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Starring -星と奏でる物語-

何かに守られたような経験や何かに守られているような感覚は、世界のどこにでも誰にでも、きっとあると思う。

★幼なじみの大スター

冬の鋭い日差しが校舎に降り注ぐ。昼過ぎの少し気だるそうな空気の中、教室の隅で澄んだ声の鼻歌が流れている。
「また歌ってる」
ばれたか、と照れるように歌を止め、にこりと笑うのが音源の二村和奏ふたむらわかなだ。
「だって今夜、しんちゃん帰ってくるんだもん」
「あれ?先週も帰ってきてなかった?」
「そうだけど、いつ帰ってきてもその度に嬉しいの」
「幸せ者だなー、辰ちゃんは。曲もバズって、帰りを待ち侘びてくれる存在がいて」
親友のまいの言葉に、ふふんと鼻を高くする。
「身内に有名人がいるってすごいよね!しかもそれが辰って最高すぎ!」
会話に入って来たクラスメイトの言葉に、和奏はさらに得意げになる。
「そう、辰ちゃんは最高なの!今や大スターだけど、私の自慢の幼なじみ!次の曲ももうすぐYouTubeで公開するって投稿してたよね!楽しみだなあ。アップされたらみんな聴こうね!見ようね!」

予鈴が鳴った。次は移動授業のため、教室に残っていた生徒はいそいそと準備をして出ていく。
「もし身近に有名人がいたらもっとはしゃいじゃうわ、私。和奏はほんとに嫌味ったらしさがないよね。新曲とか先に聴かせてもらえてるのかと思ってたけど違うっぽいし」
和奏と舞が最後になった教室に、さっきのクラスメイトが言った言葉が残った。
「・・・よかったね」
「うん、辰ちゃんのお守りが守ってくれた」

辰はYouTube出身のミュージシャンで、本名は江渡辰星えとしんせいと言う。時折和奏の親戚と勘違いする人もいるが、血の繋がりはない。
和奏の父・がくが経営していた音楽塾に通っていた生徒で、歳は和奏の8つ上。和奏にとっては兄のような存在でもある幼なじみだ。
辰は塾に通い始めてから程なくして作詞作曲もするようになり、5年前、辰が18歳のときにYouTubeで公開した曲が大反響を呼び、以降音楽関係の仕事が増えたことを理由に東京へ移り住んだ。

彼の曲がヒットする前から、和奏が辰を誇りに思う気持ちは変わらなかった。

変わったのは周りの目だった。

「辰」という10代の若者が、小さな街からスターになった。
どうやらそのことを鼻にかけている幼なじみの少女がいるらしい。
少女の言うことは本当なのか?本当だとしたらその少女から見る辰とはどんな人物なのか?
そして、少女との関係は──?

根も葉もない噂が流れ、過熱し、時に和奏に一部の過激なファンの嫉妬の矛先が向けられることもあった。ファンだけではなく、友達だと思っていた面々からも。

多くの心ない言葉を浴びせられる中で、自分が辰の幼なじみであることは隠さないまでも、いちファン以上の態度は出さないように努めてきた。

しかしどんなことがあっても、悔しさや憤りを感じることがあっても、辰から渡された指輪が和奏に乗り越える力を与えてくれていた。

指輪には秘密がある。

★指輪に宿る少年

「お父さん、今日はね、信号が全部青だったの。あとすっごい食べたかったお菓子がコンビニで売ってて超ラッキーだった。それと今日数学で当てられるはずだったんだけど予習してなくて。でも次私ってとこでチャイム鳴ってセーフ!すごくない?」

和奏の日課は、父親に今日あった出来事を報告すること。
それから、

「当たるって分かってたなら予習はした方がいいと思うよ」

この声の主と話すこと。

──写真の中でいつも変わらない笑顔でいる和奏の父は、1年ほど前に病気で亡くなった。

ベッドの上で弱っていく父を見ながら、近いうちに訪れるであろう別れの日を覚悟しているつもりだった。
訃報を受け、駆けつけた病院で氷よりも冷たい父の手に触れた途端に涙が溢れ、それ以来気がつけば雫が頬を伝っている状態が続いた。

