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27歳で事故死した祖父が生きていた時の情報を探して

私の父方の祖父は、27歳の時に亡くなったらしい。私の父が3-4歳、その弟が1歳前後の時に、工事現場で土に埋まってしまったのだという。

…という話は聞いたことがあったが、祖父のパーソナリティがわかるような詳しい話は、ほとんど知らなかった。

というのも、幼かった父はもちろん祖父のことを覚えていないし、
妻である祖母は、「あの時のことを思い出したくない」と、
私たちに祖父のことを話すことなど、全くなかったのだ。


だから、生きていた時の祖父を知っている
近所のおじいさんたちが時々話してくれたことから、祖父を知るしかなかった。

あとは、遺影。遺影も、曽祖父などの古い時代でさえ写真なのに、祖父のものだけ鉛筆で精密に書かれたような、絵だ。
良い写真がなかったのだろうか、その理由さえ知らない。

遺影は、実際の顔とあまり違いはないようだが、結構はっきりとした顔立ちをしている。


近所の人の話によると(気を遣って立ててくれているのかもしれないけど)
今でいう「イケメン」だったらしい 笑

というか、近所の人が話す祖父の話が
どれもすごく良い内容ばかりなので
それだけの人だったなら、となおさら興味がわいた。

例えば、こんなことを言われたことがある。
・とにかく綺麗な顔
・町内のイベントで、女形をやっていて綺麗だった
・あの時代の中で背が高かった
・青年団のリーダーをしていて、みんなを引っ張る存在だった
・私(近所のおじいさん)にとって、憧れる存在。ああなりたい大人、という人
・近所では「こういう大人になりなさい」と、見本にされるような人
・人当たりが良くて優しい人
・彼のことを悪く思う人はいない
・昔キャッチボールをしてくれて、よく遊んでくれたお兄ちゃん
・足が速い
・棺の中の顔ですら精悍。死んだ人であんなに綺麗な人を見たことがない


あとは、祖母になくて、私の父にある性格から
「ということは、祖父は穏やかな人なのかな?」などと推察するしかなかった。


そんな中で、私は「地域資料」という存在と出会う。

地域資料とは(私が勉強したなりに解釈すると)、その地域のことを知ることができる情報すべてのことを指す。

もちろん新聞もそうだし、
その地域の歴史や交通、文化などが書かれた本、その地域で生まれた・ゆかりのある人が書いた本、
その地域の広報誌、広告チラシまで「地域資料」とされる。
(広告チラシだって、30年分積み重なったら、時代の変遷とともに、その地域で求められている需要をたどることもできる。物価など、経済を知る大切な資料にもなる)


私はたまたま仕事で
地域資料にとってもとっても詳しい方に出会ったことで
「自分のルーツを知る」ことに俄然興味が湧いた。

というか、その方の話を聞く中で
図書館に行くとそんな昔のことまで分かっちゃうの?と衝撃を受けて
知りたいことがどんどん出てきた、と表現した方が正しいかもしれない。

なかでも「祖父のこと」は
自分的にも優先度が高かった。

ひとつのきっかけは、祖母が数年前に亡くなり、部屋の中から
祖父の名前とともに「種目:俵担ぎ 第一位」と書かれた賞状が見つかったことだと思う。

足が速いとか、スポーツができたとかは聞いたことがあるけど
とあるエリアで、60kg超えの俵を担いで走るのが、一位だっただと?!

こうなると
みなさんがいう褒め言葉も、少しずつ信憑性が増してくる。
(ちなみにその賞状は、父ももちろん知らないもの。今は額縁に入れて、遺影の横に飾ってある)


そして祖父のことを知る近所の人も、この2、3年で何人か亡くなっている。
もう、誰かから話を聞くことってできないんじゃないか、と思っていた。

そんな2024年の夏。お盆の季節に私は帰省した。

とある日、両親は親戚の家に少しだけ行ってくるから、と出かけた。
甥っ子たちと私で留守番をしていた昼下がり、
チャイムが鳴る。

出ると、今年亡くなった近所のおじいさんのきょうだいにあたる男女が立っていた。
うちにも線香をあげにきたというので家にあげ、線香をあげてもらう。

お茶を出し、
2人からは、私の先祖でいうと、誰と交流があったかを聞いた。
その時、真っ先に出てきたのが祖父の名前だった。

そこでも祖父の評価はとにかく高く(お世辞もあるかもしれないけど)、私も色々聞くことができた。

特に、亡くなった日の話。
棺に入れられて帰ってくる祖父を、私の祖母は庭先で何時間も待っていたらしい。
背中には次男(私のおじ)。
長男、つまり私の父とは手をつなぎ、玄関の前で俯きながらひたすら立ち尽くしていた姿が、その2人の目に焼きついていたという。

その後、祖母が一人で息子たちを育てた時の話、幼き私の父の話なども新鮮で
とにかく「留守番をしていてよかった」と思えるほど、いろんな話を聞かせてもらえた。

夕方帰ってきた両親にもそのことは軽く報告した。
夕飯時には、仕事を終えた私の姉も実家に来たので、そこでじっくり
2人から聞いた祖父の話をする。


みんな、祖父の話を興味深く聞いてくれて
「事故がなく祖父が生きていたら、どんな生活になっていたんだろうね」「生きてたら(私の父は)色々怒られたんじゃん」とか
勝手なタラレバ話に花を咲かせた。


