いじめられないためにはどうすればいいかを考える回①

いじめは「異物の排除」の行動と僕は考えてます。

周りよりも太ってる。

周りよりも背が低い。

周りよりもブス。

周りよりも…etc

どんな些細なことでもいじめの始まりは「異物感」から来ると僕は思う。

良く言えば個性とも言える部分。

しかしながら、周りから「異物だ!」と感じられるところから、いじめに発展すると考えられる。

集団で行動しよう!という考え方はもう人間の遺伝子に組み込まれてるので、もう本能に近い。

人間は1人では生きていけない脆い生き物。

単独で狩りをする肉食動物のようには人間はなれなかった。

1人では狩りも、採集も、農業も、とにかくしんどい。

「周りと助け合って生きなきゃ、自分も生きられない…」

そんな感じで人間には大昔っからプログラムされている。

これはもう、しかたない。

宗教や信仰も大きくみれば同じようなもの。

周りが神と呼ぶものを神と呼ぼう。

神と呼んでいたほうが都合が良い。

集団で信じる力があるから、1つにまとめられることができて、人類は生き延びてきた。

「周りがいじめてるから自分も一緒にいじめてもしかたない。」

いじめが加速する原理もこんな感じだと思う。

んで本題に入っていく。

いじめ=異物の排除 と、書いたけど、これはあくまでも

相対的に見て

というとこがポイント。まずはこれを知るべきだと思う。

ある一定の集団の中で、異物と見なされる。

ここを「ある一定の集団の中で」、と客観的に考えるのが大事。

知らん遠くの人が宝くじ当てたっていうよりも、身近な人が宝くじ当てたってほうがやっぱ妬むじゃないですか。それは狭いコミュニティで相対的に考えてしまうから。

話を戻して、、、

100人に1人、異物と思われてしまう人がいたとして、

その1人はむちゃくちゃヘコむかもしれん。

「自分はここにいちゃいけない人間なんだ…」

「自分は周りとは違うんだ…」

と思考停止する。

間違った判断をして、自殺する人もいる。

これほんま最悪。

でも、例えば100人に1人の異物(個性)だとしたら、

1000人の集団なら10人、

10000人の集団なら100人いることになる。

つまりは狭いコミュニティでの相対的な評価で自分は悪だと決めてしまうのは間違った考え方だと思う。

広い世界を見れば、必ずどこかに似たような人はいるってことを知る必要がある。だって世界には75億人いるんだぞ…。

これが最初のステップ。

この考え方でいくと、例えば学校はむちゃくちゃ狭いコミュニティになる。

たかだか数百人のコミュニティ。

そんな狭いコミュニティの中で、自分はいじめられる(異物の)人間なんだ…と思うのが勘違い。

「学校でいじめられる」=「世界中からいじめられる」ではないことを知るべき。

世の中にはものすごい数の人がいるし、大人になるとさらにたくさんのコミュニティがあることに気づける。

自分に適したコミュニティに属せられれば、標的からは外される。

そこでは「異物」でなくなるから。

ぶっちゃけ「どのコミュニティに属してもいじめられる」となると、もしかしたらそれはほんまに自分が悪いんかもしれん。それはすまん。笑

でも、とりあえず第一ステップは

「物事は相対的に判断されてる」ってことを知ることからだと僕は考えます。

①はおしまい。

では。

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