葬儀の日、ほぼ全ての仕事をキャンセルして帰ってきた辰が、
「これが、和奏のこと守ってくれるから」
そう言って差し出したのが指輪だった。

葬儀が終わると、また近いうちに戻ってくると告げて、辰は慌ただしく東京に戻っていった。

告別式も終え疲れ切った状態で部屋に戻ると、一度は止まった涙が再びこぼれ、その場で崩れ落ちた。
「お父さん・・・会いたいよ。私も死んじゃいたい」
弱りきった和奏が泣きながら呟くと、

「本当に?」

かすかに、声がした。

顔を上げても視界がぼやけ、正しく世界を認識できない。
気のせいかと思い、再び俯き加減になると、

「君が大丈夫になるまで、僕がそばにいるよ」

懐かしさすら覚える声で、“誰か”がそう言った。

近くにあったティッシュを手繰り寄せ、涙を拭うとそこには透き通るような瞳をした少年が和奏を見つめていた。

否、透けていたのは瞳だけではない。
幼い姿をした少年は、その全身を通してわずかに向こうの景色が見える。

「幽霊、なの・・・?」恐る恐る尋ねる。

「ううん。精霊だよ。その指輪に宿ってる」

これが和奏と、指輪の精霊と称する少年──彼は“星影”と名乗った──との出会いだった。

星が夜空で静かにきらめく夜だった。

★持ち主を守る力

辰自身もお守りとして身に着けていたという指輪は、和奏にとってはサイズが大きいため、チェーンに通してネックレスにしている。

最初から星影の存在を受け入れられたわけでは、もちろんない。

「だから、僕はその指輪に宿る精霊で、君を守るためにやって来たんだって。何度言えば分かるのかな」
「精霊とか、そんなすぐに信じられるわけないじゃん!」
「そんなこと言って、しっかり僕と会話してるじゃん」
「それは・・・そうだけど、それとこれとは別っていうか・・・!」

胡乱な目を向ける和奏を見てため息をつく星影。

「仕方ないな。じゃあ信じられなくてもいいけど、君が守られているってことだけはちゃんと覚えておいて」

それが意味分からないんだってば、そう言おうとした時、母の呼ぶ声がした。
昨日東京へ戻った辰が再び帰って来たらしい。

「ほらね」

いたずらっぽく笑う星影の表情も、得意げな言葉の意味も、辰がすぐに戻ってきた理由も、やはり和奏には分からなかった。

★星の輝きを歌った曲

今夜も辰が戻って来ている。
和奏の父である楽の死後、辰は頻繁に帰郷するようになった。2拠点生活状態だが、いずれは地元に戻って裏方の仕事ができるよう、準備を進めているらしい。

「なんかいいことあった?」
和奏の母親が作った夕食を食べながら、穏やかな声色で聞いてくる辰。
「この指輪貰ってからいいこといっぱいだよ」
最初は疑ってしかいなかったくせに、とこぼす星影の声が先に耳に届いた。
「そっか。和奏に渡してよかった」
温厚な辰の様子に変わりはなく、会話が進んでいく。

星影の姿が見えるのは、どうやら和奏だけらしい。

「ねえ辰ちゃん、“あの曲”弾いてよ」
「“あの曲”って?」
にやりと口角を上げて聞き返す。
分かってるでしょと言いながら、辰の持ってきたギターを手渡す。
辰との夕食を済ませると、和奏が辰に弾き語りをリクエストする。このやりとりも、楽が亡くなった後の“いつものこと”になった。

『スターライト』

これが、江渡辰星を「辰」として一躍有名にした曲だった。

──少年が、苦しみと絶望からの救いと解放を空の星に願い、叫ぶ。
願いは聞き入れられ、輝かしい光が彼を包み込む。──

そんなストーリーが紡がれた曲だ。
18歳の辰が歌ったリアルな心情が同世代の共感を生み、SNSから、テレビをはじめ各メディアへ波及していった。

「私、この曲がいちばん好き。売れたからとかじゃなくて、辰ちゃんのど真ん中にあるって感じがする」
「何も分からないなりに全力で作り上げた曲だからな。楽さんにもめちゃくちゃ手伝ってもらって、初めて納得できるって思えた曲だよ。和奏の言う通り、俺の核、真ん中」

