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自分は自分を諦めてた

宮崎在住の25歳。
小さい頃から真面目で、野球部キャプテンをしたり、生徒会長をしたり、真面目に生きてきて、先生や周りの大人、友人にもしっかりしてると思われていたし、なんとなく「できるやつ」として見られていたのかなと。

現在勤めている会社、2社目。

前職は広告代理店に入社。
「社会人として、1年目から大いに活躍してBIGになってやる!!」
意気込んだ1社目だった。

結果は9ヶ月で退職。

自分としてはかなりの絶望だった。
自分自身を過信しすぎていたし、自分自身の弱さを痛感した9ヶ月。
能力がないのは1年目だから仕方ないと言われたりもしたが、能力の足りなさ、お客様の生の声が聞けないもどかしさ、自分の精神的な弱さで、乗り越えられなかった。

9ヶ月の間で社内アワードで表彰されたりもしたが、アワードをもらっている外側の自分と能力が追いついてない内側の自分にも嫌気がさし、どんどんネガティブになり1年も立たずに逃げて、退職した。

たくさんお世話になった先輩方や同期に退職の際、お礼も言えず、休職→退職でフェードアウトした形だ。やめ方も含めて自分に絶望をしていた。

妻に当時のことを聞くと
「本当に危なかったよ?」といっていた。
心配かけて本当にごめんなさい。

絶望して本当に心を閉ざしていたのだが、時間が経つにつれて
「人生このままじゃいけない」焦りに駆られ始めた。

少しでも前に進まなきゃと思い、大学時代にお世話になっていた先生や人生の先輩方とお話をしたいと連絡を入れさせてもらった。

その中の一人が、今の会社のCOOである。大学時代にインターンをしていてかれこれ今となっては6年ぐらいの付き合いになる。

後々聞いたところその時、人を採用するような時期ではなかったみたいだが、僕を拾ってくれた。ここで拾ってもらっていなかったら、どういう人生になっていたのだろう。

そんな経緯で株式会社ライトライトに2022年2月に入社。
事業承継マッチングプラットフォーム「relay」を運営するメンバーの会社に仲間入りさせてもらった。

超スタートアップ。そして「事業承継」という、今まで関心を持ったことも、聞き馴染みもない分野だった。僕なんかが役に立てるのかという不安とスタートアップという1人の役割の比重の重さがある環境へのワクワクが入り混じっていた。

が、仕事を始めたら、前職の退職なんて忘れて、無我夢中だった。
人数も限られた中だったので、いろいろな仕事を経験させてもらって、最初は本当に楽しかったし、また思っていた。

「大いに活躍してBIGになってやる!!」

みなさんもお分かりだろうか。

そう、私は見事にパンクした

学ばないやつだ。
自分のキャパ無視で「なんでもやります!」と言い続けた結果、
ミス連発で、めちゃくちゃに迷惑をかけた。

忘れもしない、2022年11月。
24歳成人男性が、COOに号泣しながら謝罪。
「すみません、今の僕にはできません」

そして仕事を減らして、仕事の基本から進めることを始めた。
前職と同じような状況に落ち入り、自分は自分に諦めを覚えた。

自分は基本的に心配性で気にしいでネガティブな感情を抱くことが多い。
だが、少しプライドは高いと自覚してる。

そんな面倒くさい自分は、2023年始まる頃、
「自分にはそもそも能力がないから仕事ができる奴にはなれない、諦めろ」
と自分に言い聞かせて、自分の悔しさを押し殺していた。

そんな期間が半年弱続いた。
その間に会社はぐんぐん成長し、多くのメンバーも増えた。
会社の成長に全く貢献できてないと自分に情けなさしか感じていなかった。

そんなある日、突然きた通知

自分に諦め、仕事を「お金のため」と割り切っていた自分に

「明日、北海道行ける?」

COOに言われた。
COOはミス連発で号泣していた自分を見捨てずにいてくれていた。
自分には諦めつつも、やはり「役に立っている」という実感が自分を落ち着かせてくれることを自覚していた僕は

