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【掌編】人魚の髪

 池袋にあるその水族館に僕と妻がやってきたのは、十一月の終わりの、肌寒い日曜日の朝だった。
 その前夜、妻が唐突に「明日、人魚を観に行かない?」と提案したのがきっかけだ。提案の中身よりも、彼女と言葉を交わしたこと自体がずいぶん久しぶりな気がして、僕は半ば気圧される形でうなずいていた。

 館内は家族連れよりも若いカップルのほうが多かった。三十路に近い僕たちはなんとなく場違いな気がする。そもそも、池袋という街そのものが若者の舞台であるように思う。僕は肩身の狭い思いで入場ゲートをくぐったが、隣を歩く妻はなにを考えていたのだろう?
 お目当ての人魚はすぐに見つかった。
 弓なりに曲がっていく回廊の途中に、人魚専用の大きな水槽があって、どちらかといえば地味で目立たないエリアだった。きっと、何十年か前にはこの水族館の目玉展示の一つだったのだろうけど、いまではもう特に珍しくもない生物だ。その証拠に、わざわざそこで足を止めたのは僕たちだけだった。ほかの入場客はこの先にいるペンギンに興味があるようだった。
 水槽の中の人魚たちは、まったくといっていいほどお客に無関心だ。泳ぐというより、ぶらぶら漂っている感じで、退屈そうに回遊している。子供の人魚だけが、目に好奇心を光らせてこちらにやってきたが、すぐに飽きたらしく、岩場の奥へ引っ込んでしまった。全部で十匹ほどいるが、そのすべてがメスだ。オスはたぶん、違う場所で飼育されているのだろう。人魚のオスは三毛猫のオスぐらい稀少であるうえ、神経質でストレスにも弱いから、こういう展示に向かないのだ。
「水族館の人魚って、動物園のライオンと同じくらいつまらないわね」
 妻が呟いた。学生の頃から変わらないそばかすの散った目許が、ちょっとした失望を漂わせていた。
「えっと、ペンギンでも観る?」
 人魚の胸の膨らみと彼女のセーターの胸部をひそかに見比べながら、僕は尋ねた。
「ペンギンなんか観てなにが面白いの?」
「いや、そこそこ面白いと思うけど……」
「昔、祖母の家の近くで人魚を見たことがある」妻が突然語り始めた。こういう唐突さが彼女の特徴なのだ。「祖母の家は四国の海沿いにあったから、お盆とかで帰省すると、わたしはずっと海で遊んでたの。その人魚を見たのはたしか、七歳か八歳の年の夏だった。いつも行っていた小さな入江の岩陰に、人魚の子供が打ち上がっていたの」
「天然の?」僕は念の為に訊ねる。かなり珍しいことだからだ。野生の人魚は絶滅危惧種に指定されている。
「天然だと思う。髪があったから」
「かみ?」
「髪の毛。知らないの? 人魚には、本当は髪の毛が生えているのよ。人工交配で生まれてくる人魚にはないけれど、天然の、海にいる人魚には髪があるのよ」
 その雑学は知らなかったので、僕は素直に関心を覚えた。髪の生えた人魚とは、いったいどんな風貌をしているのだろう? 水槽の中の、丸坊主の人魚たちを眺めながら考えてみる。オスの人魚にはひげやわき毛が生えているのだろうか、と余計な想像まで働いてしまった。
 でも、人工的に生まれてくる人魚には、なぜ髪がないのだ?
 その疑問を口にしかけたとき、岩陰にいた人魚の子が、ふいに顔を出した。
 彼女は僕たちには見向きもせず、なにを思ったのか、頭上を泳ぐ母親らしき人魚の尾びれを両手で掴み、泡をぶくぶく吹いて笑った。母親のほうは、これまた無関心な様子で、いささかくたびれた表情で子供のなすがままにされている。スーパーマーケットにいる人間の母娘みたいだった。
「髪のある人魚って、ますます人間にそっくりなのよ。耳とか額が隠れるし、長ければ顔のエラも隠れちゃうからね。わたしが見つけた人魚も、黒い髪を生やしていて、最初は人間の女の子かと見間違えたくらいだった」妻は水槽を見つめながら、ぽつぽつと続けた。「たぶん、群れから外れちゃった子だったんだと思う。疲れきって眠っていたんだけど、わたしが近づくとびっくりして目を覚まして、水面まで這って逃げていった。なんだかすごく可哀想な気がして、自分がとんでもない悪者に思えて、わたし、しばらくその場から動けなかった。言葉なんてわかるはずないんだけど、せめて、ごめんねって言ってあげればよかったなぁって思う」
 僕はどうコメントすべきか迷って、妻を見つめていた。なぜ急にそんな話を始めたのかわからなかったし、そもそもなぜ急に人魚を見たいと言い出したのかも、僕にはわからなかった。
 ただ、必死に尾びれをひるがえして海に戻ろうとする人魚の子の姿が、僕が勝手に思い描いた光景が、脳裏に焼きついて離れなかった。その人魚の顔は、不思議と目の前の妻の横顔に重なる。濡れた黒髪も、きっと彼女と同じくらいの長さだったのだろう。なるほど、髪があると、ずいぶん人間に似ているような気がした。
 結局、上手い言葉を見つけられず、いたたまれなくなった僕は「外で煙草を吸ってくるよ」と告げて離れた。妻は無言で頷くだけだった。いつものあの暗い瞳に戻っていた。

