最初で最後の転職活動
2009.2
-メイルボックスに届いた1通の手紙。
手紙を開くと、待ち受けているのは天国か地獄か…
心を落ち着かせるのに何分かかっただろう。
『最終面接もうまくいったし、きっと大丈夫…』
ようやくハサミに手をのばした。
-辛かった最初の就職
今は公務員をしている。
お給料はいいけど、世間から嫌われる仕事。
精神的にキツい。
そんなこと、百も承知で就職したつもりだった。
だから、2年も経たずに転職を考えるなんて
夢にも思わなかった。
こんなにも弱い人間だったのか…
『ここから逃げ出したい…』
けれど、就職試験の荒波に揉まれていない
わたしに残された道は…
そう、公務員しかない。
そんな折にひょっこり出てきたのは、
大学職員の追加募集だった。
-世間を知らなすぎたわたし
一次の筆記試験の会場に着いたとき、
腰を抜かしそうになった。
中途半端な時期の募集。
それにもかかわらず、
受験者の数があまりにも多い。
『もしかしてリーマンショックの影響!?』
2008.9 アメリカで端を発したリーマンショック。
遠い遠い世界のことだと思っていたのに、
その影響をこんな形で目の当たりにするなんて…
-意地悪な面接官
昔から勉強はできる方だった。
なので一次の筆記はなんとかパスしたものの…
二次の面接官にやり込められた。
『どうせうちもすぐ辞めるんでしょ』
一般企業の面接を受け慣れた人であれば、
なんてことはないのだろう。
けれどわたしには免疫が圧倒的に不足していた。
聞かれること全てが意地悪。
これはもう詰んだな…
寒い寒い日。
肩をガックリ落とし家路に着く。
それから1週間。
最終面接の通知を受け取ったときは、
一体なんの奇跡が起きたのだろうと
驚きを隠せなかった。
-最終面接の結果は・・・?
これまでのことを走馬灯のように思い出しつつ
勇気を振り絞って開いた通知。
恐る恐る視線を落とすと、
そこには”合格”の文字が!
『これでもう大丈夫だ…』
最初で最後の転職活動はこれにて幕を閉じた。
ここからわたしの人生は、
うまく進んでいくに違いない!
そう確信した。
Now
-完璧なまでの他人軸、自己肯定感の低さ
今振り返ると…
突っ込みどころ満載な話だ。
自分にずっと嘘をついて生きてきたからだろう。
軸というものがポッキリ折れてしまっていた。
高校、大学進学においても、
親の喜ぶように学校を選んだわたし。
そう、筋金入りの他人軸人間なのだ。
合格通知を手にして安堵したのは、
・親を納得させられる職場だった
・無職になることに心底怯えていた
というのが主な理由。
その後、3回も無職の期間があることを、
当時のわたしが知ったらどんな反応を示すのだろうか。
それにしても…
公務員しか道がないって、
どれだけ視野が狭いのだろう。
自分で稼ごうというマインドが全くないですな。
(今も稼げてないやん!というツッコミは控えていただきたく。笑)
-大学職員の位置づけ
当時大学職員って、
なんというか勝ち組だったのです。
(わたしの周りしらべ)
だから合格通知を受け取った時、
"わたしの未来はハイパー明るい!いやっふぅー!"
と本気で思っていた。
マジで。
ほんと働くことに対して夢がない…苦笑
けれど…
今ハイパーニートで過ごせているのは、
この時稼いだお金なんだなぁと思うと、ちょっと複雑…
-偏った仕事観
幼い頃に実家の家業が倒産。
そんなわたしの仕事に対する最優先は
とにもかくにも”安定”
法学部だったこともあり、
周りも公務員志望がすごく多かった。
なので大学3回生の頃、
その価値観がおかしいとは1mmも疑わなかった。
(それに加えて"HERO"に影響を受けまくっていたわたしは、検察事務官を目指していたっていうのはここだけの話)
-タイトルに偽りあり
仕事さえ変えればなんとかなる、
そんなうまい話はない。
逃げからは何も変わらない。
根本を変えないとね。
これが俗に言う、
”逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ…”案件
この数年後、わたしは仕事を辞める。
いくら楽な仕事とはいえ…
自分の好きを無視して働き続けることは、
どこかに歪みを生じさせるのだ。
なので、タイトルは、
が正しい。
-おまけ:意地悪な面接官の正体
嫌な嫌な面接官。
なんと最初の部署の課長(当時)だった。
その後もわたしの大学職員人生において、
絶大な影響力を及ぼすお方なのでした。
上川部長(仮)として、
これからもちょくちょく出てきます。
この春に会ってきました。元気にされていて何より!
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