やってやれないことはない11話 『アメリカ留学 3つの目的…』

先ずはヘリコプター操縦免許の取得から始めます。
3年目となる12月末で退職し、準備期間をもって3月に米国留学開始。
期間は1年間。やりたいことを設定しての留学中のスケジュール作成。
アメリカのコーディネーターとの打ち合わせ完了。
アメリカ大使館で面接し、留学ビザも取得しました。

留学設定目標は3つ。
① ヘリコプター自家用操縦免許と事業用操縦免許の取得。
ジェットヘリの免許取得
ホイスト吊り下げ訓練実施
事業用業務の研修実施
② アメリカの病院で医療と経営の分離について実習。
③ アメリカのカレッジに入学して、ネイティブスピーカーに近づく。

アメリカオレゴン州ポートランド空港に到着です。
ヒルズボロー空港近くにあるレントハウスでルームメイトや私を担当する教官MAXと歓談し、早々に明日から訓練開始です。

教官は、つい最近までカーペンターでした。詳細は初めに書いた『自由という名の人生行路』のとおり。
奥さんは、日本人の血が1/4のクォーターとのこと。
教官MAX&CAROLの夫婦、本当によくしてくれました。

あなたの英語の能力はと聞かれて答えられますか?

私は、中学と高校の授業で習いましたが、ほぼ役立ちませんでした。
唯一役立ったのは、FEN( Far East Network)放送=米軍極東放送網を中学時代からラジオで聞いていたことです。
【現在はAFN( American Forces Network810kHz)=米軍放送網に改編されました】

何を言っているかはわかりません。
わかるのは、言葉のリズムからの想像と感覚ぐらいです。

私はリズムをとりながら口真似で英会話を真似していました。
本当の意味は分かりません。
リズムに乗ったニュアンスで、好きか嫌いか、YESかNOか、笑っているか怒っているか、二者択一を感じ取ることを楽しく行っていました。
この繰り返しが、この時に役に立つとは・・・

MAXから座学と飛行訓練の両方の教育を受けます。
最初の1か月は、信頼関係の醸成です。操縦操作を一歩間違えれば死と隣り合わせです。

座学で理論を学び、操縦でそれを実践する。
座学が理解できないと終了です。
つまりは英語ができないと進めないことになります。

私が行ったことは、MAXのリズムを掴み感覚的に受け入れたことを、自宅で教科書を読みながら確認することでした。

1か月後から3ベッドルームでのシェアハウスでアメリカ人2人と3人で共同生活に入りました。                             3か月を過ぎた頃には、日常会話は不自由をおくびにも出さず、なんとか言いたいことが言えるようになりました。 
                                    いろいろなアメリカ人のリズムを感じながらその言い回しをまねして覚えること。そして、すぐ使うこと。この繰り返しです。

立派な英語を話そうとしたり、ディベートを行おうとしたりすればそれ相応の格式のある単語を使わなければならないでしょう。

パイロットになるには、操縦士免許と無線通信士免許と航空身体検査に合格しなければなりません。
操縦訓練を行うためには、最初に航空身体検査に合格しなければ始めることができないことになっています。
航空身体検査を行える医師のもとへ行き、英語で意思疎通ができるかチェックされました。

日常会話と航空英語とアメリカ連邦航空法、操縦訓練中の会話、航空管制など必要なものに集中して訓練を重ね、実技試験、学科試験、口頭試験を受験し、ブライベートパイロット・ロータークラフト--ヘリコプター(自家用操縦士技能証明書)試験に合格しました。
                                  この後から、病院実習とカレッジ講義受講とアメリカ連邦航空局のコマーシャルパイロット・ロータークラフト--ヘリコプター(事業用操縦士技能証明書)訓練の始まりです。

人生こんなにやりたいことがやれて、楽しく集中出きた時間は今までにありません。
ピークがこの時ではなくて、これが普通の人生ならどんなに楽しいか。
日本に帰国したら、やりたいことをやって楽しく過ごそうと決めるのでした。

病院実習は地域中核病院です。
昼食のカフェテリアは、コンビニと同じ量と質から選びます。おまけにいくら食べてもFreeです。

病室は個室が多く、廊下と病室内の床はカーペット貼りで音がしません。
日本の病院とは造りもコンセプトも違います。何を重視しているかが異なる医療は、求めるその質も違ってきます。

医師と看護師の職制は分かれていても、カンファレンスは対等です。
事務職は医師の下ではなく、病院経営のプロとして担当します。
医師は医療に専念できるので、充実していると話していました。

クリニックは、本当に簡単な検査機器のみのところが多く、重症疾病を持つ患者に対して医師は、地域中核病院を紹介し、入院後は主治医として地域中核病院の医師と情報交換をしながら治療にかかわっていきます。

日本では開放型病院と言っていましたが、ここまでオープンでコンセンサスのできたものは見当たりませんでした。

カレッジは、日本人を含めたアジア系やヒスパニック、アラブ系など英語を学びたい学生たちで活気がありました。久しぶりの学食や生協などで学生気分を味わい、インターナショナルの世界で何とも言えない充実の時を過ごしていました。

いよいよ明日から、メインの目的であるアメリカ連邦航空局のコマーシャルパイロット・ロータークラフト--ヘリコプター(事業用操縦士技能証明書)の訓練開始です。

プライベートの時とは比べられないほどの厳しい操縦操作に緊張感マックス。
高度な操縦技術と知識と判断を求められます。
パイロットが客を乗せ報酬を受けて操縦することがあるのですから、厳しくなるのも当然です。                                                  

「求められるものにはよりふさわしく、与えるものはより優しく」

このnoteは、私の人生において成功・完結・失敗・後悔などのストーリーです。 若い皆さんのヒントになればと思って書いています。 書いてほしいことがあれば、気軽にご連絡ください。 サポートは結果であると受け止めておりますのでよろしくお願いいたします。