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元鬼教師が愛されキャラに〜私がマツミホになるまでの物語〜


初めまして!

「人目を気にして我慢して頑張る」ことをやめたら、
非モテ独身アラサー元鬼教師から愛されキャラに大変身!!


こんにちは、初めまして、マツミホです。

このマガジンでは
周りの目が気になって仕方がないから
嫌われないように、仲間外れにされないように、
我慢して頑張って
親や、先生、上司から言われたことをやっていたのに

「もっと隙を見せたほうがいい」
「可愛げがない」
「もっと人を頼ったほうがいい」
「女を捨てている」

と言われ続けて、どうしたらいいのか分からなくなっていた私が、

33歳で、周りの目を気にして我慢して頑張っていることを全部やめ
教師も辞めて、ありのまま全開にして生きることで、

どこに行っても愛されキャラとして扱われ、
起業初月でみんなに助けてもらって100万円達成!
彼氏なんて人生のバグじゃないかっていうくらいご縁がなかったのに、
1週間で6人とデート

など、
過去のわたしでは考えられなかった
まさかの人生の大逆転劇の話を書いていきます。


今の私のプロフィールを簡単に紹介すると、

・大阪のマンションで、管理人ということで
 家賃光熱費0円状態で2階建ての家に一人暮らし

 (管理人の仕事が相殺って意味ですw)
・どこに行っても名前を覚えてもらって、愛されキャラ扱い
・本音を話せる友達0人→日本全国に本音を話せる友達がたくさん
・ご飯中もほぼ会話なしな父母との関係→今では会うたびハグする中に
・結婚していない劣等感で壁を作りまくりの兄弟関係
 →3人の弟と義妹とも関係が改善し仲良しにv
・0時過ぎまで仕事をしているのは当たり前
  →好きな時に東京、大阪、福岡を飛び回り美味しいものを食べながらお仕事
・授業や子供と関わることは好きだけど、保護者対応、事務仕事、書類作り、
 やりたくない仕事も全部やらないといけない
 →好きな時に好きなことについてしゃべっているだけで仕事になる
・before 、afterが劇的すぎて、ファッションコンサルの会社の広告塔にw
・ついに見つけた自分史上最高のサプリを飲み始めたら、
 苦労せずに万年ダイエッターからも卒業して、痩せたね、
 きれいになったね!と言われるように。
・マッチングアプリを開けば、早く会いたいという男性が続出


こんな感じです。
自分で言うものなんですが、あまりその辺にはいないレベルで
教師という堅物の仕事とをしていた頃では
考えられなかった生活を手に入れてしまいました。

私自身が、周りから好かれたくてあんなに我慢して頑張っていても
ただただ辛くて苦しくて悲しかっただけだったのに、
今ではびっくりするくらいの愛と、幸せを手に入れて楽しんでいるので、

今は自分以外にも同じように生きられる女性を増やすべく
自己啓発から、実践型性教育から、美容系の仕事まで
色々な活動をしておりまして、
この発信もその一つです。

そんなわけでまず最初は、
私の今までの経歴や、具体的にどんなステップを経て
自分が変わっていったのかについて
書きたいと思います。

ちょっと長いですが、
ぶっちゃけトークで、色々晒しているので
やべーなこいつw感覚で読んでもらえれば〜!

ではでは、私がマツミホになるまでの物語です。

=================

1 嫌われからの暗黒時代
2 オタクライフを満喫した大学生活
3 地獄の居酒屋社員時代
4 我慢しなければ好かれない世界
5 空っぽの自分
6 現実から逃げたくなると結婚に走るw
7 キラキラ女子の巣窟
8 もう自分に嘘はつきたくない
9 「周りの目を気にして我慢して頑張る」をやめた結果


1.嫌われからの暗黒時代

子どもの頃から自分が正しい、自分の言うものが一番いいと思い込んでいた私は
結構な傍若無人な人間でしたw
小学生の頃は男子と普通に殴り合いの喧嘩をして、
怖くて強い自分をアピールすることで、周りに友達ができると思い込んでいる
かなりやばいやつでしたw

まぁでもそんなことをしていたら
当たり前ですけれども嫌われるわけですよwww
小学校六年生の時に、当時ずっといた友達全員に嫌われてしまいます。

だけど当時の私は、何が悪いのかも分からずw
かといってプライドが高すぎて謝ることができなかった私は、
傍若無人から一転。
友達0人になり、絶望に打ちひしがれ、
周りの目を気にしまくり、八方美人な振る舞いをするようになります。