辰の顔を見上げる。

歌の中の少年のように、辰は光に包まれているようだった。時の人になったからではない。和奏にとって辰はずっと、輝いて見えている。

和奏の視線に気がつくと思い出したように、
「そういえば、宿題とかないの?」
げんなりする言葉をかけてくるところだけは、輝きも何もない。
「せっかく辰ちゃんが来てるのに宿題なんかやってる場合じゃないって」
「ろくに勉強しなかった人間が後悔してるんだから、やるべき時にちゃんとやっとけって」
そんなことを言われたらぐうの音も出ない。

黙り込んでしまった和奏に、根をあげるのはいつも決まって辰だ。
「・・・俺が手伝えることがあるなら一緒にやってやるから」
「ほんと!?そう言えば今度、音楽の歌のテストがあるの!辰ちゃん伴奏して!」
「数学とか言われなくてよかったわ。楽譜貸して」
手渡された楽譜を見て、呆れながらも笑みが抑えきれない。
「ほんとに好きだな」
「辰ちゃんの伴奏で『スターライト』が歌えるなんて、今日起きた中でいちばんいいことだよ」
「歌い終わったらちゃんと宿題しろよ」
いつもの、人に安らぎを与える声だった。

★星々の秘密

1時間ほど辰が弾くギターに合わせて『スターライト』を歌った後、辰は自宅に帰っていった。

辰の両親が亡くなって10年が経つ。バイトが始められる年齢になるまで施設で育ったと、音楽塾に通っていた頃に彼から聞いた。
東京へ移ってから家族のいない地元に辰が帰ってくることはほぼなかったが、楽が病を患い入院してからは、暇を見つけては訪ねてくるようになった。
一度遠い存在になってしまったと思っていた辰を再び近くに感じられるようになったことが、父を亡くした当時の和奏の心の支えになっていた。

「いい曲だよね」

ようやく宿題に取り掛かった和奏の横でそう言った。星影も『スターライト』を気に入っているようで、聴くたびに褒めている。

「辰ちゃんも喜ぶよ」
30分前から同じ問題のままだが、喜びが込み上げてくる。辰のことや辰の曲が褒められるのは自分のことのように嬉しい。

「彼こそ僕の言うことなんて信じないでしょ。見えないんだし」

はたと手を止める。
これまで自然と受け入れてきたが、なぜ和奏には星影の姿が見えて、辰には見えないのか。
星影が精霊として宿っている指輪はかつて、辰がずっと身に着けていたというのに。

「星影って本当に指輪に宿ってるの?」
「どうしたの、急に。精霊は何かに宿るもので、僕はその指輪に宿ってる。さすがにもう信じてくれてると思ってたけど」

星影が現れてからと言うもの、確かに和奏は何度も奇跡的な出来事を体験していた。

普段使っている通学路でボヤ騒ぎがあった日、偶然違う道から登校していたり、幼い頃に引っ越して連絡先も分からなくなっていた友人と出先の東京で偶然再会したり。
そして、辰が毎週のように帰ってくることも、和奏にとっては奇跡と呼べるほど価値あることだった。

何度かの奇跡を体験し、星影のことを受け入れられるようになった時、一度だけ聞いたことがある。
「ねえ、私の願い事は叶えられるの?」
少しの沈黙のあと、星影は首を振った。
「僕には和奏を守る力はあるけど、それは願い事を叶える力じゃないんだ」
そうなんだ、精霊の力も色々あるんだねと返してその会話は終わった。

「どうして私にしか見えないのかな、星影のこと」
「・・・・・・それは僕にも分からないけど」
「私は辰ちゃんのことも守ってほしい。辰ちゃんは私とか辰ちゃんのことを好きって言ってる人にとっては眩しいけど、なんか──」
それ以上は言えなくて、言葉を飲み込んだ。

再び昔のことを思い出す。

和奏が覚えている限り、辰はずっと優しい心の持ち主で、声を荒げたり、涙したりすることもほとんどなかった。

一度だけ、辰が壊れそうなほど取り乱したことがある。
彼の両親が亡くなった日のことだった。

学校に連絡が入り、両親の乗った車が交通事故に遭ったことを告げられた辰は、早退してすぐに病院へ向かった。
けれど2人とも打ちどころが悪く、即死だったそうだ。

その日は夕方から大雨で、道ゆく人は誰もが当然傘を差していた。和奏は父の経営する音楽塾に遊びに行っていて、ふと外を見やると、雨が降りしきる中、辰がこちらを見ながら立っていた。
7歳の少女には、その時の辰はただ雨に濡れる少年として映ったが、記憶をたどると、全てを睨みつけながらも悲しさでどうにかなりそうな自分を必死で押し込めているような、そんな風に思い出された。

