町下樹

小説を書いています。今は主に掌編小説を投稿しております。フォローの方よろしければお願い…

町下樹

小説を書いています。今は主に掌編小説を投稿しております。フォローの方よろしければお願いいたします。 LPレコードが好きで集めています。

最近の記事

『ねことねずみとしずかな町』 町下 樹(マチシタ ナオキ) 児童文学 掌編

 ーーばらばらになった光の中でふたりはいろんなはなしをしましたーー  ねずみが旅をしていました。それはそれは長い旅で、全部話すのに100ねんはかかりそうなほどでした。  今日はすてきなみなとまちにやってきました。ひかりがついていないない灯台が、いきをふきかけられたロウソクみたいに立っていました。  ふねをつくるクレーンはふるびていて、ぎぎぎと音を立てながらうごきました。  でもふねは一隻もみなとには浮かんでいなかったのです。あかい浮き輪がかなしそうに浮かんでいただけでした。

    • あの頃の匂いがする(3) 短編 連載 町下 樹(マチシタ ナオキ)

       ――「ねえ、初めてゆっくり話したのも夏の終わりごろだったよね。今よりは暑かったけどさ」と渚は言った――  鈴虫の声が聞こえるとても涼しい夜だった。僕は『赤と黒』を読んでいた。一休みしてページに手をかけたところで『スメルズ・ライク・ティーン・スピリット』のギターリフが聞こえた。渚からの電話だった。しばらく悩んだが本を閉じて携帯電話を取った。 「こんばんは。邪魔したかな?」と渚は言った。 「どうせ大学生の夏休みだ。なにもすることなんてないよ」と僕は言った。 「それはよかった。

      • 掌編小説『ジャズ・イズ・ヒア・トゥ・ステイ』 *加筆修正版 町下 樹(マチシタ ナオキ)

         ――その音は少年の真っ白な頭を揺らし続けた。月の欠けていく音さえ聞こえそうなほどだった――  サックスの音が夜の霧に溶け込んだ。ノルウェー人がサックス、イングランドがトランペットでアメリカがドラムだった。一番前のパイプ椅子には一五歳の少年と老人が座っていた。あとは後ろにちらほらと数人がいるだけだった。老人は白く細やかな髪を後ろになでつけていた。顔の皴は決定的に深く太古から存在するクリークのようだった。少年の肌の色はこれから降ってくる初雪のように白く綺麗だった。鼻が高くほり

        • はじめて買ったCDは一度も聴いていない

           はじめて買ったCDは聴いていない――聴けていないといった方が正しいだろうか。  僕がはじめて買ったCDはOASISの『Heathen Chemistry』日本盤である。『Definitely Maybe』や『〈What's the Story〉Morning Glory?』ではなく『Heathen Chemistry』である。  幼いころは音楽なんてまともに聴いたことがなかった。当時ビートルズが音楽シーンをがらりと変えてしまったこと、ニルヴァーナがメタルを打ち破ったこ

        『ねことねずみとしずかな町』 町下 樹(マチシタ ナオキ) 児童文学 掌編

        • あの頃の匂いがする(3) 短編 連載 町下 樹(マチシタ ナオキ)

        • 掌編小説『ジャズ・イズ・ヒア・トゥ・ステイ』 *加筆修正版 町下 樹(マチシタ ナオキ)

        • はじめて買ったCDは一度も聴いていない

          あの頃の匂いがする(2) 町下 樹(マチシタ ナオキ)

           ――それらはみな涼しい風に吹かれた風鈴のように爽やかで、僕の心を潤してくれた――  僕はある田舎の大学に通っていた。僕は大半の大学生がそうであるように授業に出ず、友人と酒を飲み、煙草を吸って、昼間からセックスをした。大学で受ける授業はどれも価値がないと思えるものばかりだった。それより自宅で本を読んでいた方がいいと思って、ずっと本を読んでいた。それは今でも正しい選択だったのかは分からない。しかし正しい選択なんて初めからなかったのだろう、とも僕は思う。    僕が育ったのはさ

          あの頃の匂いがする(2) 町下 樹(マチシタ ナオキ)

          あの頃の匂いがする(1) 短編 連載 町下 樹(マチシタ ナオキ)

           僕はその時夕暮れの海岸に彼女と二人で座っていた。夕暮れ特有の際立った静寂が辺りを包んでいた。そよ風さえ木の葉を揺らさないあの時間だった。役目を終えかけている太陽がまずは海の一部分を、そして波打ち際を季節外れの暖炉みたいに燃やした。左手には切り立った崖が見えた。崖は草に覆われ、まるで世界を支え続けている亀のように見えた。  彼女はずっと海の方を見ていた。海はうらぶれた芸術家のパレットのように様々な色に美しく彩られていた。どれくらい僕らは黙っていたのだろう。かなり長い時間が過ぎ

          あの頃の匂いがする(1) 短編 連載 町下 樹(マチシタ ナオキ)