中学初日に先輩から目をつけられて呼び出される
靴箱の中にはラブレターどころかデスレター
同級生は荒れているやつばかり
しっかりしていると思われる私はリーダーになることが多い

先生の言うことを全部聞き
友達にもいい顔をし
荒れている生徒には注意をしにいき
テストの点数もちゃんと取ろうとする

とにかく「我慢して頑張る」しかない生活を送っていました。
そうすれば

「よくやった」
「ありがとう」
「頑張っているね」

といってもらえる。
その言葉が「私は嫌われていない」という証明だったのです。

しかし、高校に行くとそれすら難しくなります。
地域の中では1番の進学校に行ったわけですが、
外見が全てのような高校生活にどうしたらいいか分からなくなります。

綺麗になることには興味があっても、
メイクのこととか一切やってこなかった。
めちゃくちゃ厳しかった父親が、化粧をするということを嫌っていたり、
弟3人で、母や祖母はそんなに化粧っけのないタイプ。
癖っ毛のすごい私は、湿気にやられていつもクルクルだったので
ストパーをして高校デビューをした気になってみたり、
女の子っぽく振る舞おうとしてみたりと一応努力はしてみたんですよ!

でも、一軍女子には鼻で笑われ
ネタにされ、
とにかく惨めな生活を送っていました。

誰もやりたくないリーダーを押し付けられる時だけ必要とされ
それ以外は笑いのネタに。
プライドでなんとか保っていたところはありましたが、
人と目を合わせるのも怖く、
ただただ下を向き、どんどん小さくなっていく生活が続いていきました。

外見のいい人は怖くて私のことを馬鹿にしているという考え方って
まさにここで出来上がっていったのだと思いますw

とにかく当たり障りなく生活したい。
これ以上人に嫌われないようにしたい。
そのためには我慢するしかない。


自己主張することで変に思われないようにと
進路は「ミホには先生になって欲しい」の一言だけで
教育学部のある大学を選ぶことにしたのです。

求められた感じも当時はめちゃくちゃ嬉しかったんですよね。


2.オタクライフを満喫した大学生時代

教育学部に入ったはいいものの、
ここにも私が苦手とする外見勝ち組人間がとにかく多かったわけです。
人と関わることはもはや恐怖になっていた私は、
話しかけられればビクビクし、
下を向き、
どもった感じでしか会話ができない。

授業以外では近づかないようにと、逃げるように教室を出る毎日でした。

そんな私の心の拠り所は、サークルでした。
歌うことが大好きだった私は、
当時ゴスペルができたらいいななんて思っていたのですが、
そんなお洒落なものはなく、どうしようと途方に暮れていたところに
合唱のサークルが外でアカペラで歌っていたのです。

ここの先輩たちはハモネプにも出場しことがあり
(初代のハモネプのバカ安というグループでした)
ハモネプも大好きだった私は、とにかくこのサークルにハマりまくりました!

そして、このサークルもう1つ大きな特徴があったのですよ。
それはメンバーの9割型がオタクだということでしたwww
もうちょっとのオタクとかじゃなくて、
ディープとか軽く言えないレベルでディープで、オタク活動にも全力を注ぐ人たちだったのですよねww

もう、その中でも特に濃い先輩は、
ガンダムかなんかの剣を木で自作して、
持ち歩いていたら銃刀法違反で警察に注意されるとかいう、
そういうネタ満載の人だったのですよ!!!

私は実はもともと漫画が好きだったのですが、
中学の時友達に
「これ面白いよ!」
と、大量のアンソロジーを押し付けてきたのをきっかけに
BLという沼にハマったわけですw

これも「嫌われたくない!!」という私の思想からすると、
かなりのハードな世界を歩ませるものだったのです。

今でこそ、書店の一角にとてつもなく広いコーナーができ、
「おっさんずらぶ」3次元ですら持て囃されるような?時代ですが、
当時はアブノーマルで、市民権すらない状態だったのですよね。
オタクなんてただでさえドン引きされる要素しかないのに、
腐女子なんてものまで付随したら致命傷どころでは済まない・・・!!!