はっとして急いで父に辰のことを伝えると、授業を中断し、辰のことを抱き抱えて塾の中へ入れた。
ぼそぼそと父に事情を話すと、堰を切ったように嗚咽し始めた。

後に楽から聞いた話によると、辰の母親のお腹の中には、生まれてくるはずだった弟がいたらしい。

辰が音楽に一層打ち込んだのはそれからだった。
学校へは行っていたが、早退して塾に来ることもしょっちゅうだった。塾に置いてある楽器は一通りできるようになったし、かつて歌手を目指していた楽から本格的に作曲も教わるようになった。

そうやってできたのが『スターライト』だった。

辰の名が世に知れ渡るのは、今思えば当然のことだったと和奏は思う。

ペンを置き、スクラップブックに手を伸ばす。
辰が異常とも言える速さであらゆるメディアで取り上げられ、その度に和奏は録画や切り抜きをして保管していた。
その中の、初めて掲載された音楽専門誌の切り抜きを読み返す。

宿題を中断するといつもは口うるさく言ってくる星影は、今日は何も言ってこない。

『スターライト』に込めた想いとは?
──聴く人の思った通りに受け止めてほしいというのが大前提ですが、僕個人は2つの想いが入っているなと思っています。
ひとつは僕自身が輝きたいなっていうのと、もうひとつは失ってしまったものの輝きを、どうにか入れられればと思って作りました。どうにか、というよりは、どうしても、かな。入れたかったですね。

「どうして気がつかなかったんだろう・・・」
「何に?」
辰──「江渡辰星」が『スターライト』に込めた本当の意味に。
そしてそれは、突然和奏の目の前に現れた精霊の少年と、もしかしたら繋がっているのではないか。
「星影・・・あなたって人間だったことがある?」

何度も彼に質問を投げかけてきたが、これまでになく緊張が走り、今にも震え出しそうだ。
我ながら突拍子もない問いかもしれないとも思ったが、予想外に星影は落ち着いていた。いや、ある意味予想通りの反応なのかもしれない。

「そんなこと、知らないよ」

これは予想を裏切る返答だった。

「そう・・・だよね。分かるわけないよね」
肩を落としたが、続く言葉は和奏を駆り立てるものだった。

「さっき、辰のことも守ってほしいって言ったよね。僕は和奏の願いは叶えられないけど、守ることはできる。僕は今はもう辰のことは守れないけど、和奏、君は辰を守れる。君は君の願いを必ず叶えられる」

すぐには星影の言ったことを理解できなかった。けれどやるべきことはすぐに分かった。

「辰ちゃんに会いに行く。行かなきゃ」

星影は何も言わず、ゆっくりと頷いた。
大丈夫、私は守られている。そう唱えて、和奏は辰の家に向かった。

今夜は星が一際きれいに見える。
澄んだ冬の空気を体に入れると、頭もすっきりしてくる気がする。
途中、辰のスマホに電話を掛けた。時々星影の方を振り向きながら。

「もしもし、どした?」
数時間前に会った時、違う、初めて会った時から変わらない話し方に、思わず涙が出そうになる。
「今、辰ちゃん家に向かってる」
「え!?こんな時間に?1人?まだ出たばっかりなら俺が行くから家戻れ」
「私、大丈夫だよ。守られてるもん、指輪に」
「分かってる。分かってるけど、夜道ではあんまり効果ない、かもしれないだろ」

ははっ。
後ろから無邪気な笑い声が聞こえた。
構わず続ける。

「辰ちゃんが東京行っちゃって、寂しかった。もう二度と戻って来ないかと思ってた」
「うん、ごめんな。今どこらへん?俺も今家出るから」
「お父さんが死んじゃって、私も死んじゃいたかった」
「うん・・・そんな気がした」
「でも、もう大丈夫なの。いっぱい守ってもらったから、今度は私が守る番」
「何言ってんだよ。守るって俺のこと?」
「うん。私の願いはね、辰ちゃんの心を守ること。やっと分かったの」
辰からの返答が止まる。十数メートル先に、お互いの姿が見えた。
駆け出そうとした時、