「行きます!」

即答した。
その足で急いで自宅に戻り準備をして、東京へ移動。
翌朝、北海道に飛び立った。

北海道で任された業務は、事業承継に関する連携を組むことになった町の町長との協定式。新卒社員みたいな若造(自分)が、町長と並んで、記者などに書き込まれながら、協定書にサインをした。

町長室へのご挨拶、協定に関しての一言挨拶、その後関係各所に向けたプレゼン…。前日に北海道行きを命じられ、正直準備万端と言える状況ではなかった。

でも、できた。

自分の能力の無さを受け入れ、「ないものはない、貢献できる範囲でやることしかできない」と吹っ切れたのがよかったのか、その時ほんの少しだが手応えを感じた。ような気がする今思えば。笑

何かその時に、こういう自治体の方や支援機関の人たちにrelayを知ってもらって、うまく活用してもらうために話に行く、仲間になってもらうみたいな感覚にワクワクするのかもと微かに感じた。

元々目立ちたがり屋なところもあるから、協定式に出るとかも嫌いじゃなかったりもしたんだろうな笑

さすがCOO。
そんな僕の感情なんかお見通し。
そこからは僕を出張に行かせてくれて、多くの自治体等の支援機関の皆様との出会いの場を与えてくれた。

北海道への出張を機に少し仕事の中で、好きな自分に出会える機会が生まれた。

出張=会社の顔として全国の方々に会いに行くことになる。
自分の印象が会社の印象になる。
なめられたくないし、年下っぽいと思われたくもないから髪型も変えた。
relayの仲間になって欲しくて、各地で自治体等の担当者さんとお食事を一緒にしてたくさん喋るようしようと決めた。

1つのきっかけで大きく変わるもんだなと。

今も、自分は仕事ができなくて迷惑かけているし、
チームに申し訳ないと思うし、僕がこのチームにいていいものかとも思う日もある。性格が変わったわけじゃない。ネガティブになることだってある。

2022年11月に迎えた大号泣の時より多分業務量も増えている。
1年前の自分ならとっくにお手上げ状態。逃げてるかもわからない。

でも今はやりたいし、やれるかもしれないとも思う。
それは、1つの出張から自分が役に立てる場所があるかもしれないと思えたから。そしてそう思わせてくれるメンバーがいるから。

このスタートがあったおかげで、役割を担っている自覚が生まれた。
「なめられたくない」「relayの仲間を全国に増やしたい」そういう思いが生まれた。

そこが生まれて、気持ちの浮き沈みも減り、サービスに関わる「売り手さん」「買い手さん」「自治体等の支援機関の皆さん」「チームメンバー」の役に立てていると実感できるように頑張って、その結果お金を稼げたら気持ちがいいなと思えているような気がする。

本当に拙い文章だけど

社会人3年間、僕は2回泣いた(前職辞める時も号泣してる

情けない成人男性だと思う。恥ずかしい。。。

そして自分を1度諦め「自分は本当にできないやつ」と認め、受け止めた。

今も「自分はできないやつ」であることは間違いないけど、できないやつから逃げなかったら、いい機会をもらって、今前向きに生きている。

最後に

僕は株式会社ライトライトに入って約500名の方と名刺交換をしました。
この出会いが、僕を成長させ、強くさせてくれています。出会ってくださった皆様、会社のメンバー、全ての関係者に心から感謝しています。

まだまだ未熟者ではありますが、2023年ほんのちょっと前に進むことができた1年でした。

2024年、株式会社ライトライトは更なる飛躍をしますし、それに伴って松田も飛躍していきたい、そう思っています。

「大いに活躍してBIGになってやる!!」
そういう思いを内に秘めながら(笑)、できない自分と向き合い続け、少しずつ前に進んでいきたいと思います。

関係者の皆様、今後ともご指導・ご鞭撻のほど何卒よろしくお願いいたします。

良いお年をお迎えください。



来年は嬉し涙を流せるといいな。


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