          あるタイム・トラヴェラーの手記

          日本機密情報部報資料 058 資料タイトル「タイム・トラヴェラーの手記」 文書整理番号 H.G-1895-wells 〈以後はタイム・トラヴェラー(通称)の部屋で発見された紙片の文章を原文のままデジタル資料化している。1996年5月10日イギリス国防庁が発見。〉   タイム・マシンが完成したのは1985年10月25日のことである。錆びついた大昔の中古車に空間転移装置をつけたものだ。もっと格好いい車にすればよかったのだが、研究資金に困っていたためデロリアンを白髪の博士服を

          あるタイム・トラヴェラーの手記

          掌編小説 『睡蓮』 町下 樹(マチシタ ナオキ)*加筆修正版

           池には睡蓮が浮かんでいた。日は頂点より少し落ちていた。水面には穏やかな赤色の睡蓮とその葉が写り、ときどき風に揺らめいていた。池の少し奥には小さな林があった。そこから鳥が飛び立ち気まぐれに木々を揺らしていた。木から離れた葉がひらひらと舞い、睡蓮の池に浮かんだ。  池の手前では顎鬚の長い老人が椅子に座り、キャンバスに向かっていた。老人はキャンバスを長い間眺め、次に睡蓮の池を眺めた。それを何度も繰り返し、少し筆を動かしてまた眺める作業に戻った。  キャンバスの絵は実物の風景とは大

          掌編小説 『睡蓮』 町下 樹(マチシタ ナオキ)*加筆修正版

          掌編小説 『住宅地』 町下 樹(マチシタ ナオキ)

             僕が彼女に再会したのは成人式の日だった。再会、といっても僕たちはそれほど親しいわけではなかった。彼女とは高校が別だし、中学校の時に一緒になっただけでそれほど親密に話をしたことはなかった。 彼女は美人と言ってもいい部類に入る顔立ちだったのだがある種の人を寄せ付けないような雰囲気があった。そのため彼女が学校で特定の誰かと話し込んでいる姿を見たことがなかった。  夕食の席で彼女が隣になり話をする機会があった。二十歳になっても彼女の美しさは保たれたままだった。中学生の頃に見た強

          掌編小説 『住宅地』 町下 樹(マチシタ ナオキ)

          掌編小説 『簾の奥』 町下 樹(マチシタ ナオキ)

           春がはじまり少し経ったある日。桜は数日前に満開を迎えたがその様子を藤原因香朝臣は病気で気分がすぐれなかったため外の野桜を見ることはできなかった。しかし誰も見る者はいなくとも春のやわらかいひかりで桜は輝いていた。小間使いは気の毒な主人を想って桜の枝を折ったものを部屋に運んだ。藤原因香朝臣はその美しさに外の桜を見られないことの無念さをより一層募らせた。  春の風さえ体にしみるほど藤原因香朝臣の体は弱っていた。彼はその気持ちの良い風を感じることもできないまま簾の奥で苦しさに耐えて

          掌編小説 『簾の奥』 町下 樹(マチシタ ナオキ)

          掌編小説 『ジャズ・イズ・ヒア・トゥ・ステイ』 町下樹(マチシタ ナオキ)

           ジャズ・イズ・ヒア・トゥ・ステイ                            町下 樹  サックスの音が夜の霧に溶け込んだ。ノルウェー人がサックス、イングランドがトランペットでアメリカがドラムだった。一番前のパイプ椅子には一五歳の少年と老人が座っていた。あとは後ろにちらほらと数人がいるだけだった。老人は白く細やかな髪を後ろになでつけていた。顔の皴は決定的に深く太古から存在するクリークのようだった。少年の肌の色はこれから降ってくる初雪のように白く綺麗だった。鼻が高

          掌編小説 『ジャズ・イズ・ヒア・トゥ・ステイ』 町下樹(マチシタ ナオキ)

          掌編小説 『睡蓮』 町下 樹(マチシタ ナオキ)

           池には睡蓮が浮かんでいた。日は頂点より少し落ちていた。水面には穏やかな赤色の睡蓮とその葉が写り、ときどき風に揺らめいていた。池の少し奥には小さな林があった。そこから鳥が飛び立ち気まぐれに木々を揺らしていた。木から離れた葉がひらひらと舞い、睡蓮の池に浮かんだ。  池の手前では顎鬚の長い老人が椅子に座り、キャンバスに向かっていた。老人はキャンバスを長い間眺め、次に睡蓮の池を眺めた。それを何度も繰り返し、少し筆を動かしてまた眺める作業に戻った。  キャンバスの絵は実物の風景とは大

          掌編小説 『睡蓮』 町下 樹(マチシタ ナオキ)

          村上春樹『猫を棄てる 父親について語るとき』 感想文 #猫を棄てる感想文

          #猫を棄てる感想文   村上春樹の作品では父親をはじめ、家族という存在がほとんど出てこない。特に主人公においては家族という印象を意図的に消しているようにも感じる。家族という存在は個人の本質、弱さなどをうつし出すものである。幼少期のか弱さ、家族への思い入れは誰にでも少なからず存在する。対して村上春樹の主人公は総じてクールである。その一要素に「家族」の存在をにおわせないというものがあるように思う。少なくとも表層的には自分以外の人間に情は感じていないように思う。  だから今回の

          村上春樹『猫を棄てる 父親について語るとき』 感想文 #猫を棄てる感想文