皆に読んでほしい記事、宣伝したい事、参考になる記事などなど、『noteだけじゃなく、日々を楽しめる記事』を書いたら入れていくマガジンです。 主観で大丈夫ですよ。 「こんなところに行ったけどオススメだよ」っていう記事なら、行ってみた

わたしも、世の中のノイズのひとつになってゆく。#坂本龍一

空がとつぜん、きれいに見える時がある。 空はいつもと変わらないのに。 ただ、雲の形がちがってそのレイアウトが ちがうだけなのに。 空に心はないのに。 そこに心をかってに託してみたくなる。 いつか聞いたことのある坂本龍一さんの 言葉を日記の中から探していた。 「みんながざわざわって客席がざわつき はじめて曲が始まると、とても静かに なって。 ひたひたとしーんとして。 曲が終わって最後の音符を引き終えて 余韻がほんとうのおしまいを迎える頃に、 彼らはまるでサッカーで

#呑みながら書きました たすけてほしいときはこえをだすんだよ。

#呑みながら書きました 今回も参加させてもろうてます。 誤字のフリマみたいなわたしは この誤字のままってのがとても 気に入っております。 この日だけはnoteがたのしゅうてたまらん。 おじいなわたしに戻れる。 わたしはよく男性にまちがわれるんですわ。 noteとかTwitterで。 それはべつに気にしとらんのですが。 ほんとほとんどきにならんとです。 なんで? って言われることもあったけど。 わたしは女であるとカどううでもよくって。 女子会もきらい

理科室と君と、傷つきやすいそれと。

フラスコの底にたまった水溶液は 混ぜちゃいけないってきみに言われて じっとみていた。 ゆさぶっちゃいけない、のぞいても いけないって。 この水溶液は傷つきやすいんだって。 言われたまま栞はじっとそのままでいた。 水溶液のうわずみが桃色になる。 噂になりたかった ただそれだけ ふたりきりになりたかった ただそれだけ ひとりじめしたかった それ以下でも以上でもない 逃げたいような抱きしめられたい ような栞は彼の白衣のしわばかりを 冷たい理科室でそれを環境ビデオの

捨ててしまった手紙のために。

誰かが書いてくれた手紙を捨てたことが ある人はどれぐらいいるのかわからない けれど。 わたしもかつて、手紙の束を捨てた。 そうしないと自分が立て直せなかったから。 読むと過去がよみがえるから。 みないところに置いておけばいいけれど。 あそこにあの手紙たちは眠っていると 思うと気が気でなくて。 わたしはいつもなにかを捨てて乗り越える。 残酷かもしれないけれど、そうやって なんとか日常をふつうの呼吸で生きられる ようにやってきていた。 父の手紙の束を、資

ごめんなさいを、言わなかった。

これは自分のために書いているのかも しれない。 きっと自分が楽になるために。 そうすることがいいことなのか どうなのかわからない。 SNS的でなにかを書くということ その向こうに誰かが読んでいる ということにまだ不慣れなのかも しれない。 とりわけ家族について書くことは なんども自問してしまう。 人はいつか記憶を失うものだし。 そばで暮らしている大切な人が 覚えてほしいことを忘れてしまう ことに今年からずっと直面している。 時々、記憶が揺らぐから

ひとりとひとりだから出会えた。心に刺さる、触れてくる音/藤井風『grace』のイントロの秘密。

好きだった絵本と好きな曲に とても深いつながりを発見して うれしくなっていた。 好きだった絵本。 それは『スイミー』。 レオ・レオニの絵本。 好きな曲は藤井風さんの 『grace』。 音楽プロデューサーのyaffleさんが イントロにイメージしたのが絵本の 『スイミー』だったそう。 ものを手で触った時の手触りのように 音にもテクスチャーと呼ばれるものが あるらしい。 響きといわれるもの。 あの曲のイントロのピアノやギターによる コード進行はベー