こんな感じで、なんとなく家族みんなが祖父のことを考えるタイミングが増えていた。

そこで私は
「県立図書館に行って、祖父が生きていた時の情報を探そう」と思った。
県立図書館なら、地域資料も豊富だ。

さらに、おそらく広報誌を遡れば、俵担ぎのことや青年団の活動など、
何かしらあるかもしれない、というあたりもつけていた。

それに、こういうことを考えるのって
家族で私しかいない。他の人たちは、興味の対象がこういうところにない。

私がやらないと誰もやらないから、試しにチャレンジしてみようと思えた。

地域資料目当てに、県立図書館へ

目当ての広報誌は、レファレンスカウンターで相談し、出してもらった。
祖父が亡くなる5年前ぐらいのものから縮刷版としてまとめられていたので、慎重に1ページ1ページめくっていくが、それらしい情報は何もない。

かろうじて、町内の「出産」「結婚」「おくやみ」などの欄に、
次男(私のおじ)が生まれた時に祖父の名前を見つけることができた。

長男、つまり私の父の時代の広報誌には、まだその欄が設定されていなかったらしい。

そのあと、祖父の名前が見つかったのは、おくやみの欄だった。

それでも、その時代、そこにいたのだということが嬉しくてどちらも複写した。

他に、レファレンスの中で
「人名辞典」「日本紳士碌」なども見てみるといいかもしれません、というアドバイスももらった。
「さすがにそういうのに載っているような人じゃないと思います」と返すと
「先生をやっていたような人も載っているので、意外とわかりませんよ」的なアドバイスをいただき、試しに手にとってみる。

今の時代、あり得ないかもしれないが
教育委員会で何かを担っている人や、自治体の職員、医師、教師、大地主など、
社会的地位がある、とされる人の名前が多数載っているのだ。
見てみると、その時代の人の名前の他にも配偶者、住まい、職業や出身大学、子どもの名前やその進路まで、こと細かく載っている。


そこに祖父の名前はなかったが、市議会議員とか、教育委員会の人?の名前を見て、

自分が学生の時によく「来賓紹介」の時に聞いていた苗字とおなじ苗字が、50年ほど前の人名辞典にも多く載っていることに気づく。
そういう役割は、明確に世襲制がしかれているわけではないかもしれないが
親から子へと、受け継がれる場合も珍しくないんだな、と思った。


そんなこんなで、あまり祖父の情報にありつけない。

ただ、その後のレファレンスの中で特大ヒントをもらうことになる。



私は、知りたいことを図書館職員さんに伝えるなかで、祖父が事故死であることを何気なく話した。
すると「それだけショッキングな出来事だったということは、新聞に載っているのかもしれないですね」と返ってくる。


え、そうじゃん!!

新聞!亡くなった日の、いや、その翌日の新聞を見れば載っているかも!!
えーなんで気づかなかったんだろう。新聞なんて、地域資料の基本中の基本みたいなものじゃん。


すぐにカウンターで、「昭和◯年◯月の茨城新聞を見たいです」と、
閲覧の申請をした。

すると、すると。
本当にそこには、事故のことが取り上げられていた。

茨城新聞

私は、生きていた時の祖父の情報を求めていた。
これは、亡くなった時の情報だけど、亡くなったということは、生きていたことの証も詰まっているのだと解釈した。

というか、これだけ祖父の情報が見つからないなかで、
そこに祖父の名前が載っているものなら、なんでもいいから見たい、とすら思っていたから
嬉しかった。

…事件の様子を目で追いながら
その悲惨さを感じとる。


でも、祖父はこの時まで生きていたんだ。
ここに、祖父が生きていたという証拠がある。


私はこれももちろん複写して、折り目をつけないように実家に持ち帰った。

「図書館に行く」とだけ伝えて出かけ
帰ってきたらこんな資料を持って帰ってきた私に、母は
「えー、昔の新聞だなんてよく思いついたね。ありがとうね」と感激して、父にも見せながら何度も何度もそれを読み返していた。

父は翌朝、老眼鏡をかけて
ひとりでその記事を熟読していたらしい。


とにかく、この8月は
私にとって「祖父が生きていた証を見つけた」すごく大事な月になった。

そして、
祖父の新たな情報に、両親がたどりつく機会をつくれた…という達成感も得たような月だ。
なんというか、親孝行の一種をしたように、勝手に思えた。


数日後、私が複写したA3用紙が収納できるファイルを、母と買いに行った。

今はそれを仏壇の前に置いている。
母曰く、私がこんな資料を見つけてきてくれたよ、とファイルを差し出して祖父に報告している意味があるらしい。


地域資料を学んだ自分と
色んなタイミングが重なって、こんなことが起きた8月。

濃かった。

たぶんなかなか…いや、一生忘れられない思い出になった気がする。

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