「イネーズ」とは?
ここまで読んでいただきありがとうございました。
楽しめたでしょうか?そうであれば私も嬉しいです。
(※読んでないよーって人は私のマガジン「イネーズ」を最初から読んでいただければもっとj)
この作品は「伝説」の「原点」に過ぎないのかもしれませんが
原点こそが頂点でありそこから天に登れるわけです。
「頂点」だからこそ、そこが終着駅ではなく天に昇るわけですね。
さて、この「イネーズ」というタイトルなのですが、私の感覚だとおよそ半分の人は何を例えているのかわかるんじゃないかなと思います。
とりあえずこの3枚の写真を見てみてください。
これが「イネーズ」の正体です。
結果としては誰が見ても「どちらも稲」でございます。
日本人ならば馴染みの深いというか当たり前の「米」を実らせる植物ですね。
ですが見てわかるとおり、かなり違う存在になっています。
それは、この本の中に書かれていた「わたしちゃん」と「おれくん」の違いです。
どっちが「わたしちゃん」か「おれくん」かは一目瞭然ですね。
どちらも結果としては自立した「米」になる。
どちらもきちんと食べることができる。
どっちも悪いわけじゃありません。
かなり重要なことなのではっきり言いますが、
私自身、「無農薬がいい」とか「自然農法がいい」とかそんなことは微塵も思っておりませんし、ここでは伝える気もありません。
むしろ「両方必要なもの」と捉えています。
ちなみにこの「おれくん」たちの「育て方」は一般的に周知されている「有機栽培」とか「自然農法」とかでは無いやり方で育てられています。
名前は特に無いのですがあえて付けるなら「我がまま共育」ですかね。
じゃあ私は何を伝えたかったのか。
これも特にありません。
ただ、社会というものに嫌気が差し込み、仕事を辞めて暇になって「稲」を「ひと」っぽくしたらどうなるのかなぁという興味本位がはじまりです。
とっかかりがそんなあやふやだったため、「これ書き始めたのはいいけれど、終わりまで書けるんか?」という気持ちでした。
ですが、物語を書いている内に「なにかメッセージを受け取ってしまい」それを伝えるというか残すことは決してわるいことじゃないと私が思ったからです。
「おれくん」の育ち方。
「わたしちゃん」の育ち方。
それに関わる「ひと」
これらが織り成す物語は、あながち自分たちと無関係ではなく、地続きで、おもしろい。
そういう気持ちで書きました。
私は「工学部」の出身でもちろんそれが理由というわけではないのですが、
「物語を書くの」は「ド素人」です。
なので、この物語がどこか付け焼き刃でどこか説得力に欠けていると私も思いますが、何か重要な「エッセンス」は刻み込まれていると思います。
「足りなければ後で足せばいい」
これは「わたしちゃん」から学んだことです。
だから私でも物語が書けたんだと思います。
「受け取るメッセージ」は「言葉」では足りない何かでもあると思います。
自分にとって重大なメッセージはいつだってわかりにくいですし、気が付けないし、軽視しがちです。
ほんとに。
でも「わかりにくい」からこそ「とっても大事で」そのヒントは「そこら中に転がっている」
これは「おれくん」から学んだことです。
両方を肯定し両方から見てみる。言葉の意味を考えるのではなくて
その映し出す淡い取り留めのない光を感じる。
この「物語」も「そういうものを」拾い上げたからできたんじゃないかと思っています。
そんな「おれくん・わたしちゃん」から拾い上げる事ができれば
「俺、もしくは私」になり、「ひと」が「人」になれるのではないでしょうか?
そんな「きっかけの物語」になればいいなと私は思っています。
令和元年 9月9日 まつじゃーず著 「イネーズ」
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