「もう大丈夫だね」

その声に、足が止まる。
振り返ると、星影の姿が透明に近づいている。
「星影・・・?」
「本当はもう少し前からこうなってもよかったんだ。和奏がちゃんと、また前を向けたんだなって感じられていたから。でも、欲張っちゃった」
あまりに突然のことに、何も発せない。
「和奏?どうした?」
近づいてきた辰に、

「ヒカリが消えちゃう!」

咄嗟にそう叫んでいた。

「ヒカリ・・・?なんでその名前・・・。消えるってどういうこと?」
たじろぐ辰、そして驚きの表情を浮かべる星影。星影はすぐに元の表情になり、ふっと笑った。

和奏はもう、何をどうしたらいいのか、何から話せばいいのか分からず、頭が混乱している。

──辰ちゃんに色んなことを話したい、けどそうしてたら星影が消えちゃう。

「和奏、僕はもう少しの間は大丈夫だから」
星影の、その優しさも、口調も、辰星にそっくりだった。

「和奏?」
大きく深呼吸をすると、辰の方へ向き直った。

「辰ちゃん、この指輪はね、ずっと私を守ってくれてたの」
星影っていう、辰ちゃんの──そう続けようとしたが、辰の言葉に遮られた。
「その指輪はさ、楽さん、和奏の父さんから貰ったんだ。だから楽さんが和奏を守ってくれてたんだと思う」

初めて聞く話だった。
今度は星影は驚かない。

「お父さんが辰ちゃんに・・・?」
「楽さんが亡くなる少し前に、これがお前を守るから、いつも身に着けてろって。楽さんなりに、俺はひとりじゃないって示してくれたんだ」
「そんな大事なものだったの・・・」
それなのに私にくれたんだ──。辰のことを考えると、堪えている涙がこみ上げてきそうになる。
「なあ、ヒカリって・・・」
そうだ。和奏が行き着いた“仮説”を話さなければ。

もう一度、呼吸を整える。

「辰ちゃんのね、弟が──『ヒカリ』が、私を守ってくれてたの。辰ちゃんがこの指輪をくれた時から」
「だから何言ってんだよ・・・。ヒカリは、10年前に死んだんだ」
辰の弟になるはずだった命は、この世に生まれてくることなく消えていった。
「それにヒカリって名前は俺の家族以外は知らないはずなんだ。なのになんで」
「信じられないかもしれないけど、『ヒカリ』はずっと一緒にいてくれてたの。今もここにいるの。『スターライト』のこといい曲だねって言ってた。ねえ、『スターライト』は『ヒカリ』のことを歌った曲でしょう・・・?」

Starlight──星の光──辰星の失ってしまった輝き。

「私のそばにいる『ヒカリ』はね、『星影』っていうんだよ。星の光のことを星影って言うでしょ?」

困惑と、驚きと、恋しさゆえの寂しさが、辰の瞳を通して伝わってくるようだった。
「和奏が嘘言ってるとは思わない。けど、でも」

どうしたら星影の存在を信じてもらえるんだろう。星影の言っていた、私なら辰ちゃんを守れるってどういう意味なんだろう。堪らず和奏は星影の方を見た。
呆れたように少しだけ笑いながら、星影が和奏に耳打ちする。
分かったと答えると辰の方に向き直った。
「辰ちゃん、手、出して」
いつぶりだろうか。辰と手を繋いだのは。楽の死をきっかけに再び寄り添い合うようにして過ごしてきたのに、いつの日からか2人を繋ぐのは音楽だけになっていた。

辰の存在を確かめるように和奏が辰の両手を包むと「大丈夫だから」と言う星影の声も和奏に届いた。和奏はうなずき、大丈夫と心の中で呟いた。
「辰ちゃんがこっちによく戻ってくるようになったのは、私が死んじゃいたいって思っちゃってたから心配してくれてたんだよね。辰ちゃんもずっとそう思ってきたから」
辰の瞳が少し揺らぐ。否定はしない。
「辰ちゃんは家族を亡くしてからずっと消えたいって思ってたんだよね。私のお父さんが死んじゃって、私もそう思うかもしれないって考えて、帰ってきてくれてたんだよね」

