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2022参議院選挙を振り返ってみる

※ヘッダーは『バンクシーって誰?展』で展示された象の再現コーナーの画像。
日本語の『見て見ぬふり』にあたる英語での『会議室の象』という慣用句を示したもの。

0:はじめに

2022年改選参議院選挙は、各党の勢力分布は『ほぼ現状維持』という形で幕を閉じた。
はたしてこの選挙が本当に日本の憲政史上最後の選挙になるのか否か、という感想をお持ちの方が少なからずいらっしゃるようだが、ここではそれを脇に置いて個人的に見た範囲で振り返ってみることにする。

1:選挙結果や選挙活動について


参考リンク:主要政党の得票数について

少なくとも3回の国政選挙を追いかけると各党のベースとなる得票数がみえてくるが、
・公明、立民、共産の減少
・N国の爆上げともいえる伸長
・参政の初回の得票数
が特異と見ることができる。

公明・共産については政党の歴史が長い(特に共産は2022年で設立100年)が、その中でも得票数が減少傾向にあることが懸念材料である。
両党については、支持組織や支持者の高齢化の問題が指摘されている。

共産も支持者・支持組織の高齢化が懸念材料だった。
2022年参議院選挙の際、東海地方のユーザーの中で実際に選挙活動をしていた方がこの点を懸念していらっしゃった。
自分が天神地区で共産の街頭演説を覗いた時も、支持者の高齢化が顕著だと思っていた。


2:個人的ポイント

今回、個人的には『れいわ新選組』に注目していた。
・前々回'19年参院選での鮮烈な『デビュー』
・(日本の選挙制度のトリックといえばそれまでだが)世界の議会制史上例のない快挙
・舩後靖彦さんと木村英子さんの当選後の議員としての活動
・原一男さんの『れいわ一揆』でも出てきた、『当事者』たちがブチかましまくった特異な選挙活動(例:安冨歩さん、渡辺てる子さん)
というのが印象に残っていたからである。
『れいわ』は『特定枠』で天畠さんを当選させ議席を獲得した。
もっとも、『れいわ』の奇策頼みの選挙戦術については識者の方々より問題点が指摘されており、個人的にも『次』以降はできなくなるだろうとみている。

参考:(2019参院選について)

福岡県選挙区は、今回は定員3名に対して16名が立候補した『激戦区』となった。
が、過去の選挙結果を見ていくと、自民・公明・立民(←旧民進←旧民主←旧社会)の『指定席』になるのは確実だった。実際、当日の選挙特番ではNHKが20時にいわゆる『ゼロ打ち』で3人の当選確実を伝えたほどだった。
そんなバトルロワイヤル的選挙区に敢えて立った方々のエネルギーには感嘆させられたし、敬意を持っておきたい。

たとえ選挙区で当選できずとも、比例区制度を取り入れている参議院選挙の特徴として政党名・比例区(かつての全国区)への投票につながる、政党そのもののアピールという効果がある。

例えば供託金制度(候補者への公費支援があるが)ひとつとっても、新規参入の高いハードルとなっているが、選挙には地盤看板鞄がつきものというセオリーは今なお変わらぬものである。
選挙区全域での知名度、運動資金、コアとなる支持者を、いかにして新規参入者が押さえていくか。

3:ゲームの観客と化した一般の人々

個人的には、あのお祭り騒ぎのような選挙活動や選挙期間中の大事件を経て、さらには年を越してモヤモヤ感がいよいよ強くなってきた。
それは、日本の政治そのものが半ば国取りゲーム・ひな壇の陣取り合戦になってしまい、多くの人々の生活から縁遠くなっている、という感覚があるからだろう。

Twitterやnoteなどで、一生懸命に支持政党の主張や自分の主義主張を訴え、時には対抗する集団をこれでもかと言わんばかりに叩く、それは政治なのか。それはゲームというか、形を変えた戦争に過ぎないんじゃないか。

・人口減少、超高齢社会
・例えば社会保障制度など、日本のシステムそのものの持続可能性の問題
・地方の衰退
などの問題を議論して国の舵取りを決めていくための『場』のひとつが国会や都道府県・市区町村議会などの立法府のはずだが、ニュースで話題になりやすいのは
・汚職、地位に基づく不正
・スキャンダル
・野党からの与党への諸々の問題の追及
ではなかろうか。
そして、選挙直前・直後にガス抜きのように伝えられる『本当の問題』。

Twitterでは、互いを尊重し話し合いをしよう・理解を深めようというのではなく叩くことが優先されている。
そして、当事者は政争の具になり、一通り盛り上がったあとは置き去り。

これで政治が身近に感じられるだろうか。
・一般の人々の観客状態
・オピニオンリーダーの闘争の道具になったTwitter
・政治家の日常の知られなさ
・置き去り状態の当事者
という構図はいつまでも続くのだろうか。それでいいのか。

4:モヤモヤ感の一端


上にあげたモヤモヤ感につながる記事があったので、三春充希さんのnote記事3本と社民党機関紙『社会新報』の2023年1月18日付電子版記事より一部を抜粋しておきたい。

