模型は祈祷道具と成り得るか
下記の文章は、建築記述研究会『述ら本 特集:シャーマン』に寄稿した、卒業設計での活動についてまとめたエッセイとなります。
記憶の再生ボタン
去る2018年1月22日、東京で記録的な大雪が降った。
札幌で生まれ育った私は、しんしんと降る大雪に対する情感も特になく、いつも通り、勤務している都内の設計事務所から自宅へ、深夜の帰路を急ごうとしていた。道の途中には滑りやすそうな交差点の横断歩道や、雪の降り積もった路地裏の小道。久々ではあったものの、高校卒業まで雪国で育った私は特に気に掛けることもなく、歩みを進めようとした。
ところが、足裏から雪道独特のツルツルやザクザクした感触が伝わってきた時、自分でも驚くことが起こった。記憶の片隅に追いやられていた地元でのささやかな思い出たちが、自らの意思とは無関係に走馬灯のように蘇ったのだ。「迷子にならないように親に手を繋がれて行った初めてのさっぽろ雪まつりの日」や、「受験生の不安な気持ちを象徴するような大雪が降ったセンター試験の日」など、今やすっかり忘れてしまっていた思い出たち。
そうして忘れ去ってしまった記憶の多くは、脳裏から消滅したわけではなく、単に思い出すきっかけを与えられていなかっただけなのだろう。過去の体験に織り込まれた知覚と近似した刺激が与えられた時、その刺激は記憶の再生ボタンをクリックするインターフェースとして機能する。
背景としての空間
記憶の中の光景はどの様なものだろう。
本人の自覚の有無によらず、思い出として記憶される光景には、その主題に加え、周囲の状況を示す背景も同時に存在している。
イギリスの評論家ジョン・ラスキンが『The Seven Lamps of Architecture(邦題:建築の七灯)』*1において
"We may live without her [architecture], and worship without her, but we cannot remember without her.(邦訳:吾々は建築なくして生活することも出来よう、建築なくして禮拝することもできよう。けれども吾々は建築なくしては記憶することは出来ない。)”
と述べているように、多くの場合、思い出が形成される背景には「建築」が存在している。
また、人は生涯において、生活の2/3もの割合を家の中で過ごしているという。*2
日々の何気ない生活の記憶は、その背景としての住宅と共にあるのではないだろうか。
記憶の器
2011年、東日本大震災があった当時、東北大学に在籍していた私は、仮設住宅でのボランティア活動を行っていた。その活動の中で、津波に家を流されてしまった多くの方々と出会い、その家々が今はもう人々の記憶の中だけに存在している現実を目の当たりにした。「早朝、カキの養殖筏がある港に向かう際に、父がいつも使っていた台所脇の勝手口」や、「冬には夫婦揃って干し野菜を並べていた、陽当たりの良い縁側」など、会話の中で耳にする様々な思い出たち。そうした住宅に内包された生活の記憶が時間とともに風化してしまいそうな状況に、胸が締め付けられるような気持ちになった。
卒業制作として取り組んだ『記憶の器』では、その中でも家に対して取り分け強い思い入れのあった山屋さんという方の民家を対象とし、震災以前の記憶を基に1/20の模型で復元していき、最終的にできた模型を山屋さんに寄贈するという試みを行った。
制作に取り組んだ当初、津波により突如断絶された「家」に関する山屋さんの記憶はおぼろげで、「普段あまり使われていなかったために、間取りが一緒くたになった洋間と茶の間」や、「廊下が忘れ去られてしまったために、和室と直接繋がった便所」など、対話を通して模型化した民家は、そこかしこに齟齬のあるプリミティブなものであった。
しかし、その模型を山屋さん自身に覗き込んでもらうと、前回はすっかり忘れてしまっていた記憶が、不思議なほど新たに蘇ってくる。そのお話をもとに私はスケッチで記録をとり、また一から模型をつくる。そのサイクルを何度も繰り返すことで、記憶の解像度は徐々に上がっていった。
模型の新たな価値
模型とは、模した型であり、建築そのものではもちろんない。けれども、上記のプロセスにおいて、模型は心象の中にある室内空間と近似した空間を示すことができ、確かに記憶を喚起させるインターフェースとして機能していた。
とはいえ、模型という、実物とスケールが異なることが前提であるツールを用いて、空間を認知してもらう作業は一筋縄ではいかなかった。
1/30の縮尺は、住宅というスケールにおいて「空間」と呼ぶにはミニチュア過ぎて意識が入り込めず、1/10の縮尺は、什器・家具のモノとしての荒さに目がいき、「空間」に集中できない。試行錯誤の結果、1/20が記憶へのアクセスが最もスムーズにできるスケールだとわかった。
建築における模型は、目的別に大きく2つのものがある。設計者が設計過程で検討を行うためのスタディとしての模型と、顧客などに設計内容を理解してもらうために説明を行うプレゼンテーションとしての模型だ。
『記憶の器』において、模型は「記憶にアクセスできるインターフェース」としての役割を果たしていた。それは従来の建築模型とは目的を異にしており、模型という道具の新たな意義を提示し得ていたのではないかと思う。
指標化されない建築の価値
解像度が上がるとはいえ、模型により喚起した記憶はあくまで自伝的な記憶であり、真実とは異なる部分も多少あっただろうと思う。
しかし、多くの大切なものと突如断絶された震災という特殊な状況においては、震災前からの記憶と違和感なくシームレスに繋がれることこそが有意なのであって、他者からの真実性は大して重要な要素ではないのではないかとすら感じた。
思い出すという行為は、時間的には過去のことだが、その過去と向き合い、話して表現することは未来へ歩みを進める一助となる。
祈祷道具を用いたシャーマンが、憑依により今は亡き人物の言葉を借りて語りかけるように、模型という道具は、人々の頭の中に、もうそこにいない人々や生活をイメージさせることができるのだ。
現代の建築では、シミュレーション技術の飛躍的な向上等により、室内の快適性や環境への負荷など、これまで何となく良いとされていた様々な性能を指標化できるようになってきている。客観的に優れていることは誰からも批判をされにくく、価値として共有されやすい。
一方で、数値による指標化にはなじまない価値も建築には同時的に存在している。人々の大切な記憶の「背景」としての建築の機能も、その一つではないかと私は思う。
*1John Ruskin(1849)『The Seven Lamps of Architecture』,Smith, Elder & Co.
ラスキン著, 高橋松川訳(1930)『建築の七灯』,岩波書店
*2NHK放送文化研究所 世論調査部(2016)『2015年 国民生活時間調査 報告書 - 5.家にいる時間、いない時間』
https://www.nhk.or.jp/bunken/research/yoron/pdf/20160217_1.pdf
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