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【書評】読み返したくなる3冊の本

■ はじめに

昨年、転職してから仕事に関係しない本をあまり読まなく(読めなく)なったけれど、仕事やキャリアに関係しなさそうな、いわば「遊び」の本が逆に印象に残ることが多くなりました。

近ごろ外出自粛で家にいる時間が圧倒的に増え、図書館も閉まってしまったので、家にある本を読み返したのですが、その中で特に読み返したくなる味わいのある本たちを紹介します。

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① 堀江敏幸「雪沼とその周辺」新潮社、2003

架空の町「雪沼」に住む人々の日常のほんの一瞬を描いた短編集で、7作品(「スタンス・ドット」「イラクサの庭」「河岸段丘」「送り火」「レンガを積む」「ピラニア」「緩斜面」)からなる。

ちなみにこのうち「送り火」はセンター試験の問題文に採用され、そのとき作者の堀江氏が試験監督を務めていたという逸話がある。

「雪沼」は村よりも一回り大きい程度の町だ。

尾名川の両岸の段丘に田畑が広がり、権現山なる山がそびえる。

山間には市営バスが日に2本しか走らず、ショッピングセンターや繁華街には、車で隣町に行かなくてはいけない。

11月になるとかなり冷え込み、冬は大量の降雪に見舞われる。

雪質に恵まれた町営のスキー場には外国人スキーヤーも訪れていたが、なべて穏やかで静か、そしておそらくは、徐々に衰退している地方の町である。

町全体の緩やかな衰退のトーンに引きずられてか、所収作品の雰囲気も決して明るいものではない。

・ボウリング場の最後の日(「スタンス・ドット」)
・レストランのオーナーが最期に残した言葉(「イラクサの庭」)
・ひとり息子を亡くした老夫婦(「送り火」)

など、どちらかといえば人生の下り坂に差し掛かった人たちに訪れる一瞬の転機やイベントを描く。

作者が彼らに向けるまなざしは時に優しく、時にハッとするほど冷たい。

押しなべて篤実で素朴な雪沼の人々の感情の機微を暖かく語りながら、死別、加齢、病気などどうしようもない出来事をいともあっさりと描く。そんな温度感が絶妙で、気づくとふとページをめくっている。

「ひときわ強烈な風が張り手のように下から吹きあげて、サッシの硝子窓をさえがたごと揺らし、目の前でくねくね踊っていたあの青いシートをめりめりと半分ほど剥ぎ取ったのである。あっと声を上げるまもなく青いひらひらしたエイは固いトタン板のように波打って残りの部分を引きちぎり、ながい尾を引きながら巨大な和凧と化して見えない緩斜面を滑ると、薄く焼けはじめた天空にむかってぐんぐん舞いあがっていった」
―『緩斜面』

また、所収作品は世界観を共有しており、ある作品の登場人物が別の作品でそれとなく言及される。

例えば「スタンス・ドット」に登場するボウリング場のオーナー小熊さんの妻や、「送り火」の絹代さんは「イラクサの庭」に登場する小留知先生の料理教室に通っていた。

小留知先生が亡くなった後、土地と建物が街に寄付され、集会所になったことが「緩斜面」に登場する会社員の香月さんのモノローグで語られる。

また「スタンス・ドット」のボウリング場もその後閉鎖され、「河岸段丘」に登場する機械工の青島さんがピンセッターを解体する運びとなった。

そんな作品同士のつながりを読み解く楽しみもあり、この本に手が伸びる原因になっている。

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② 山下賢二「ガケ書房の頃」夏葉社、2016

京都市左京区にかつて存在した名本屋「ガケ書房」の経営者が記した赤裸々な自伝。

ちなみにこの本と出会ったのも京都だった。市内の名刹・仏光寺の敷地内にあるセレクトショップを訪れた時、本当にたまたま目に留まった。

そんな縁がある本なので思い入れも強いのだが、この本を薦める理由はそれだけではない。とにかく、面白いのだ。

古都・京都は伝統と格式を重んじるまちでありながら、自らトレンドを生み出す進取の気性に溢れた土地柄でもある。

この本の著者、山下賢二氏もまた、京都のサブカル文化の媒体として活躍している一人だ。

山下氏は小学校を卒業するまで、学校で本当に一言たりとも話さなかったという、この上なく骨太なエピソードの持ち主。そんな人物の自伝が面白くないわけがない。

無言を貫いた幼少期にはじまり、高校卒業と同時に家出して、横浜でガードマンなどの仕事を転々とした時代を経て、美大の通信課程で学びながら編集や印刷の仕事を経験する。そして京都に戻ってガケ書房をオープンしてからの苦闘と模索の日々。