そんなのが当時外見至上主義の高校生活で露呈したもんなら
もう精神的にも高校社会的にも抹殺されると思っていた私は
それがバレないようにひた隠しにして小さく小さく過ごしていたわけですw

だけど、このサークルメンバーと出会ったことによって、
流石にBL好きをぶちまける勇気はありませんでしたが、
漫画の話をしても引かれない場所ができ、
我慢せずに言いたいことを言っても受け入れてもらえるその環境は
少しずつ私の心を解きほぐしていきました。

それとは別にパソコンを駆使してオタクと交流できる環境を整えた私は
毎日徹夜でイラストを描きながら、
日々サイトをめぐって推しCPで盛り上がるようになります。
そこで知り合った人と仲良くなり、
イベントに参加したり、泊まりに行ったり
自分のことを隠さなくていい環境は、とにかく充実していて楽しかったです。

そんなことばかりしているので、大学の成績は
高校では考えられないほどガタ落ちしていましたが、
最低限のことだけやりなんとか卒業することができたわけです。

しかし、私の中で、このオタクライフは何よりも充実していていました。
何より、オタク活動を通して人と関われたことで、
私の価値観が色々ぶち壊れ、
私の世界は広がったのです。

もっと自分の世界を広げたい!
もっと色々な人と出会う仕事をしたい!
と、人目を気にする人生を歩み始めてから
初めて自分の意思で何かしたいと思ったわけです。

だけどですね、私本当に血迷っているというか、
思考がドMなんですよね。

どうせやるなら、自分のイメージが悪く、
なおかつブラックなところがいい
と思うわけですよ・・・!!
そして居酒屋に就職することに決めるわけです。

ブラックなところを経験しておけば、
その先どんな仕事になっても、耐えられると思うという
究極のドM思考の結果ですよねw


3.地獄の居酒屋社員時代

私の居酒屋のイメージってチャラチャラした人がやるものだとばかり思っていたのですが、そんなイメージは同期のメンバーにすぐ覆されました。

「早く自分の店出したい!」
「いつかこういうことをする予定で」

とにかくそういう熱い夢を語る人たちばかりで、
早速自分の価値観が変わった・・!!と感動する反面
畑違いの場に来て何も分かっていない私は
置いていかれそうな環境に、とにかく焦りました。

もっと頑張らなきゃ!我慢してなんでもやらなきゃ!
そんな風に思ってとにかく質問
したり、
やれと言われたことをやらなければと思っていました。

ですが、私が頑張れば頑張るほど同期との距離は開き、
上司からの期待だけが大きくなり、そのプレッシャーに押しつぶされそうでした。
営業中に原因不明の高熱で歩けなくなり、倒れたこともありました。

そんな感じで過ごした研修店舗だったわけですが、
上司に言われた最後の一言が私をズタボロにしました。

「俺、人を見る目はあったつもりだけど、
 お前だけは期待外れだったわ。」

私出だしはわりかしうまくいくのですが、
その後が伸び悩むタイプなのですよね。
だから、そうならないように頑張って言われたことも全部やったのですが、
上司からしたらそれだけ行動してもその程度かと言う風だったのだと思います。

その後、店舗が変わり前の店舗でのルールは全く通用せず、
何をしてもうまくいかない、
私より経験年数のあるバイトの人とどう関わったらいいか分からない、
出来の悪い社員だと言われまくる。
そんな地獄のような生活が続いたわけです。

また、当時リーマンショックが起こり外食業に打撃が起きます。
外食をする人が減ったわけなのですよ。
今までのようにお客さんが来なくなってどうしようと悩んでいたら

「お前は企業に営業に行ったのか」
「昼間立ってビラ配ったのか」

とキレられる始末。
いや、そんなやり方があるとか知らないし。

まぁでも企業はともかくとして、ビラを配ることはできるなと思い、
仕込みの時間に、看板を前と後ろに貼り付けて、
ビラを配りまくっていたわけですよ。
そうしたら警察に
「ちゃんと許可取ってますか」
と注意を受け、
それを上司に報告したらなぜかキレられ、
休みなしで働いていたため、営業前に個室で仮眠をとっていたら
「女捨ててるね〜」
と別の上司に言われ

もう堪忍袋の尾が切れたわけですよ。
当時は一人で決めることが怖かったので親に相談したら
「もうそれやめていいんじゃないか。」
と言ってもらえたので、
やめることを決意。

上司に止められて一時迷ったのですが、
「あいつは単純だから、こうやって言えば辞めないよ」
って上司が言っていたよと言う話を聞き

そこで初めて

ああ、我慢して頑張っていい子になって好かれようとしていたけど、
私がなっていたのって都合の「いい子」だったんだなぁ。

ということに気づいたわけです。

だから即この会社は辞めることに決めました。
そしてやめてもう一度就活し直す予定でしたが、
地元に戻って学校の講師になる話がとんとん拍子に決まり、
私はそこから教師の道に進むことにしました。


