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料理と運転が私を解放と治癒に導く

2023年8月3日(木)🌕16.4 ☀️4:50-18:44
24:大暑 72:大雨時行(たいうときどきにふる)

清泉寮に行って、帰ってきた。
その時のことは、instagramなどに。

テレビもない和室で、ただただ豪雨が通り過ぎるのを待っている時間があった。
その時は「せっかく来たのにこんな無駄な時間の使い方をしてよいのか」と思ったが、思い返せばそれも美しい時間だ。手持ち無沙汰でも、その時それほど心が動かなくても。

あの場所にいる時は、なるべく清く美しい私で、美しい時間を過ごそうと思う。
今こうして家にいても、できるだけそれと同じ心持ちでいればよいのだね。時間を雑に使わないこと。その場所にふさわしい自分であろうとすること。

山ではクルマでカーブの練習をした。地方の国道などでは、車線を迷うことはない代わりに、大型の対向車とカーブですれ違うようなことがよくある。これはものすごく怖い。特に下り坂では、どうしてもスピードが落ちてしまう。夫いわく、高速に乗れるのはカーブが安定してから、だそうだ。

クルマの練習に関しては、遠くないうちにがっつり書きたい。発達障がいを疑われるほどのペーパードライバー(私)が、ひとつのブレイクスルーを起こすことができた。そのきっかけは、「誰にも何も言われないで一人で運転する」ことにほかならなかった。人からあれこれ言われながら運転すると、かえって迷うし、かえって危ないし、自信を失ういっぽう。まさに人生そのものだ。
きょうは、環七にひとりで乗ってきた。環七と環八にひとりで乗れたので、自宅からの行き先の選択肢がかなり広がる。

北杜市ののほほんcafe&books。
最近多いセレクト本屋のなかでも、あまりマニアックでなくフラットで明るい品揃え

料理について。なんだかんだ夫向けのおかずを作りそうになる自分を改めつつ生きている。
なるべく「食べたいもの、作りたいものしか作らない」を貫きたいのだが、やはりどうしても冷蔵庫の残り物に左右もされてしまう。レタスが大量に余っていれば、また湯引きレタスか。トマトがそろそろ熟し過ぎてしまうから…みたいな。まあ、できる範囲で。

この日予定を入れたら、夕飯が作れなくなるな…という時にも、ひるまずに予定を入れる。負担に思うならその日は外食するか、お惣菜を買えばいい。

たまたま、自分のために料理をすることは、セルフケアである、という趣旨のnoteを読んだ。私は、「自分のために料理をしよう」と思ったら、むしろ以前より美味しいものが作れたタイプなのだが、それでも最初は「自分は今何が食べたいか」と考えても、しばらく何も思い浮かばなかった。
私は現在も料理があまり好きではないし、できることなら作りたくない。なので、せめて作っていて自分がまあまあうれしいもの、作る時の気分がマシなものを選んで作るようになった。そして、作るも作らないも自由。それがセルフケアだ。
最近作って美味しかったのは、焼きトマト。トマトを極厚にスライスして小麦粉と粉チーズをまぶし、バターで焼く。「トマトが余っていたから」という理由でセルフケアの方針にやや反して作ったのだが、これは夫にも好評だったし、美味しかった。見た目もいかにも美味しそう。

私は残り物料理が得意だっただけに、自分の食べたいものを作る選択肢を失ってきたのかなと思う。そして夫もまた、これまで人がしんどい気持ちで作った家庭料理しか食べてこなかった人なのかもしれない。

いつも落ち着きのないミヨだが、時折布団をかぶって何時間も瞑想していることがある。
寝ているのではない。ちゃんと起きているのだ。

できれば流れるように日記を書きたいのだが、たまにしか書かないと、あれもこれもと、なかなかどうしてぶつ切れになってしまう。
本当は自分の変化をもっと詳細に日々記録したいのだ。料理とクルマの運転を通じて、たぶん、今、大きなことが起こっている。私の50年弱の人生のカーブを曲がるようなことが。
私は、何もかも克服しなければ何も語る資格がないと思っていた。が、違う。
本気で私はこの過程を本に書きたい。そのために記録したいと思っている。

そう、以前書いた、真南のあの光なのだが、たまに見る。明滅することもある。
ところが最近、似た光が東の窓の外に煌々と光っているのだ。神出鬼没。どうやって自転車で追っかけたらいいのか、まだ思いあぐねたまま。




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