『スターライト』の中の少年は、最後はまばゆい光に包まれて終わる。和奏にはそれが、辰がこの世から旅立っていくように思えてならなかった。
辰もまた、和奏がすぐにでも消えそうに見えたのだろう。
そんな2人を引き合わせたのは、辰に残されたわずかな強さであり、和奏を守ると言った星影の力が後押ししたのかもしれない。

「気づけなくてごめんね。たくさんの優しさをありがとう」
辰の手が震えている。和奏が辰の涙を見たのは彼の家族が亡くなった時以来だった。

無理しなくていいんだよ。今までの分も泣いて。いや、泣かないで。

どの言葉を選んでも違う気がした。

か細い声で、最大限に震えを堪えながら辰が口を開いた。
「ヒカリに会いたい。会えるなら、俺の目で、ちゃんと見たい」
心許ない、生まれたばかりの星のような、そんな声だった。
「馬鹿だな、兄さんは」
2人とも声のした方に顔を向け、もう一度お互いの視線を合わせる。
「ヒカリ・・・?」
手を伸ばそうとする辰に対し、星影はさも冷静に言う。
「ダメだよ、和奏の手を離したら。また僕のこと見えなくなるよ」
和奏にもう一度目を向けると、震えの収まった手で力強く握り返した。潤んだ目は、少し微笑んでいるようにも見えた。

「父さんと母さんには会えたのか?」
星影はゆっくり頷いた。
「そっか、よかった。ごめんな。今まで気づけなくて」
「いいんだよ。僕は兄さんの弟として生まれることができなくて残念だったけど、辛そうに生きている兄さんを見る方が苦しかった。でも『前向きに生きて』なんて軽々しく言えないってことも、遺された側の人間たちを見てきて分かったんだ」

悲しみの感じ方や深さ、長さは、人によって違う。ある程度心の整理をつけられる人もいれば、長期間に渡って心に影を落とすこともある。それが大切な存在の死ならなおさら。

僕が伝えたかったのは──2人を交互に見て星影は続ける。
「傷を抱えて、悲しみの中にいて、消えたいとすら思いながら、それでも生きている兄さんを、和奏を、僕は美しいと思ったよ。この世界のどの景色、この宇宙のどの星よりも」

うん、うん──・・・。星影の言葉にただ頷くことしかできなかった。自分たちが感じた儚く温かい気持ちを、いつか言葉にすることはできるのだろうか。

ふうっと辰が息を吐くと、「ヒカリ、ありがとう」一言だけそう言った。
普段は年端も行かない見た目のくせに大人びたことを言う星影は、その時は無邪気な少年の笑顔になった。

今度は和奏に星影が語りかける。
「ありがとう、和奏。君のおかげでずっと兄さんに言いたかったことが言えた。これが僕の欲張ったことだったんだ。お礼に、君のお父さんと交わした約束と指輪の秘密を教えてあげる」
え?──そう言う間もなく、和奏と辰は柔らかな光に包まれていった。

★約束が交わされた日

静かな場所だった。
2人は白いベッドに横たわる男性を見下ろしていた。
「お父さん・・・!」
1年前に他界した和奏の父がそこにいた。すぐに駆け寄りたかったが、体が思うように動かない。2人の体は宙に浮いている。
「お父さん!」叫んでみても、楽は気がつかない。
どういうことなのか戸惑いながら思案していると、人影が楽のそばに近寄っていった。窓からスッと入っていったのは紛れもなく星影だった。
「星影?」和奏のその声も届いていないようだった。
「もしかしたら俺たち、過去の映像を見せられてるんじゃないか・・・?」
確かに和奏と辰が見下ろしている場所は病室だった。星影が楽と交わしたという約束を、星影が見せてくれているのか。そう考えると納得がいく。
楽が辰に指輪を渡したのが10年前だから、今2人が見ているのはそれくらいの時期ということになる。辰の家族が亡くなって間もなく、楽の病状が悪化し入退院を繰り返すようになった。

