前田健太@『しかける!算数授業』

小学校教諭。3年担任兼算数担当。 学校図書算数教科書編集委員。 出来ることを重視した算…

前田健太@『しかける!算数授業』

小学校教諭。3年担任兼算数担当。 学校図書算数教科書編集委員。 出来ることを重視した算数に疑問を感じ、むしろ子ども達に?を生むことを大切にしている。授業実践をXを通じて発信。2023年に初の単著『しかける!算数授業』を出版。 ★記事は個人の意見であり、所属とは関係ありません。

最近の記事

□を使った計算③

今回は□を使った式の3時間目。子どもたちは問題を書くとすぐに「問いがない」「お話だ!」とこれがお話を表されていることを指摘します。 この単元で大切なことの一つとして、何が□なのかを見出すことがあると思います。今回のような問題は一見それが見えにくいです。こどもたちからは本当に多様な式が出されました。 そして、どの式が今回のお話(場面)にあっているのかを議論します。前回の学習を活かして、それぞれの式についての話を改めて考えていきました。最後に□×8=48と8×□=48の話にな

    • ◻︎を使った計算②

      『リンゴが120個売れたので、残り64個になりました。』と問題を書きました。 ①□−120=64 ②120+64=□ ③□−64=120 ④120+64=184 と4つの式が出てきました。 どれがお話通りの式なのかということが話題になりました。図を描くとわかるというので、線分図をかいてみます。 すると、写真のような線分図になりました。ここで、③は違うことがわかります。 ①②④で検討を進めるわけですが、②だと『120個のりんごがあります。64個のりんごをもらいました。』とい

      • ◻︎を使った計算①

        求答文を書かずに式にしてみましょうと投げかけると二つの式が出てきます。そして、二つの違いについて尋ねると、100-72は結果を出している式に対して、72+◻︎=100はお話(場面)を表している式であることが発表されます。 ここで、改めて式には二つの役割があり、結果を求めるものと場面を表す式があることを確認します。さらにわからない部分はこれまでは?などを使うことも多かったかもしれないが、これからは◻︎を使っていくことも指導します。 その後は、場面を線分図にしてみます。線

        • トピック〜Nクイーン問題〜

           20日(金)は避難訓練があり、ほとんど授業時間がつかえないので、教科書の内容ではない授業を行いました。Nクイーン問題と呼ばれる、チェスのパズル問題です。  私が夏休みに謎解きにハマっていて、その中でこの問題が出てきていて授業でやってみました。まずは、4×4からスタートです。子どもたちは必死に考えています。そして、下のような答えを見つけ出しました。ただ、ここで子どもたちは終わりません。  まず、「まだあります。」と言う子がいます。その子たちは別の答えがないかを考えていたわ

          『聴く』

           学級経営や授業づくりで欠かせないのが『聴く』ということです。『聴く』が成立しないと何事も始まりません。ですから、『聴く』ことを学級として育てていく必要があります。  単に「話を聞きましょう」などと注意してもあまり意味はありません。そこで、誰かが発言した後に「◯◯さんがいったことをもう一度言える人?」などと聞いてみて下さい。これは再現です。ですが、この再現ですら最初の段階ではほとんどの子が手を挙げられません。そこで、これを何度も続けていくと、聞ける子が増えていきます。  

          円と球⑦

          円と球の活用として牛の草食べ範囲の問題を考えました。6年生の円の面積の活用で出されますが、実はこれは円の面積以上にきちんと草を食べる範囲を認識できるかにあります。 子どもたちに条件不足の状態で提示すると、いろいろな質問が出ます。 •牛の大きさは? •牛は何頭なの? •ヒモの長さは? •どの角なの?(4つ変わらないはずという意見も) •どこに草が生えているの? •小屋の入り口は何個あるの?どこ? これだけの質問が出るのが素晴らしかったです。 その後、作図に入って一番多かった

          円と球⑥

          今日は球の導入です。 『トンボが動ける範囲は?』と尋ねます。虫(1点)から30cmの範囲を飛べることを確認します。すると、ほとんどの子が考えたのはまずは半径30cmの円でした。そこで、子どもたちに指を突き上げてもらって、「そこに虫がいるんだよ。」とリアルに考えてもらいます。すると、「空間だ」とか「上や下もある」というような3次元を意識する言葉があり、改めて範囲を考えます。 実は、ここでもクラスによっては2つの意見がでました。1つは球ともう1つは円柱です。そこでまず円柱を子

          円と球⑤

          今日は技能的な練習をする1時間です。テーマは「コンパスで長さを写し取る」ということです。 コンパスというと、「円を描く道具」というイメージが子どもたちには強烈にありますが、高学年では「長さを写しとる」という機能がより重要になってきます。中学の作図ではものさし(メモリ入りの定規)ではなく、基本的にコンパスと定規だけを使って描くことになります。

