月と旧暦:晦(つごもり)と朔(さく)が好きすぎる
旧暦の月の最後の日と、最初の日。
晦日(つごもり/みそか)と朔日(ついたち)ですね!
この晦と朔というのが、個人的にどうにも好きでして…
私が個人的に創作している暦の擬人化のメインキャラが大晦日と元旦であるのも関係しているのですが、終わりと始まりなんですよね。
旧暦の頃は月の満ち欠けで一ヶ月を作っていたので、
晦日と朔日が一ヶ月の(あるいは一年の)最後と最初だったわけで、
最初と最後という真逆のものが隣同士であるのがなんか面白いなと
思ってしまうのです。(めちゃめちゃ当たり前の話なんですが!)
さらには、月の見え方でいえば晦と朔は人間の目からみるとほぼ同じです。
どっちも「月が見えない」。
晦の「つごもり」という読み方はそのまま「月ごもり」=「月がこもっている=隠れている」という意味だそうですし、
朔は「見えない月」を「そこにあるもの」とするために、最初に見えたほそーい月から遡って数えるので朔という字が当てられ、また、そうやって月の最初を決める=「月を立てる」ことから「つきたち」=「ついたち」と呼ばれるようになったそうです。
要はどっちも見えてないわけですね。
(ってざっくり言ってしまっていいのかは悩むのですが…)
月の満ち欠けで決める旧暦の一ヶ月、
「見えない月」同士が一ヶ月の最初と最後を担っているというのが
面白いなあと思うのです!
さて、
1ヶ月の最初と最後の日っていうなら…どうせなら見える月のほうがよくない???と思うのですが、
どうなんでしょうか。
下記の論文によれば、昔のインドでは満月を一ヶ月の終わりと始めとしていたこともあったそうです。
『原始仏教時代の暦法について』森 章司
満月ではじまる一ヶ月が定着しなかった理由ってどういうものなんだろう。
こういうとき思い出すのが冬至の祭りです。
冬至は北半球では太陽が一番弱くなるタイミング。
逆にいえば、これから太陽が復活していくめでたいタイミングでもあります。
一陽来復という言葉や、この時期に参拝してお守りを授与いただける神社があったり。
逆に太陽の力が一番強い夏至は、これから衰えていくのでめでたくないという考え方があったそうです。
そう思うと、月も同様に「これから欠けていくもの」を終わりと始まりにすするよりは、「これから満ちていくもの」にしたほうがしっくりくるのかもしれないなあ。
私の想像にすぎませんが、そんなことを思うのでした!
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