4 我慢して頑張らなければ好かれない世界

居酒屋社員時代とは違い、
太陽の光を浴びて生活すると言うこと
日々の売り上げのプレッシャーを気にしなくていいと言うのは
私にとって大変幸せなことでした。
子供たちはすごく可愛いし、なんて素敵な生活なんだろうと。

しかし、ここでも再び地獄が私を襲います。
生徒指導の先生に嫌われてしまったのです。
何が原因なのかは未だにはっきりしませんが、
とにかく無視され続けました。
多分私がその先生とまともに会話ができた日数は1年間の中で片手で足りるくらいです。
話しかけても、人前で平気で無視をされる。

そんな状況に陥っている自分が恥ずかしくて情けなくなっていって、
話しかけるもの怖くなって下を向く。
どうしても話さないといけない時は吃ってまともに話せない。
私は当時担任のないフリーという立場だったので、
職員室でその先生と一緒にいる時間が長く、
とにかく地獄でした。

私がそういう扱いを受けるということは私が悪いに違いない。
だから、好かれるために我慢して頑張らないといけない。

飲み会に他の先生から誘われても、本当は行きたくない。
絶対にその先生はいるし、話の中心になる人だから。

だけど、行かなかった時に話題についていけないのが怖い。
私のことをみんなで悪くいうんじゃないかというのが怖い。

そう思って、結局出席はするのですが
私の話題になるととにかく不機嫌になって空気が悪くなってしまうので、
ここでもひたすら小さくなるしかありませんでした。

そんな学校生活を過ごしていましたが、
半年経って、フリーから担任になることが決まりました。

途中産休の先生が出たことで、私に白羽の矢が立ったのです。
しかし初めてのことで、生徒の指導がうまくいかず、
授業も不安だったので、学年主任に相談したところ、

「生徒指導の先生に入ってもらうようにお願いしておいたから」

とまさかのことを言われ、私の頭は真っ白になりました。


その先生の目ばっかり気になって授業どころじゃない。
本当にどうしようと思っていたところで、
生徒指導の先生が驚くべき行動をとったわけです。

その先生は体育の先生だったので、色々な先生に
「私体育のサポートに入ってあげるから」
と言って自分の時間割を埋めだし、

「とういうことで、空き時間無くなったから、補助にいけなくなったすまん!」

と言ってきたのです。

私としては、正直その方がありがたかったので、何も文句はありませんでしたが、
それほどまでに私は嫌われていたんだと、めちゃくちゃ傷つきました。

今当時を振り返れば、私はフリーとして、
学校全体でどう動けばいいのかというのが全く分からず、
その先生の目に余ることもたくさんあったのだと思います。
それが分かり始めたことはもう遅かったわけですが。


運がいいことに、一発で教員採用試験は受かり、
私が当時勤めていた学校とは全然違う地域に配属されることが決まったので、
逃げるように私はその学校から去っていきました。
新天地で今度こそ嫌われないように頑張ろうと・・・!

後日
「松井は目をつけられていじめられていたから。」と人づてに聞いた時は
え、あれ誰も助けてくれなかったけど、いじめだったの・・・?
とひたすらショックを受けましたが、
その時はただただその環境から逃げられたことと、
もうそこにいなくてもいいことだけにホッとしていました。


そこからはただひたすら、いじめられないように、嫌われないように、
我慢して全部やるくらいの精神でやっていました。


「若い女にだけはうちの子担任されたくなかったんだよね。」
「子供が悪いんじゃない。お前の指導が全部悪い。」
「問題を起こさないだけの努力を、お前は日々していたか。」
「あの先生マジでうざい。」


教師の仕事も正直心が切り刻まれる瞬間はあります。


だけど、だからこそ
もう2度とあんな風に嫌われて縮こまって惨めな思いだけはしたくない。
言われたことを全部やらなければ。
むしろもっと頑張らなければ私は価値がない。