①公明党についての分析より

『浮動票の獲得をどうするのかとか、どうすれば風が吹くのかといったふうに安直に考えている限り、無党派層との疎通は実現しないでしょう。』
『無党派層は政党政治から切り離された(あるいは距離を置いた)具体的な集団です。やや乱暴に言うならば、それは自民党の政治を支持しない一方、別の展望も開けないと考えている人たちです。まずはその人たちと向き合わなければなりません。』
『自民党がやってきた政治は、いわばバブル以前の昭和の貯蓄を切り崩すことによる日本の延命です。…それが世界史的な政治の失敗の結果であり、今もなおそれが刻々と続いているということを、あらゆる政治家は自覚しなければなりません。』
『日本がなぜこのように衰退したのか、どのような事業と予算の分配がだめだったのかということが、きちんとした問題意識の上で解明されなければなりません。そしてそれをどう転換するのかという現実的な議論が必要です。』

②自民党についての分析より

『日本はもう保守というものが成り立たない国になったのです。保守の心は、国が人々の生活を大事にし、暮らしが少しずつ向上し、人々の側にもその共同体の発展に参画しているという自覚があってはじめて成立するものです。』
『国民を大事にしない国を果たして誰が大事にするでしょうか。ですから今は「保守」と名乗っても道化師にしかなりません。あなたが保守するものは一体どこへ行ったのだということになるからです。』
『古き良き日本を取り戻そうと言う人たちはいるものの、社会は過去にしがみついて守れるものではありません。…その変化しつつある社会を少しでも真っ当にするために、打つべき手を打ち続ける必要があります。』
『日本は足下から崩れつつあります。インフラが補修できず、人口が維持できず、教育や子育ての水準が保てないということは、もはや社会を維持することができなくなったということです。』

③共産党についての分析より

『リベラル左派浮動層を、野党が置き去りにしたのではないかと言うことです。立憲も、また共産も、選挙運動の軸を間違えたのではないでしょうか。』
『そして、リベラル左派浮動層は、意欲的に投票するようなものを見出せなかったのではないでしょうか。だとしたら、それは回復しうるのです。浮動層は浮動層であるがゆえに、また表に登場することがあるはずです。』

三春さんの記事は、ボリュームがあるが物好きな方は空き時間にご一読いただけるとありがたい、読み応えのある内容である。

④社会新報・2023年1月18日付記事より


『50代を目の前にしたロスジェネ世代にとっては完全に手遅れだが、次世代のためにも、この世代が経験した政治の失敗を分析し、政策に反映させていくことを強く望む。』
今回、このくだりが強い批判を受けた。

いままで労働者の立場に近かった(もっとも、正規雇用で比較的安定した職場の労働者が支持者に多かった政党だが)社民党の機関紙から『完全に手遅れ』『次世代のためにも』という言葉が飛び出したのは意外に思った方が多かっただろう。
・私達は捨て石だったのか?
・まさか革新系野党からそんなことを言われるなんて?
・これからあと40年は生きていかなきゃならないのに見捨てられるのか?
という趣旨の批判が強かった。
今苦しんでいる人達を見捨てた、そう受け止められたのは、大失敗であり、社民党の衰退は加速するだろう。

5見て見ぬふりだった『会議室の象』

自分を含めた『就職氷河期世代』は、バブル崩壊後安定した/かつてより恵まれた労働市場に出ることが出来なかった人が多く、その後の
・小泉構造改革
・労働政策転換
・リーマンショック
・東日本大震災
・新型コロナウイルスパンデミック
などにより、思うように収入も得られず、安定した職を得ることが困難になり、恋愛・結婚・家庭形成もままならなず2020年代を迎え始めている。
そして、21世紀後半の日本の重荷になり、石を投げられ追われる立場になるのだろう。

1990年代後半〜2000年代の就職氷河期、国政政党もマスメディアも改革すれば良くなるとばかりに右も左も『改革競争』を訴え(共産は例外だったが)、当事者がかえりみられる機会は少なかった。
毎日新聞の雑誌『エコノミスト』がいわゆる非正規労働者の問題に突っ込んでいたし、リーマンショック時にも問題視されていたが、その後は大きな話題にはなっていなかったようである。
見て見ぬふりを決め込まれてきた、会議室の象のようなボリュームの世代が、就職氷河期世代ではなかろうか。

現役世代の苦境は結局のところ
・自助努力
・自業自得
・自己責任
で、ということなのか。
それを選んだのが日本の有権者であり、江戸時代から長く続く日本の社会の概念なのだと思えばすんなり呑み込めるのかもしれない。

就職氷河期世代を代表する勢力はどこか、と尋ねられたら、あくまでも勘でしかないが個人的には
・自民党
・日本維新の会
・国民民主党
・NHK党
ではないかと言いたい。

上の4本の記事と以下の参考ツイート(自分の過去のツイートで恐縮だが)と読み比べてみると、日本の現実社会のありようが空恐ろしいものだということがご理解いただけるかもしれない。






例えば就職氷河期世代の問題とこれに関連する人口問題や、核エネルギーの問題、第二次世界大戦の戦後処理問題、そして、今後大きな問題になるだろう新型コロナウイルス感染者の後遺症・ワクチンの副作用の問題を、おそらくこれまで通り『見て見ぬふり』『臭い物に蓋をする』『水に流す』という行動で乗り切ることを日本人は選ぶのだろうか。
与党だけでなく野党も、そして、日本のあちこちの集団にある『村社会』の住人である私達自身もそれを良しとするのだろうか。

カマキリの斧にすぎないか、それは現代社会として正しいことではない、と言っておきたい。

ツイッターで集まった仲間たちの内輪ノリや、今までの活動の延長で惰性で動き、企業や官公庁の村社会に入れなかった/事実上の身分制度によって排除されてきた人達の声を拾うことをきちんとやってこなかったのではないか、と声なき声から今問い詰められているのではないか。

参考書籍『生きづらい明治社会』

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