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#1 就活、進学、分岐点、あれよあれよ

1.就活・進学・大きな決断の時に行うこと、自己分析
 
 人生は選択の連続であり、それは決断の連続でもあります。何気ない日常で何を食べるか、何時に寝るか、ゲームをするか、動画を見るか・・・などなど。少し表現が大げさですが人は日ごろから様々な物を選択し、決断して実行し、経験や体験をしていきます。そうした選択や決断の中で、特に人生において大きなもの、重要なものと位置づけられてるものが「就職、進学」だと思います。この選択、決断は普段の物と比べて〝特別感〟が有るのはその選択の先に自分の人生でやることが決まってくるからですし、ものによっては取り返しがつかない場合もあるからだと思います。重い選択、重要な分岐点になりがちです。
 
 タイミングで言えば高校で就職するか、大学で就職するのか。進学先を文系にするのか理系にするのか。そもそも専門学校なのか短大なのか。
 
 そういった大きな選択や決断が迫られたとき、やるべきことの1つとして言われているのが自己分析と呼ばれている物です。自分の人生を決めるような大きな決断の時には「まず自分を知ろう」ということから始めるのが一般的です。実際、私も就活の時期になると最初にこれを言われました。そして言われた通り自己分析の本なんかも買ったことがありますし、もらったテキスト通りに自己分析をしたこともあります。
 
 ですが、この一般的な自己分析には秘密が隠されていて、それが〝就職や進学を前提とした自己分析である〟ということです。大真面目にこんなことを言うと「そんなの当たり前じゃないか!」とか「そのためにやっているんだからそうでしょうよ」という感じに言われてしまうかもしれませんが一番重要なのは「自己分析を就職や進学のためにやっている」という部分です。
 
・バイトの時にリーダーを任されたことがある
・部活や委員会で部長を務めたことが有る
・ボランティアに積極的に参加したこと
・何かしらの検定や資格を持っている

 
 これらのことは言わずもがな就職や進学に有利に働くことは分かると思います。一般的な自己分析はこんな感じの就活や進学にとって有利なキーワードを自分の中から探し出すことを目的としています。
 
 つまり一般的な自己分析をやったとしてもそれは本来の目的である自分を知るということまでに至らないということです。なぜならそれは就職先や進学先が欲しがるような要素を自分の中から探しているだけだからです。
 
2.そもそもどうして大きな選択、決断の時に自分を知っておいたほうが良いのか?
 
 元も子もないように聞こえますが、別に自分を知る必要は有りません。というよりも自分なんてものは多分死ぬまで分からないのかもしれないからです。しかし、矛盾しているように感じるかもしれませんが、重要なのは自分を知ろうとすることです。そしてその先に自分の傾向、性質、資質のようなものが少しでも何か分かれば、それに沿うように選択するとき、考えることが出来ます。
 
 若者が何か大きな選択するとき、大人たちは決まって「自分の好きなこと、やりたいことをしなさい」と言ってくると思います。これは逆に言えば「自分の好きなこと、やりたいことはわかるでしょ?」ということでもあります。私が自己分析、自分探しに着眼し、様々な原理原則を学んだ原点はこの言葉にあります。簡単に言えば「そんなこと言われてもやりたいことなんか無い」っていうのが私の中の答えでした。
 
 ですがこれが私の答えなのは変わりません。なので、私の場合は「やりたいことが無い」ということを知った上で選択を行う必要があるということです。これ、大人たちの言葉をそのまま鵜呑みにして「じゃあ、自分にも何かやりたいことがあるはずだ、好きなことがあるはずだ」と勘違いし、それを探そうと躍起になったところで苦しいだけです。しまいには「やりたいことが見つからないので自分探しの旅に行きます。しばらくフリーターで過ごします」なんてことが始まりますが、見つけ方を知らない以上、見つからないのは何となく想像できると思います。
 
 自分の好きなことを見つけるのではなく、自分自身を見つけること、知ることが大切です。
 
 とは言うものの、私たちは現代社会に生きています。生きていくためには例えやりたくなくとも働かなければなりません。お金が必要ですからね。問題になってくるのはそのお金を稼ぐ方法になります。多くの場合、会社に入って給料をもらうというスタイルになると思いますが、そこで自分は会社や職種や勤務形態をある程度選択をすることができます。
 
 その時にまず先行してしまうのが例えばホワイト企業である、勤務形態、業種の忙しさ、それから給料や昇進の良さ。だと思います。しかし、これだけの材料で自分の行く未来を決めること自体、自分を無視していることは何となくわかると思います。これはいうなれば会社や世間に合わせた選択を自分が行っているからです。
 
 世間や社会に合わせた選択を行って満足出来ればそれでいいと思いますが、逆に言えば、これは自分が満足するかどうかを世間や社会に任せてしまうことになります。
 
 そうではなく自分中心に考えたほうが良いということです。自分のことだし、自分の未来のことですから。ですが自分を中心に考えるとき、その自分が全く見えてない、知らないのであれば考えるきっかけを持つことすらできません。
 
3.本当に自分のことを知るために
 
自分という人間を知るために最も重要なのは「自分の過去」です。冒頭でも言いましたが人生は毎日、選択と決断の連続です。そしてその決断の積み重ねの結果が今の自分になっています。積み重ね=歴史です。そのため自己分析は何よりもまず自分史というものが最重要であり、それを描く必要が絶対です。言い換えると経験や体験になります。なので一般的な自己分析でも、自分を知るために決まって自分史のようなものを作るのですが、さっきも言った通り就職や進学先を見据えて自分史を分析します。
 
つまり、一般的な自己分析で自分を知ることが出来ないのは見方の問題。視点の問題になります。「自分が持っているスキルでどのくらいのレベルの会社になら入れるのか?」という見方を持っている場合、視点は自分のスキルだけに行ってしまいます。そしてその見方と視点で自分を見つめた時、特に目立ったスキルが見当たらないと困るわけです。「これじゃ行きたい場所に就職も進学も出来ない。自分には他人とは違う強みが無い」と。
 
ですがこれは言い換えると「自分が行きたい会社や進学先に行くためのスキルが無いことがわかった」だけであって「自分のことを知った」ということにはなりません。
 
 自分を知るためには新しい見方と視点を知る必要があります。それが「7年周期のリズム・気質・色彩」という聞きなじみのない言葉達です。自分史を描き、それを従来の見方・視点で見るのではなく、新たな見方・視点である「7年周期のリズム・気質・色彩」を用いることで、本当に自分を知ることが出来るかもしれない。ということです。
 
4.新たに加わる3つの視点
 
 まあ、色々語ってきましたが簡単に言えば
 
「自分のことを知るために、3つの見方、視点を持って、自分史を分析してみましょう」ということですね。そしてその見方、視点はどういう物なのか?ということを伝えることが出来ればいいかなと考えていますし、逆に言えばその3の見方、視点だけを必要な人に伝えたいと考えています。
 
これから先、noteでこの3つの見方、視点の概略を書いていきたいと思います。より詳しく知りたい、もしくはやってみたい。という方がいましたらコメント欄やTwitterのDMなどで連絡をいただければ対応いたします。
 
 

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