一番嫌われる先生は、叱らない先生というのが学校教育では当たり前。

じゃあ誰よりも厳しい先生になって、
親からも先生からも、子供からも認められる存在にならなければ。

そんな風に日々を過ごしていました。

毎日深夜を過ぎるまで学校にいれば

「頑張っているね」

と褒めてもらえる。

「すごいですね。」

と親や生徒に言ってもらえる。
また私は、認められる言葉欲しさに行動する人間になってしまっていたのです。

私は研修校と言われる学校に配属されることが多く、
普段の授業とプラスして、先生向けに授業発表をしなければいけませんでした。

休みが取りやすいと言われている夏休みも
忙しすぎて休み0のこともありました。

資料作成や授業準備もあったりして、
一番ひどい時は1ヶ月、帰宅するのが深夜3時から4時。
シャワーを浴びにだけ帰るという日もありました。

もちろん体調は壊すし、
咳は止まらなくなるし、そのせいで眠れなくなるし、
全く声が出なくなって、PCをテレビに繋いでタイピングで伝えるというのが、
年に2、3回ありました。

ですが、忙しい自分、頑張っているから
私は必要とされるし褒められるとしか思えなかった私は、
そういう生活をすることをやめることができませんでした。


5.空っぽの自分に気づく

こんな病んだことばっかり書いてますがw
教員は間違いなく私の中で天職だったと思っています。

教えることも好きでしたが、
子どもたちの成長を見ることが何よりの喜びでした。
何より、子どもたちから教えてもらい学ぶことはたくさんありました。

そして働きまくった結果、教師という仕事に対してそれなりに自信がつき、
長時間労働ではありますが、楽しく仕事をしていたわけなのです。

ところが、そんな私にまた大きな壁が立ちはだかったのです。

初めての中学校配属。
分からないことだらけだから大きな学校で教えてもらえる環境が整っているところがいいと、人生初めて希望を出したにも関わらず、

・ど田舎の、小さな学校で、数学教師は私だけ。
・しかも単学級で学年主任もいない。
・人数少なすぎて誰も何も教えてくれない。
・というよりも教える余裕がない。
・生徒や保護者たちからは
 「先生中学校初めてなんですよね?」と言われ
(そんなんで本当にちゃんと指導できるんですか。)
 と副音声が聞こえる始末。

もうパニックですよねww

他の担任の先生の学級経営の方針とか
学級通信とか見ながら色々考えるわけですけど
そこで先生方の衝撃を受けるわけですよ!!!!


・全中チャンピオンでした!
・趣味はスキューバダイビングです!
・歌のコンテストで1位です!
・校長を殴るような悪ガキでしたw
・結婚してラブラブですv


え・・・学校の先生ってこんなすごいの・・・!!?
私趣味あったっけ・・・?
オタク活動家・・・??
いや仕事しかしてない。
学生の時目覚ましい活躍してないし
スキューバとかそんなおしゃれなことしてないし、
悪ガキでもないし
結婚もしてないし


どうしよう。
私空っぽで何もない。。。


とりあえず苦し紛れで居酒屋で働いてましたくらいは書いてみたものの、
小学校と違って絵が描けたり歌が歌えても大して子供の心を掴めない。

仕事しかしてきていない私って
本当に空っぽでどうしようもない人間だ。

そんなネガティブな感情が私を襲います。

この頃29歳だったので、
結婚に関しても親からのプレッシャーがあり、
なんとかしなきゃなとは思っていたのです。

でも、外見にも体型にもコンプレックスがありまくった私は

趣味と体型改善も視野に入れて、
トレーニングを始めることにしたわけです。

地元でおしゃれなパーソナルトレーニングジムができ、
そこに通い始めたのと、
当時、インスタ公開ダイエットが流行り始めた頃で、
私は気になったトレーナーさんに会いに、
グループトレーニングに参加するためだけに、東京に行きました。

そこのトレーのングでは、トレーニングだけではなく
自己啓発とか引き寄せの話とかの時間が1時間くらいあったのですね。
私はその話を聞くのがとにかく好きで、

東京でその方と会った後、
実家の近くで開催されるのを見つけると、
車で往復6時間かけて(これでも一番近いんですw)
その方に会いに行っていました。

今まで仕事にしか時間を使っていなかった私が、
自分のために時間を使うことが本当に楽しくて仕方がありませんでした。
この行動から私の人生は少しずつ動き出していったのです。


6.現実から逃げたくなると結婚に走るw

ダイエットをしながら自己啓発も学びだし、
仕事もうまく行っていたかのように見えたのですが、
もやもやするようになってきました。

生徒たちはめちゃくちゃ伸びているし、
私の仕事も褒められるのに、
なぜかもやもやが止まらないのです。
気がついたらネガティブな感情に囚われている。

気持ちをスッキリさせるために断捨離をしてみるもうまくいかず、
このままではやばいと焦った時、
ダイエットグループでお会いした、コーチングをしていらっしゃった女性のことを思い出します。

ちょうど会いたいと思ったタイミングでセミナーを開催していることが分かり、
すぐさま申し込みを決めていきました。
その方のことがすぐに好きになり、継続コーチングを申し込んだわけなのです。

コーチングを受けるようになって、
ずーっとずーっと自分の我慢を見つめていった結果

出てきたのが


「教師を辞めたい」


だったのです。

だけど、人目を気にしまくっていた私は、
せっかく嫌われないように努力をしてきたのに、
「教師を辞めたい」なんて言ったら軽蔑される。

つまり嫌われる!!!