「君は?どこから来たの?」
楽が星影に尋ねた。
「おじさん、僕のこと見えるの?」
「見えるのってことは幽霊か、はたまた死神か?」
「幽霊だと思う。呼び止められてる気がして、ずっとこんな感じなんだ。僕と似たような奴らからは、もうすぐ僕は地縛霊とか浮遊霊になるって言われてる。もっと怖い見た目になるって」
「面白いなあ。色んなモンになれんのか。呼び止められてるってことは、君の家族の思いも強いんだろうなあ」
「僕もそれを知りたくて、探してたらここに来た」
「そうかそうか。よく来たなあ。なあ、じゃあ『精霊』にはなれんのか?」
「せいれい?」
「そう、精霊。俺に万が一のことがあったらって考えると、どうも心配でほっとけない子供たちがいてよ。お前に守ってもらえたらと思ってさ」
「守るってどうやって?僕にそんなことできないよ」
「希望を持つ者には訪れる奇跡がある。要は信じられるかどうかだ。君にはそのよすがになってもらえればいい」
楽は着けていた指輪を外し、星影に見せた。
「この指輪に宿るってのはできるか?そしたら晴れて精霊だ。もし先客がいたら譲ってもらってくれ」
精霊に先客なんてあるのかねと独り言ちてからはっはっはと笑う楽を見て、星影は尋ねる。
「僕のこと怖くないの?」
「君は俺が心配してるガキのうちの1人によーく似てんだ。小さい頃のあいつにそっくりだ。だから何にも怖くない」
じっと星影を見つめ、楽が微笑む。
「僕もちょうど行き場を探してたから、やってみることにするよ」
少し間を置いて、星影は答えた。

こうして星影は楽の形見となった指輪に宿り、いずれ和奏の元にやってくることになる。

「最初はさっき言ってた、君にそっくりなガキに指輪を渡そうと思ってる。毎日死んだように生きてんだ。大事なもの全部なくしたんだから仕方ないけどな・・・。それでもむりやり前向いて生きろって言う方が酷だと俺は思う。だからせめて、一人じゃねえんだぞってことだけは伝えたい。俺が死んだら俺の娘に指輪を渡すように頼むつもりだから、その後は娘のことを守ってやってほしい。大事な一人娘なんだ。俺が死んで後悔するなら、娘の成長を見てやれないことでね」
「分かった。けど、最初から娘さんに渡せばいいじゃん」
「俺がずっと着けてた指輪をいきなりか。それじゃあまるで、俺が死ぬって別れを告げるようなもんだろ」
今度は力なく笑う。
「詳しいことは分からないけど、人間には複雑な感情があるってことは分かったよ」
「人と過ごせば分かるようになるさ。君に名前はないの?」
「ずっと呼んでもらってたことは覚えてるんだけど、それが何だったのか、思い出せないんだ」
「そうか、じゃあ俺がつけよう。そうだな、今夜は星がきれいだから、『星影』って名前はどうだ?」
「『星影』・・・・・・うん、気に入った。ありがとう」
星影の言葉を最後に聞くと、再び光が2人を包み込んだ。

★消えない光

宙に浮いていた足が、地面を捉えた。過去の世界から戻ってきたらしい。

「なんとなく分かった気がする。俺にヒカリ・・・星影の姿が見えなかった訳が」
「どういうこと?」
「楽さんが言ってただろ。『希望を持つ者には奇跡が訪れる。信じられるかどうかだ』って。父さん、母さん、ヒカリが死んだ時、俺には希望なんてなかった。楽さんの気持ちは嬉しかったけど、お守りだって言われて貰った指輪が俺を守ってくれるなんて信じられなかった」
「それだけ悲しいところにいたんだよ。それでも辰ちゃんは色んなものを支えてくれた。私が一番救われたのは辰ちゃんがいてくれたからだよ。お父さんと星影は私だけじゃなくてきっと辰ちゃんを──」
守ってくれていたんだよと言おうとして、ハッと辺りを見渡した。星影の姿がない。胸元を確認すると指輪はしっかり和奏の首に提げられている。
慌てて辰の顔を見ると、少し寂しげに、けれど瞳に確かな光を宿して和奏に微笑みかけた。
繋いだ手にもう一度力を込め、和奏もそっと笑い返す。

その光は絶対に消えない、大丈夫。和奏は強く、そう思った。

静寂を奏でる冬の夜空に、星が輝いている。

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