親バカという存在
親バカという言葉はあまりいい言葉ではないと思っていたのだが、親になってからはちょっと考えが変わった。
子供にとって親バカの存在
私の親は親バカではなかった。
かなり客観的に子供のことを見ていたので、もちろん学力やその他のことも、他の子と比べてどうか、という判断が大きかった。
客観的にわが子を見る目は大切なものだと思うのだが、もう一つ親バカという視点があると子どもにとってはいい影響を与えるのではないかと最近思う。
他人と比べて上手いから上手い、ではなく、ただただ「この子は天才かもしれない!」と思うのだ。
わが家では夫とよく娘は天才だなぁという話になるのだが、もちろん客観的な視点を失っているわけではない。しかし、他の子と比べなくても素晴らしい点を見つけられて、それを本人にすごいぞと伝えたら相乗効果しかないのではないかと思う。
親としてもわが子はたくさんいいところを持ってると思うと単純に嬉しいし、もっともっと好きになる。いいことづくしじゃないか。
娘は褒められるたびにまた頑張り、更なる成長を見せてくれるし、何より自分の応援者がいるのは悪いことではないと思う。
親族以外にはほどほどに
親である私が親バカを発揮しているのは主に親族の会話の中だけだが、逆に友人たちに娘の話をする時にはあまり卑下しすぎないように気をつけようと心に決めている。
娘の前で娘のことを卑下してしまうと、本当はそう思っていたのか、と思わせてしまうからだ。
自慢にならない程度に他人には、私が娘のことを認めているのを伝えたい。私自身まだまだ勉強不足だがこれだけは矛盾しないようにと思っている。
聞いてしまった親の本音
私は部活動の先輩から嫌がらせをされて体調を崩し辞めたのだが、その代わりに学校の許可をとって車の免許や大学へ行く資金を貯めるためにバイトをしていた。
8ヶ月で40万貯めたのだが、学校へ行きながら成績も維持していたからそこそこ頑張っているつもりだった。
しかし、偶然同級生の母が自宅に遊びにきたときに、親が「〇〇ちゃんは部活動頑張ってて偉いねぇ。うちは…」と言っているのを聞いて愕然とした。
そんなに部活動やってるのが偉いのか?他人は褒めといて娘は大したことないのか?と苛立ったのを覚えている。
お世辞だったのかもしれないし、自分の娘はバイトを頑張っているとは言いづらかったのかもしれない。しかし、当時の私は悲しかった。
いつでも応援していて褒めちぎっている親の存在は周りから見れば親バカかもしれないが、子供にとっては一生の心強い味方になるのではないだろうか。
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