怖くてできない!!!!

でも、ならどうしたら辞められるかと考えた結果行き着いたのが


「あ、育児退職しよ」


だったのですw

育児退職だったら全て円満だわと。

そのためには、
結婚しなきゃいけないし、
相手見つけなきゃいけないし、

じゃあ婚活か!

と活路を見出したわけです。


実は私、これまでにも嫌なことを解決するために、
結婚に逃げようとしていたことが3回ありまして。


1.職場の友達(女性)に告白された時、嫌われず断る口実として
2.地元に配属されることになるけど、生徒指導の先生の出来事がトラウマレベル
  で怖すぎて帰らなくていい方法を探していた時
3.教師やめたくなった時


私は逃げたくなると結婚を口実に使いたがるみたいですw

まぁでもね、いつの婚活も地獄の時間でしかありませんでした。
女として自信もないし、
どうやったら好かれるのかわからないし
すごくいい人を紹介してもらっても、全然好きになれなくて
だから私はいつまでも結婚できないんだと落ち込むわけです。


そんな状況を打破するために、
そのコーチングの方を始め、
あげまんとか
結婚うまくいっている方
とか
そういう人を探し
とにかく気になったら会いにいっていたのです。

新しい出会い、
今まで知らなかった世界に触れられることは
とにかく楽しくて仕方がありませんでした。

そして、そこから私は
とんでもない場所へと足を踏み入れることになります。


7.キラキラ女子の巣窟

色々調べていく中で、めちゃくちゃ大好きな方を見つけてですね。
女性起業家の小田桐あさぎさんです。

その方がやっているコミュニティに入りたいなと思ったのですよ。

ただね、それがマジで心配なことがあって。

だってキラキラ女子の巣窟ですよ!!!
もう過去の出来事から外見綺麗な人たちって怖いっていう
思いが抜けなかったのですよ。

何よりあさぎさんに

「お前みたいなブスが入ってくるんじゃねぇよ。場違いw」

みたいなの思われたらどうしようとか色々思っていたわけなのですよねww
まぁでも悩んだんですけど、
やっぱ入ってみたいから勇気を出して入ることに決めたわけです。


だけど、この時決めたことがあったのです。


変なプライドとかで自分を大きく見せようとするのを辞めよう。
好かれようとして我慢して頑張るのをやめよう。
ドン引きされてもいいから、自分の素を出していこう。


自分の実力以上のことを頑張ろうとするから苦しくなる。
本当の自分じゃないのを演じようとするから、変な期待をされる。
できない自分を最初から見せた方が楽なんじゃないか。

そんな風に思ってのことでした。


私ここでとにかく欲しかったのが

「本音を話せる友達」

だったのですw


30過ぎた女が友達欲しいって・・・wと思うかもしれませんが、
私の人生の中で、そういう友達今までいなかったのです。
嫌われた経験から、やっぱり怖がる自分がいて
どこか取り繕って強がってしまう。

だから、そんな人を見つけたかったのです。


まー、綺麗な人見ると怖がって下向いて吃る人間が、
キラキラ女子の巣窟で友達をを見つけようとするところが
マジでハードモードというか、
おかしいんですけどねwww

実は、私の「マツミホ」というのは、
このコミュニティーに参加した時、
あさぎさんにつけてもらった人生初のあだ名なんです!
私今まで苗字か名前で「さん」づけで呼ばれることが多かったくらい距離のある人間だったのですよねw
だから、もう1個の自分の名前をつけてもらえたんじゃないかというくらい、
私にとっては大切な名前になりました。

そしてこのコミュニティーの中で
絶対に入ろうと決めていた部活があるんです!!!

それが

「エロ部」

だったわけなのですよ。


なぜかというと

本音を話せる=ぶっちゃけトークができる=つまりエロトーク!!!