 喫煙所は屋外のテラスのそばにあった。空は気が滅入ってしまいそうな曇天で、ひと雨やってきそうな塩梅である。寒さのせいか、テラスに人影はあまりない。迷路のように配置された屋外用の水槽に、魚が悠々と泳いでいるだけである。水槽の中のほうが温かいかもしれない。
 煙草に火をつけたとき、家族連れの客がテラスに出てきた。父親と母親と小さな女の子の家族だ。「外にもお魚がいるよ」と父親が娘の手を握って教えている。
 その瞬間、一年前の記憶が前触れもなく蘇り、僕は煙を吐くのも忘れて立ち尽くした。お腹の子を流産した妻から掛かってきた電話。泣きじゃくった彼女の声。それを電話越しに聞きながら、茫然と見上げた曇天の空……。
 そうか、あれからそろそろ一年か、と僕は思い出す。
 墓参りに行かなければならない。
 水族館なんかに来ている場合じゃない。
 そう考える自分が殊勝に感じられて新鮮だった。コンビニで受け取った釣銭を、なんとなく募金箱に入れてみた瞬間と同じように。
 妻の妊娠を知らされたときも、入院先の病院で流産したことを告げられたときも、僕には父親になるという意識が希薄だったように思う。胎児のエコー映像を見せられたときにも同様だった。間違いなく自分の子供であるのに、画面に映る胎児の影が、まるで自分となんら関係ない生物のように感じられた。そして、その違和感は、胎児が死んで一年が経ったいまに至るまで続いている。だから、簡単に忘れられていたのかもしれない。
 妻は、彼女は、そんな僕の淡泊さに気づいているだろうか。
 感傷ではなく、義務として遺児を思い出す僕の残酷さを。
 亡き我が子を、人間としてではなく、ただの悲惨なイベントとして振り返る夫の鈍さを。

 煙草を灰皿に落として、僕は館内へ戻った。目についた自動販売機で缶コーヒーを買い、少し考えてから妻の分のホットココアも買う。人魚を観ながら飲むものではないだろうけど、そんなことをいってしまえば、そもそも僕たちは水族館に来るような二人じゃないのだ。
 人混みをすり抜けながら人魚の水槽まで戻ると、妻の姿がなかった。
 トイレに行ったか、ペンギンを観に行ったか、あるいは帰ってしまったかのどれかだろう。もしかしたら、これっきり彼女と会うことはないのかも、とほとんど妄想に近いことまで思いつく。

 たぶん、僕たちは離婚するだろう。
 それがいつになるかはわからないけれど、こんな曇天の日が続いていくなら、むしろ別れたほうが救いであるに違いない。

 二人分の飲物を手に佇みながら、再び人魚を眺めた。髪のない彼女たちは相変わらずの退屈さでぼんやり泳いでいる。子供の人魚だけがちらりと僕を見て、前と同じように岩陰に隠れにいった。
 もしかしたら、子供の頃の僕も、こんなふうにしてなにかを眺めていたのかもしれない。
 妻もきっと、入江で出会った人魚をこんな感じで見つめていたのだろう。
 あるいは、生まれてくるはずだった子も同じようにして……。
 その子は女の子だろうか。
 それとも、男の子だろうか?
 どんな髪型をしているのだろう?
 考えてみたけれど、やっぱり上手く想像できなかった。
 かわりに、ある考えが閃く。
 あと十分待って彼女が戻って来なかったら、このうっとうしい髪を切りにいこう。その帰りに墓参りを済ませ、離婚届の書類を役所まで取りに行ってしまおう。
 そのアイデアをゆっくりと吟味しながら、僕は水槽の中の人魚を眺め続ける。

 彼女たちが髪をなくしてしまった理由が、なんとなくわかった気がした。


<了>



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※2018年執筆。
 見出し画像:みんなのフォトギャラリー(くみた柑様)

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