資格を取れば安心という親へ

私の親がそうだった。
「資格がないと生きていけない」
「資格があれば食いっぱぐれない」

母は看護師をしていて、もちろん資格を持っていた。
母は、祖母(私の曽祖母)から看護師だったら食いっぱぐれないから…と言われ、看護師の道に進んだ。

そして私はと言うと、小さい頃から母の洗脳にかかっていたと言っても過言ではない(笑)
事あるごとに「看護師になったら」攻撃を受け、小学生の時の作文は「将来の夢は母のような看護師になることです」。看護師の絵も描いた。
高校受験の際も「保健師になるために私は勉強を頑張りたい」。大学受験は「社会福祉士になりたい」。
医師になりたいとかカウンセラーになりたいとかあったが、院まで行かないといけないとかそんなお金はないとか…結局4年でカウンセラーと同じような資格を取れるものはないのかと言われ、社会福祉士の道に進んだ。
この間に自分の人生に満足したことはなかった。母の手駒のようだと感じていた。自分の人生を生きている実感などなかった。好きなことも分からなかった。ただ勉強ができる空虚な人間が出来上がっていた。

そして、卒業の年に国家試験を受けて現役合格した。

晴れて社会福祉士という国家資格を取った訳だが、取得して約1年経つ今、取ってよかったなと強く思うことはないし、この資格でお金が入ってきている訳でもない。これからもこの資格でお金を稼ぐことはおそらくないだろう。

なぜなら好きではないからだ。
大学に入学して、はじめの講義を受けて「間違えた」と思った。そして今、社会人として日々心をすり減らしながら働く中で、社会福祉とは何と理不尽なんだろうかと思うことさえある。

冒頭の言葉に戻る。
資格があっても、それがお金につながるわけではない。
嫌いな資格を取っても1円にもならない。
何なら、その勉強をしていた間に逸した機会を考えればマイナスもあり得る。
資格を取ったとしても、その業界や会社が好きでなければ退職、転職をする。
資格を取った=ゴール=安心、稼げるではないのだ。

これからの時代で稼いでいく、価値のあることは「好きなことを突き詰めること」にあると考えている。
好きこそものの上手なれ」という言葉の通り、好きなことの吸収スピードは早いし、自発的にスキルの研鑽を目指すことができる。
精神的な観点やアイデンティティ、自己実現の観点から見てもかなり優れていると考える。

社会人になって「働くことは基本的に面倒くさくつまらないこと」だと分かった。
それでも働くことをポジティブにするために、面倒くさいことを乗り越えていくためには、やはり好きなことの力が必要なのだ。
高い給料、家族のため、安定しているから…これらだけでは嫌な仕事を乗り越える十分なエネルギーになり得ない。
自分は毎日8時間何をしているんだろうか…と非常にメンタルに悪い状態に陥ってしまう。

確かに、子供に食いっぱぐれてほしい親なんかいないだろうし、子供から「将来歌手になりたい」なんて言われたら不安や心配になると思うが、その好き、やりたいを大切にしてほしい。荒削りな好き、やりたいから共通項、本質を見つけだし、稼ぐ力にブラッシュアップしていくのが親の役割ではないだろうか。
急がば回れではないが、子供の「好き」の力を信じてほしい。

これはあなたの人生ではなく、子供の人生なのだから。