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金婚式とロープウェイ

両親が夫婦の契りを結んで半世紀を迎えた。
今日から二人きりでとある場所に旅に出たらしい。

「今ロープウェイに乗っています」

というメッセージとともに、ロープウェイから下界を見下ろす写真が送られてきた。
ゴンドラを吊るすケーブルが、遥か下まで真っ直ぐ伸びている。

齢八十近い両親が結婚した年より、僕はずいぶん年上になってしまった。
時間の感覚が分からなくなってくる。

僕は僕専用の人生のロープウェイに乗っているのだろうが、どうも居心地が良くない。
仕事に不満は多いし、プライベートでも諦めたはずの夢が燻り続けている。

「麓まで戻れたらいいのに」

「いや、いっそこのケーブルが切れたらいいのに」

などと思うことも多い。
周囲に霧が立ち込め、景色をうかがうことができない。
ましてや、この先何が待ち構えているのか見えるはずもない。
ゴンドラは揺れ、僕はなす術を知らず身体も心も揺さぶられる。

そんな時に両親から送られてきたロープウェイから見た下界の景色は、とても広く明るく美しいものだった。
両親とも、これまで語り尽くせぬ苦労があったと思う。
父は病弱だった親に代わり、定時制高校に通いながら大家族を養った。
印刷工として働き、爪の間はいつもインクで真っ黒だった。
母は遠く九州から見知らぬ山の中に嫁ぎ、厳しい嫁姑関係の中で日々を過ごした。
僕の祖母が寝たきりになると、複雑な思いを抱えながらも献身的に祖母の最期まで介護した。

そんな両親から送られてきたロープウェイからの景色。
「いろいろ苦労はあったが、振り返った景色は素晴らしいものだった」と言っているような気がした。
「前方の景色も見せてよ」とメッセージを送ったが、「いやそれは秘密」と断られた。

きっと、二人にしか分からない大切な未来があるのだろう。
それを「見せて」なんて野暮だったかな。
50年といわず、末永くロープウェイのゴンドラでイチャイチャしていてほしい。

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