多くの場合、人は高校なり大学なり教育機関を出てから何らかの仕事に就く。そして大体の場合は、教育機関に戻ることはない(ビジネススクールに社費で行くことなどはあるだろうが)。完全にリニアにキャリアが形成されていく。

反対に山下氏の場合、仕事と教育とを行ったり来たりしている。高校卒業後に家出をごまかしてガードマンやら荷物の仕分けのアルバイトとして働いた後、武蔵野美術大学の通信課程に籍を置き、編集や印刷工の仕事を経て、書店の仕事を本格化させる。

最近はリカレント教育とか、学びなおしなんてことも注目されているが、山下氏はずっと前からそういう現代的なキャリア形成をしてきたことに驚かされる。

さて、軽妙な語り口のおかげでマイルドになっているが、個人で商売をやっていくのは、とても大変だ。仕入も売り方も企画も、自分で考えて実施する。万引きとも戦わなければならない。

「店を続けるということは、ゴールのないマラソンみたいなもので、
ランナーズハイのようにとにかく走ることが気持ちいいときも来るし、走るのが辛くて辛くてたまらないときも来る」
(『始めることより続けること』)

サラリーマンの自分には想像もつかないほど苦しいこともあるのだろうが、
夢中になれることに没頭して生きている人ならではの、健全な熱量を感じることができる。

ガケ書房を閉店後、山下氏は仲間と「ホホホ座」という「やけに本が多いお土産屋」(『ホホホ座の業種』)を立ち上げた。いろいろなところからいろいろな人と文化があつまり、発信される場所を提供し続けている。

ホホホ座 三条大橋店

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もはや本屋を名乗らなくなった「ホホホ座」は販売や編集だけでなく飲食、宿泊にも展開し、京都のみならず広島、愛媛、石川などに広がっている。各店舗の経営は独立しているので、ホホホ座のコンセプトと看板に共感する人たちがたくさん出てきている。

山下氏のこれからの活動にも思いを馳せながら、この本を読み返したくなる。

「僕は本屋は勝者のための空間ではなく、敗者のための空間なんじゃないかと思っている。誰でも敗者になったときは、町の本屋へ駆け込んだらいい」
―『国民投票』

③ 河井寛次郎「火の誓い」講談社文芸文庫、1996

本当に優れたものを人に紹介したいとき、その中身をバカみたいに羅列するしかできない時がある。この本もそうした優れたものの一つだ。

本書は河井寛次郎氏の没後に出版されたエッセイ集。

河井氏は大正~昭和期の代表的な陶工で、柳宗悦や濱田庄司とともに民芸運動の主唱者でもある。

芸術品と大量生産品の間に民芸を位置づけ、その美しさを生涯追求した河井氏が世界を写し取る言葉は、穏やかで控えめながらも、風景や文物の素朴な美しさを余すところなく描き出す。

彼の目にかかると、けして目を惹くもののない田舎の田んぼのあぜ道や、土を捏ねて焼き物を作る、職人とさえ呼べない人たちの営みが、驚きと奥行きに満ちた風景として立ち上がってくるから不思議だ。

「間近の水田に鷺の飛びかうと見れば、人の歩む姿であった。静かに畦道を行く白い人の姿。人がいる、人がいるとじっと見つめると屢々(しばしば、筆者補)鷺が立っているのであった」
―「窯場紀行」より、『朝鮮の旅』

特に河井のふるさと、島根県松江の四季を描いた一連の短いエッセイ「町の景物」は素朴なリズムに溢れて、なんともいえず心地よい。思わず声に出したくなる。

五月も中頃になると畑も田も一面の麦だ。穂の出揃った麦が―今寸土も余さず見える限り麦、麦、麦。幾千万の禾(のぎ)を揃えて、刻一刻と生長をいそいでいるその麦の中に、子供達は麦笛を吹いたり、女の子のようにそら豆の葉をふくらしてぱちぱちつぶす音を楽しんだりして、真上にぴいちくぴいちくさえずっている雲雀を見張っていた。
―「町の景物」より、『雲雀と子供』

河井が生涯追い求めた日用品の「用の美」のように、華美ではないがざらざらとしてぬくもりのある文章。美とは喜びだと語る彼の文章を読めることこそが、喜びだと感じる。

「美の正体 ありとあらゆる物と事の中から 見つけ出した喜」
―「いのちの窓」より、『前篇 火の願い』

河井寛次郎の旧居は現在記念館として公開されている。
彼が用いた登り窯も健在

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ここまでお読みくださりありがとうございました!


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