という図式が成り立っていた私は、
こここそが、人生における最大のポイントなのではないかと思い、
入部を決意したわけです。

ここでもプライドを捨て、お酒の勢いを借りて自己紹介しましたよ!!!
マジで恥ずかしかったですけども!!!
書きき終わったらスマホ投げつけて2、3日見れなかったですからねww

まぁそんなわけで、立ち入った場所でしたが
みんなマジで美人だけど、
マジで優しかったんです!!!

人間不信すぎた私が、
人を信じることができるようになったのは
確実にここのおかげ
だと思っています。

そして、私はここで青春時代を取り戻せたなぁって思っています・・!!
冗談抜きでねww

人生初のコスプレをしたり、
綺麗な服を着てパーティーに参加したり、
みんなで合宿をしたり、
とにかく学生時代にやりたかったことを
全部ここでやらせてもらえた気がするんです!!
ここに参加できたことは本当に私の宝物でした。



8.もう自分に嘘はつきたくない

エロ部を楽しんでいたある日、
超衝撃的な動画がシェアされました。


日本アマナ性共育協会のチャーリーさんが
コラボで出していた動画だったのですが、
当時私が思っていた性への知識がパーンしたわけですよ。

実は私エロ部に入っておきながら、性へのブロックがとてつもなく高い人間で。
でも、この動画が衝撃すぎて、すぐさまチャーリーさんについて調べ、
とんでもない講座があることを知ったわけです。


その名も

「実践型性教育アマナレッスン」

端的にいうと、
元助産師のチャーさんが、膣の中に指入れて、
あなたのGスポットはここですよ〜とか
教えてくれるとんでもないものですw

(超端折っていますが本当にすごくいい内容なのです!!!)


当時、嫌われないために育児退職をしようと結婚を目指していた私ですが、
正直SEXは気持ちいと思ったことないし、
なんなら過去に襲われたことあって、どっちかっていうと気持ち悪いし
でもそこどうにかしないといけないから
受けてみようかなと思ったわけです。

あ、ちなみに私は人生で付き合ったと言えるのはたった1人で、
その一人も浮気から始まり遠距離の末自然消滅みたいな感じですw
その後はずーっとセカンドバージンw

そんな状況だったわけなので、
当時の私からしたらかなり高額だし、
なんなら、バレた日には社会的に抹殺されるかもしれないし、
現場にいってAVの撮影とか始まらないかな大丈夫かな・・・。

とかいう心配もあったわけなのですが、

私はここで人生の決断ができました。


私はチャーさんの自己紹介を聞いて号泣してしまったのです。


正直、性教育ってめちゃくちゃ恥ずかしいことだと思っていて、
AVとほぼ変わらない、人に自信を持って言えない仕事。
白い目で見られる恥ずかしい仕事くらいに思っていたのです。

だけど、チャーさんは
自分の仕事に本当に誇りを持っていて、
いかにこれが全ての女性に必要なのか。
ここの認識が変わるとどれだけ女を楽しめる人生になるのか
ということを、本当にキラキラした顔で話されていた
のですよね。

そう思った時、私は何をやっているんだと思ったのです。

別に私は子供を産みたいわけじゃない。
結婚をしたいわけでもない。
仕事を辞めたいだけなんだ。

チャーさんは、人からどう言われるかとかそんなことじゃなくて、
自分が本当にやりたいことをやって、
めちゃくちゃ楽しそうにキラキラしている。

なのになんで私は、
自分の1回きりの人生なのに、
自分の言いたいことを言えないんだろう。
なんで人目を気にして嘘をつくんだろう。
そんな人生嫌だ!!!!!!

そう思って、私はレッスンを受ける前に教員を辞めることを決意し、
次の日校長室に行って「辞めます」ということを伝えたわけです。


実際のレッスンも本当にすごくて、
たくさんの女性に受けてほしいと思ったので、その後エロ部でシェアしまくり、
10人以上の友達が受けに行って私としても嬉しかったのですが、
私の中で、レッスン以上に、
自分の人生の生き方を考えさせられる出来事だったのです。


9.「周りの目を気にして我慢して頑張る」ことをやめた結果

我慢して「いい子」で見られることをやめること。
好かれるために「都合のいい子」をやめること。

正直これは私にとってとてつもなく難しいことでした。
だって、私は今まで他人の評価を得るために我慢して頑張ってきていたのです。
それだけが私の存在価値だったのです。