          円と球④

          今回は探究的な1時間。 「円の中心はどうやって見つけるの?」とだけ聞いてあとは子どもたちに完全に任せてみます。 個人で考える時間をとり、途中からはいろんな人と話をしながらわいわいと。3クラスで授業をしたのですが、多様な意見が色々と出てきて面白かったです。 こういう私が課題を投げかけ、板書だけする時間も面白いなあと思いました。そのためには探究にふさわしい課題が必要ですが。 ①円の紙を半分の半分に折って、折り目の線が交わった部分が中心。(半分の半分でなくて良いことも確認)

          円と球③

          この時間は昨日までの用語を冒頭押さえた後に、コンパスの技能習熟のために模様づくりをして1時間遊びました。 コンパスの模様作りはやもすれば、子どもたちに丸投げされすて終わりになりがちです。しかし、それだと苦手な子はずっとかけません。大切なのは『模様の中から縁を探す』ということです。ですから、困っている子には『円を見つけて指でなぞって』→『中心は?』→『半径は?』という感じで聞くとほぼ全員がかけます。苦手な子は闇雲に描こうとして円を見つけようという発想がないのです。得意な子は頭

          円と球②

          今回は前回の輪投げをする人数をどんどん増やしていきます。条件として、輪投げの棒から4m(ノートには4cm)のところにどんどん人を配置することにします。しばらくすると、子どもたちから「これ丸になりそう!」という声が上がっていきました。 そこではじめて、「円」「中心」「半径」という言葉を押さえました。特に作業を振り返って「円は中心から等距離の点の集合」という部分を大切にしたつもりです。 その後、子どもたちは懸命に作業に励んでいるのですが、途中で「今度は半径を6cmに変えようか

          円と球①

          2学期初の授業は円の導入。 まず、4人で輪投げをする時、どうやったら 投げる場所が平等になるのかを考えます。横一列に並ぶ図を見せると、これは不公平だと子どもたち。理由を尋ねると、棒から人までの長さが短い人と長い人がいて、距離が違うと指摘します。「人が動ければ平等にできる!」というので、4人を動かしてもらうとすると、板書左下のように、正方形の角に配置すれば良いとある子が発表しました。そうすると棒から人までの距離が同じになるから平等だということが全体で確認できました。 次

          算数ネタに対しての想い

          算数のネタが認知され始めたのは、元筑波大学附属小学校の坪田先生がスタートで、それが元筑波大学附属小学校元明星小学校の細水先生のガウスの会などにつながっているのかなという感じがしています。 問題自体に解きたいだけの魅力がそこにはあるんですよね。でも、最近とても私が嫌なのはネタは色物みたいな空気を感じています。つまり、教科書教材をやることがとにかく大事だという風潮です。その理由は単純で、教員はこの時代日々忙しいんだからそんな研究授業で特別にやるようなもの(=ネタ)は無意味だとい

          専門家が算数を難しくしていないか?

           今日のテーマは算数業界の方々からかなり怒られそうな内容ですが、思っていることを書いてみます。  前から度々書いてますが、私は算数は好きです。しかし、所謂算数を専門とする多くの方とは大きなズレがあるなと心のどこかで感じています。算数研究に少し関わった人はいろいろな用語に最初は面食らうと思います。関わっていない人も大学の算数教育法などの講義で最初にそういったことを感じた人も多いのではないでしょうか。  「求差」「求残」「合併」「増加」「順序数」「連続量」「分離量」「等分除」

          専門家が算数を難しくしていないか?

          学級崩壊以上に怖いのは認識力

           昨今、1年間さえも学級を安定させて学級経営するのも難しいというのは恐らく教員ならば皆実感しているところだろう。それは、国公立私立、小中高など校種を問わない。どんなに力があると言われている先生でも本当に1年後どうなっているのかはわからない。「え、この人が!?」というような先生の話をここ数年色々な場で聞く。  もちろん、これを書いている私もその恐怖を常々感じる。特にクラス替えをする春休みなんかはずっとまだ分からぬクラスのことをずっと頭の中で考えている。そして、そうならないよう

          学級崩壊以上に怖いのは認識力

          協議会で気になること

          ある方の指導案の最後に珍しく授業者の想いが書かれていた。これを見て、私はとても共感した。私が最近感じているモヤモヤはこれだったのかと。 最近の協議会では、教材論が話題になることが多くなったと思う。教材論はとても大切だと思うが、少し行き過ぎているのではと感じることもある。この教材論での話が辛くなってしまうのは、色々と知っている詳しい人しか話せなくなるということ。 例えば、ある授業者が長さの授業をしたとする。 その協議会で「長さは直接比較→間接比較→任意単位→普遍単位が当たり