ChatGPTに『舞いあがれ!』の恋歌を頼んでおいた。

新しいものに対して、ちょっと距離を 置きたいと思う性質なのです。 だから、あのチャットGPTの話題が Twitterでももちろんnoteでも聞き始めた ときも。 すーんと遠くからみておこうって思って すみっこで話を聞いてる人になっていた。 いろいろ日々を送っていたら、テレビでも 新聞でもその話題を聞き始めたので もう何周目?   っていう気分になって。 もう新しくないから、とりあえず 触ってみるかって思ったのが 先週ぐらい。 何周か回って今みたいな

スローシャッターという、記憶に包まれて。

第一印象にわたしはすこぶる 自信がないのだけれど。 人の第一印象と同じで本の扉を 開けた時の第一印象は、まっすぐ 第一行目だと思っている。 第一行目にはその物語の魂が 宿っていると信じているわたしは そこにひとめぼれしなければ 次の行へと読み進めたいと思わない。 わがままな読者でごめんなさいと 思いながら。 わたしは去年Twitterでタイムラインが こちらの本の話題でもちきりになって いた頃から、好きになることがあらかじめ わかってる本があった。

物語は誰のものになってゆくんだろう。

一日を終える時、まだ何か大事なことを し忘れていた気がする。 それはとても大事なことなのに、すこしも 手をつけなかったことのように思えて来て、 その大事なことがなんであったかを、手繰 ろうとするのに、なにかを忘れているという 感覚だけがふくらんでいて、うまく思い出せ ない。 このぼんやりとした感情に包まれながら、 坂道を上りながら、ふと目にした道路脇に 名前の知らない花を見ていた。 名前を知らないのは私だけかもしれない。 SNSの中でも日常のなかの「物語」という キー

きみの小さな手の平が、教えてくれた。

手を洗うという行為がわたしは それほどきらいじゃない。 そこにあるのは清潔になるからとか 理由はよくわからないけれど。 水が好きなのかもしれない。 水に触れている時間は、なにかを 洗い流してくれると同時に新しさに 包まれてリセットされているから かもしれない。 お正月になるとお寺に行って水の集まる 場所にゆく。 清めるための手水の温度で寒さを 測ったりしながら、指先から全身が 清められてゆく気持になる。 手を洗うということを、大人になって からも

note書く時のささやかな悩み。

今更だなって思うけれど。 noteじゃなくても書いてしまうのは 常だから。 悩みていうとおおげさだとは 思うけど。 この間、プロのライターの方が 週末はnoteを書かないルールを 決めていらっしゃって。 金曜日のnoteを書き上げるとあと 土日は書かなくていいんだと どこか安心されると書いて いらっしゃった。 ほっとした。 やはり超人的なあの方も書かない日を どこかで欲しているんだなという 現実に安堵したのだ。 この真っ白い大海原の前で なん

Twitterのタイムラインに、逃げていたあの頃がよみがえる。

Twitterのタイムラインに映画の プロモーション 「そして僕は途方に暮れる」が 流れてきた。 昔聞いたことがあるタイトルと その曲と大沢誉志幸のハスキーな声が わたしの頭の中で鳴っていた。 サイトのストーリーを読んでいたら フラッシュバックしそうなエピソードが ずらりと並ぶ。 主人公は逃げて逃げて逃げまくる。 そんな逃避劇が描かれている映画。 身に覚えがあるなって思いながら あの頃のことを思い出していた。 かつてわたしはコピーライターの 専門

恋を失ったら墓にゆく。#毎週ショートショートnote

わたしが失恋墓地に埋葬されたのは もうずいぶん昔の話だ。 鯉が島のはずれにある林の中の お墓。 あの恋は、未必の恋だったのに。 木乃伊取りが木乃伊になるように 恋に落ちていた。 恋に落ちるって、どういうことか おわかりだろうか。 恋に落ちるとは読んで字のごとく、 奈落に落ちることだ。 階段がすっぽぬけるように落ちた。 落ちてゆく途中ずっと彼もそこにいた。 一緒に落ちようっていう言葉を 耳に入れたせつなふたりは ふたりを取り巻いていた人たちに ほ