結婚もしていない
趣味もない
面白みもない
愛されない

そんな私が価値を見出す方法がそれしかなかったのです。
それを手放そうと決めても、嫌われる恐怖でどんどん心が病んでいきました。

教員を辞めてニートになり、
正直怖くて仕方がありませんでしたが、
とにかく、自分らしい人生を生きたい
嘘のない人生を生きたい
ただそれだけでひたすら自己啓発の講座を受けまくりました。


その結果、私が一番衝撃的だったのは
今まで私が人生のほとんどをかけて実践していた
「好かれるために我慢して頑張る」というアプローチが
いかに間違っていたかということ。

そう、それまでの人生として薄々感じていました。
好かれるために「我慢して頑張る」をやった結果、

学生時代も居酒屋社員時代も周りにとって都合の「いい子」なだけ
教員時代は、ハードワークすぎて体を壊す
結果的に空っぽの自分になってしまい、
好かれるために「我慢して頑張る」わけだから
相手に合わせるだけで、自信がなく、理想もなく、婚活もうまくいかない。


それはなぜか。

好かれるために我慢して頑張れば頑張るほど、
人は本来の自分らしさから遠ざかります。

その結果、他人から好かれるために都合のいい子を演じ続け、
誰かに評価される完璧な自分になろうと、
必死で自分じゃない自分以外の人生を歩み続けるわけです。


そして、どんなに我慢して頑張ったところで、
誰からも好かれるということは不可能
なのです。


つまり、「好かれるために我慢して頑張る」とは、
実現不可能な理想を追い求めるどころか、自分じゃない人生を歩むということ。

「好き」の定義なんて人によって違うわけですから。

そういえば、好かれようと思って必死になっていた時、
仲良くしていた同僚の先生に

「正直今の行動を見ていると嫌悪感を覚える。」

と言われたことがあったんです。
当時は意味が分からなくて混乱したんですが、
好かれるための行動って、そんなものなのですよね。


そのことにようやく気づいた私は、
ここで生まれて初めて
「自分らしさとは何か」
「私の才能や強みとは何か」
「私の魅力を生かした仕事とは何か」
「私の生きたい人生とはどんな人生か」

といったことを考えるようになったわけです。

好かれるためだけに我慢して頑張ってきて
人からどう見られるかを考えて、
進路も人から言われたものでしか決められなかった私が、
33歳になってようやく自分の人生のスタートラインに立ちました。

そうして自己分析を繰り返し、
脳や心や体の向き合い方を知り、
好かれるために我慢して頑張ることをやめ
弱いところも曝け出していった結果、
まさかの愛されキャラになっていて、
起業初月で100万を達成していたのです!!!


自分の魅力を生かすファッションも分かり
外見も劇的に変わりました。
男性からは見向きもされていなかった私が、
1週間で6人とデートしたり
「次いつ会えますか?」のメッセージがたくさん来ることに。


33歳までの私は教師という立場上、
社会的信用もそれなりにあったし、
一般的に見たら結婚はしていなくても安定して
幸せな生活だと思われていたでしょう。

だけど実際は辛くて、苦しくて、悲しくて仕方がありませんでした。
自分のことが本当に大嫌いだったし、
こんな自分を愛してくれる人なんて誰もいないと思っていました。
そして、信用できる人も誰もいないと思っていました。


その時から今の私に至るまでに、私がしたことはただ一つ。
「周りの目を気にして嫌われないように我慢して頑張らなければいけない」
という思い込みを捨てたことです。

起業して2年が経ちましたが、驚くべきことに、起業してからもなお
私の前にはたびたび
「周りの目」というブロックが立ちはだかります。

そして、その恐怖心を超え、本当の自分らしさに近づけば近づくほど
周りから愛されていきましたし、
仕事も、人間関係もうまくいくようになっていきました。

ちなみに、「周りの目」の呪縛から逃れるには、
ここでは書ききれなかった親との関係に向き合う必要があったわけなのですが。
これに関しては起業前に乗り越えて関係が劇的に変わったし、私自身の自己肯定感も爆発的に上がりました。
これについては、また機会があったら書きたいと思います。

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ここまでが私が今に至るまでの物語です。
詳しいところは省略しているので、
また詳しい話はおいおいしていきますね。

結構ぶっちゃけてきたかと思うのですが、
私がブログを始めたとき、

みっともないところも、もがいているところも全部曝け出すことで
誰かの背中を押せたらいい

というのが自分の1番のテーマでした。
これを読んでくださったあなたが、

「マツミホがこれだけ変われるなら、
 私も余裕でできるんじゃね!」

って思って人生の大きな一歩を踏み出せてもらえるのなら
こんなに嬉しいことはありません。


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